さらば「FUJITSU」 ものづくりを支えた象徴に「時代の流れ」を感じた瞬間
富士通(東京)長野工場だった長野市北尾張部の土地、建物を取得したプリント基板製造などのFICT(エフアイシーティー、長野市)は9日、国道沿いに掲げられた「富士通長野工場」の看板の文字を貼り替えた。半世紀余にわたり北信のものづくりを支えた「FUJITSU」の名前が消え、周囲からは寂しがる声も聞かれた。 【写真①】「FUJITSU」の文字を看板から剥がしていく。工場は長野市の国道沿いにあり「以前は長野県内のものづくりといえば富士通だった。時代の流れを感じる」
同工場は1966(昭和41)年開設。小型・中型コンピューターや磁気装置などの製造を手がけた。ピーク時には約4千人が働いたが、生産の海外シフトや子会社への事業移管などで規模を縮小。2009年のハードディスク事業の再編に伴って、富士通としての同工場での製造は終えていた。売却は11月1日付。
この日は午前9時前から、高さ8メートル余の看板に貼られた赤い「FUJITSU」の文字を、高所作業車に乗った作業員が丁寧に剥がした。その後、貼り直した白いフィルムの上に立体的な「FICT」の文字を取り付けた。
近所の男性(61)は「以前は県内のものづくりといえば富士通だった。寂しいが、時代の流れを感じる」と感慨深げだった。
FICTは富士通のプリント基板事業が源流。経営管理・人事部は「(工場は)北信地方における富士通のものづくりのシンボルでもあった。富士通の思いも引き継ぎ、地域に貢献できるものづくりを続けていきたい」とした。