樋口真嗣少年と東京の閉塞に、怒りと暴力と音楽で風穴を開けた…文学界のサブカル選抜といえば、リュウ! リュウ・ムラカミ!【村上龍】
私を壊した映画たち 第19回
『シン・ウルトラマン』の樋口監督が、1982年、高校生時点で見た原点ともいうべき映画たちについて熱く語るシリーズ連載。今回は映画を離れて作家の村上龍氏の話…と思わせて映画へ! 【画像】『イージー★ライダー』のピーター・フォンダ。当時の若者を熱狂させた、時代の顔ともいうべき存在
1982年、サブカルがやってキタ!
まあ高校2年という年齢のせいにしてしまえばそれまでかもしれないが、どうしてあんなに自意識が大きくなっていたんだろうか? 中学の頃とは違う、中学の頃よりもタチの悪い念が渦巻き沈澱していたのだ。 何者でもない自分を棚に上げて俺はお前たちと違うんだよ、俺はお前らと一緒にくすぶってるような人間じゃねえんだ! そんな内なる魂の叫びを一瞬でも外に漏らしたら、入学以来築き上げてきた“当たり障りのない樋口くん”が崩壊してしまう。 本当の俺、破壊、恐怖、絶望を好み、死と血を愛する俺様がなぜ、唾棄すべき凡俗どもに「樋口くんヤバくない?」などと言われなければならないのか? この俺の崇高な理想が理解できないお前たちに俺の本当の姿を教える必要なんてない! おい40年前の俺! そういうこと思ってもいいけど、ノートの端っこにびっしり描いたら消すか焼くかしたほうがいいぞ。残すな! いまの俺が見たらもう死にたくなるほど恥ずかしいじゃないか。過去の俺が未来の俺を攻撃するとは、逆ターミネーター。やるな40年前の俺。すげえダメージだ…! 中学2年から高校2年までの3年間に何が起きたのか。もちろんマンガや特撮やアニメや映画を中心に生きてきた訳ですが、それを包括しつつ大きな流れというかうねりのような動きが、社会の中に始まっていました。 サブカルです。サブカルがやってきました。 「ビックリハウス」「宝島」といった雑誌の、社会の隙間、重箱の隅をつついてうすら笑いを浮かべるセンスかっこいい! 音楽はYMOから派生したニューウェイブのエッジの効いたサウンドやべえ! 王道を嘲る斜め向きな姿勢が最先端だと、今にして思えば勘違いも甚だしいのですが、いずれなっていくであろう大人に対して翻せる唯一の反旗がサブカルでした。 なんせ中学生から高校生にかけてだから仕方ない。 友達の少ない、教室に居場所のない奴らが自己正当化のために纏う鎧、それがサブカル! そして文学界のサブカル選抜といえば、リュウ! リュウ・ムラカミ! 村上龍先生ですよもう! デビュー作にして芥川賞をかっさらった『限りなく透明に近いブルー』の、それまでの行儀のいい教科書的な文学と真逆の、不良性あふれる世界は刺激的だったけど、いかんせん中学生にはちょっと早すぎた。主人公たちが耽嗜するドラッグの描写がどうにもこうにも中学生には連関すべき体験が見当たらず、想像力の範囲を超えて、それほどまでにヤバい体験がオトナになったら待ち受けているのか?と訳もわからずビビるあたりが所詮中学生。 しかしその後の1980年に上下巻の大冊で出版された『コインロッカー・ベイビーズ』は、もろにストライクでした。コインロッカーに遺棄されても生き延びて成長した2人の少年の波乱に満ちた人生を軸に、ダチュラという人間を凶暴化させる軍用ドラッグ、少年愛癖のある音楽プロデューサー、巨大なワニを飼うモデル少女、というアイコンが、東京の閉塞に怒りと暴力と音楽で風穴を開ける――。 幼少の頃から繰り返し夢想していた破壊、滅亡のイメージの中心に、自分と同世代の少年の刹那的な衝動が抑圧されたわたしの自我を解放していく。実際にそんなことしたら社会的に抹殺されるであろう、暴力による破壊が活字を追うだけで体感できるのだ。 ――と、映画でもない、漫画でもない、小説だけが紡ぐことのできる言語化できない衝動に興奮したものです。
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