移住した珠洲はめちゃくちゃに 恋しいけれど、再建なんて今は… 避難した子どもたちのため、金沢でケアや教育支援に奔走
長野県千曲市出身の北沢晋太郎さん、巨大な岩が転がり落ちてくる中で避難
「学校や勉強はどうするか。多くの子どもたちが不安の中にいる」。最大震度7を観測した能登半島地震に遭った石川県珠洲市の北沢晋太郎さん(34)=長野県千曲市出身=が、避難先の金沢市で同じように避難生活を送る子どもの心のケアや学習支援に奔走している。被災前から珠洲で、子どもの居場所づくりなどをするNPO法人で活動してきた。自宅は壊れたが「まずは今必要な子どもの支援をしたい」。金沢に新たに拠点をつくり、珠洲にも足を運びながら支え続けたいと考えている。 【写真】北沢晋太郎さんが子どもの学習支援などをしていた石川県珠洲市の拠点。1日の地震で室内はものが散乱するなどした(北沢さん提供)
1日午後4時10分、珠洲市では震度6強を観測。津波警報が鳴る中、北沢さんは妻と一緒に長男(4)と長女(3)を抱きながら、近くの斜面を駆け登った。地震後も、直径2メートル以上の岩が「目の前でごろごろ落ちてきた」。
「地方の教育格差なくしたい」思いで移住、「珠洲は第二のふるさと」
長野高校(長野市)から都内の大学に進み、東京で就職。2017年、友人の勧めで珠洲に移住し、デザイン会社をつくった。「地方での教育格差をなくしたい」と、子どもの居場所や学習支援をするNPO法人を仲間と設立。長男、長女も生まれた。「会社やNPOも多くの人が支えてくれている。珠洲は第二のふるさと」と語る。 自宅も近くのNPO拠点も傾いた。支援してきたのは園児から高校生まで30~40人。多くが珠洲の避難所や金沢の親戚宅などに身を寄せ、高校受験を控えた中学生もいる。
保護者の負担減らすため、ショック受けた子どもをケア
被災後、都内のNPOと連携。復旧に当たる保護者の負担を減らそうと、ショックを受けた子どものケアを始めた。今後も多くの人が金沢に避難すると予想され、活動を通じてできた仲間の自宅などで寝泊まりし、新拠点づくりも進める。震災前に事業継承した珠洲の銭湯で被災者が入浴できる整備も計画している。
能登半島では22年に最大震度6弱、23年は同6強と、立て続けに大きな地震に見舞われてきた。今回はさらに大きく「めちゃくちゃになった。とても恋しい場所だけれど、珠洲で生活を再建するなんて今はとても言えない」。 両親が珠洲に残り、金沢に一人だけ避難している中学生もいる。北沢さんは11日、自身の生活の不安をかき消すように、物件探しを急いだ。(佐藤勝)