他人を攻撃してしまう9歳の少女を、“社会から排除”するか、見守るか。2つのドイツ映画が描く「不寛容」
「子どもの居場所」のために大人ができることは?
同じくドイツで製作された『ありふれた教室』は、まさに「問題を抱えた大人たち」にスポットをあてた映画だ。ドイツ出身の新鋭イルケル・チャタクが監督した本作は、ベルリン国際映画祭2部門で受賞、米アカデミー賞国際長編賞にもノミネートされるなど、大きな反響を呼んだ。 ドイツのある中学校で盗難事件が発生し、教師たちは生徒に疑いの目を向け、犯人をあぶり出そうとする。学校側の強引なやり方に反発した新人教師のカーラ(レオニー・ベネシュ)は、ひそかに職員室の様子を撮影し、犯人を自力で探り当てようとする。だがその行動が、同僚や保護者、生徒たち全員を巻き込んだ大騒動へと発展していく。 この学校は、「不寛容(ゼロ・トレランス)教育」を目指し、罪は罪として厳しく追求する方針だという。方針に反発したカーラが、どうにか事態を改善したいと望んだのはたしかに正義感からだろう。だが良かれと思って起こした行動が、ますます事態を混乱させ、あらゆる方向からカーラへと敵意が向けられていく。彼女自身に不用意さと浅はかさがあったことは否定できない。それでも、ひとりの教師がひたすら追い詰められ、逃げ場を失っていく様は、あまりにも恐ろしい。 だが、一番のしわ寄せを受けるのはやはり子どもたちだ。大人たちの思惑に巻き込まれ、本来安全であるはずの学校が、もっとも不安で危険な場になってしまう。いったい何をどこで間違えたのか。サスペンスとしか言いようがない恐ろしい展開を見つめながら、果たしてどのような解決方法があるのか、子どもの居場所を守るには何を優先すべきなのか、考えこまずにはいられない。
月永理絵