【300年前の武士が語る人生の心構え】今こそ読みたい、現代のビジネスシーンにも通じる処世訓『葉隠』とは
生きる希望を与えてくれる『葉隠』
こういう時いつも思い出すのはユダヤの民とその歴史です。祖国を追われ流浪すること2000年という歴史は多くの示唆を与えてくれます。ローマでは焼き討ちされ、ナチスではホロコーストに遭い、言葉には言い尽くせない悲劇が連続します。家、土地、金、国家まで奪われても失わなかったものがあります。それは「希望」というダビデの星です。これを思うときいつも私は力がわいてきます。自分の悲運は小さいと思うのです。希望とはそれほど大きな力があり、人が生きていく上でなくてはならないものではないでしょうか。 私にとって、ユダヤ人にとっての希望と同じように生きる力を与えてくれるものが、ほかでもない『葉隠』です。ヨーロッパ人には聖書があるといいます。それはそれでけっこうなことですが、私には『葉隠』のほうがピッタシくるのです。 これほど具体的で現実的なものはないと思うからです。空理空論がまったくないからです。どちらがどうという比較はナンセンスではありますが、私にとっては日本語のほうが肌に合うということです。 さて、その『葉隠』のバックグラウンドについて少々触れてみます。『葉隠』は全11巻1343項におよぶぼう大なものです。この書物は、隠棲した佐賀鍋島藩士・山本常朝(じょうちょう)が7年間にわたって口述したものを、同藩の後輩・田代陣基(つらもと)が筆録しました。常朝は、9歳のときに2代目藩主・光茂公の御側小僧となり、その後、光茂が死去するまで33年の長きにわたってお側に仕えています。 常朝の本望は、家老になって奉公することであり、そのための精神鍛錬として、彼は当代一級の儒者である石田一鼎(いってい)について儒学を学び、湛然(たんねん)和尚には禅を学んでいました。湛然和尚も鍋島家の菩提寺である高伝寺の住職で、誉れ高い高僧でありました。しかし、光茂の死後は出家をし、北山黒土原(くろつちばる)の草庵に隠棲します。