18年ぶりの復活を遂げたワークスGT-R。詰めかけたファンの期待に応える走り
80年代、自他共に認める「レースの日産」は、グループA/Cとメーカーの真価が問われるレースで苦境に立たされていた。とくにメーカーの看板を背負う量産車ベースのグループAは、R30・RSターボ、R31・GTS-Rが大苦戦。だからこそ満を持して登場したGT-Rが送り出された。しかし、その活躍は予想以上。GT-Rは帝王だった。 【画像16枚】カルソニックカラーとリーボックカラーの2台のGT-R。3位に2周の大差をつけて1,2フィニッシュ 【国内モータースポーツの隆盛 特別編】 GT-Rは、発売からほどなくしたタイミングでグループAホモロゲーションモデルの「GT-Rニスモ」を500台限定で発売した。GT-Rの標準ボディ、メカニズムでレースに不向きな部分を対策したモデルだ。 こうした経緯を見るまでもなく、90年3月、90年JTC開幕戦の西日本に登場したGT-Rは、準備万端整えた状態でのデビューだった。 参戦車両は2台。カルソニックカラーの星野一義/鈴木利男車とリーボックカラーの長谷見昌弘/A・オロフソン車だった。それほど広くはない西日本サーキット(後にMINEサーキット、現マツダ美祢自動車試験場)にGT-R見たさで集まった観客は4万1000人。18年ぶりに復活したワークスGT-Rの存在感は大きかった。 そして、2台のGT-Rは、詰めかけたファンの期待にみごと応えてみせた。星野、長谷見で予選1,2番手を占めると、そのまま300kmレースを逃げ切った。3位に食い込んだダンロップ・シミズ・シエラに2周の大差をつける圧勝だった。 初出:ハチマルヒーロー2017年1月号 vol.39 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部