曙、初代タイガーマスクとの激闘 そして猪木さんと馬場さん…シン・大仁田厚 涙のカリスマ50年目の真実(57)
50年に及ぶプロレスラー人生で数多くの猛者たちと戦ってきた大仁田厚。 2012年からは元横綱・曙太郎さん(54)と「ノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘルメガトン電流爆破マッチ」などで激突。「でかいなんてもんじゃない。ボディープレスで生まれて初めて胸の骨が折れた。2度目に食らった時にバキッと音がして…。俺もいろんな骨折をしているけど、胸骨骨折はあれが初めて。あれほど痛いものはないよ」と振り返った。 曙さんとの試合で感じ取ったのは、その勇気だった。 「負けた俺が最後に火炎放射をしたんだけど、それを正面から受けた時に、さすがは横綱だと思った。横綱って他の力士に胸を出して、その力を受け止めて勝つものでしょ。決して逃げないところが横綱。試合後に、あの人の真っ黒にただれたおなかを見た時、真っ正面から火炎放射を受けた勇気に恐れ入ったよ」―。 そう振り返ると、「堂々と被弾した曙さんは後で電流爆破に感銘を受けていたと聞いた。みんな、電流爆破をやらないでああだこうだ言うけど、電流爆破のリングの中に入った時の普段とまったく違う緊張感はやった人間にしか分からない。曙さんから感じたのは体のデカさはもちろん、これが横綱の器の大きさなんだっていう感動だった」と続けた。 この年には、自身が全日本プロレスのNWAインターナショナル・ジュニア王者だった時代、ライバル団体・新日本プロレスのスーパースターとして意識し続けた初代タイガーマスク・佐山聡さん(66)とも対戦。24歳の頃、「劣等感で落ち込みました」という思いまで抱いた誕生日も1か月違いの“ライバル”との1974年のレスラーデビューから38年を経ての初対決実現だった。 リアルジャパンプロレスのリングでの「デンジャラス・スペシャル・ランバージャックデスマッチ」に敗れこそしたが、この一戦を「やっぱり、タイガーは試合がうまいと思った」と回顧した大仁田。 「タイガーを電流爆破に引きずり込めなかったのは、人生でいくつかある悔いが残っている点だし、彼もピークは過ぎていたけど、やっぱり戦っている間中、『これがタイガーマスクだ』って思った。強いレスラーとうまいレスラーは違うんだけど、うまいなあって」―。 そう振り返ると、「タイガーは唯一、プライベートで一切、会話していない相手。大仁田劇場の時の(テレビ朝日の元アナウンサー)真鍋(由)さんと一緒だよ。あいさつ以外、言葉を交わしていないから、いまだに佐山さんがどんな人柄か分からない」と付け加えた。 そして、思い出は最後までリング上で対峙(たいじ)することなく終わった「BI砲」にまで及んだ。 22年に死去したアントニオ猪木さん(享年79)とは95年1月4日の新日・東京ドーム大会での電流爆破マッチ実現の一歩手前まで話が進んでいた。 「猪木さんが(ドームに)二つのリングを作って、ハシゴをかけて戦うっていう条件を出してこなければ、俺はやっていた」と39年を経た今、明言した大仁田。 「電流爆破に上がるなら、二つのリングはいらないじゃないですか? 最初から猪木さんは電流爆破に付き合うつもりはなかった。あの人にとって(二つのリングは)『もし、大仁田が普通のリングで生き残れたら、電流爆破のリングに入ってあげるよ』ってメッセージだと受け取った。俺はこざかしいなって思った。猪木さんらしくないなって」と率直に語ると「なんでもかんでもやる人なのに、そういうことを言うから、ちょっと違うなって。もっと、ストレートに言ってほしかった。それで2人とも返答しなくなって、話は潰れちゃいました」と続けた。 「今、思うと、試合が実現しても猪木さんに勝ちはしなかったと思うけど、一つの歴史を破った瞬間にはなったと思います。でも、世の中には実現しなかった夢って、いくつもあるわけだから。とにかく、猪木さんは感性で生きている人だった…」―。 「俺は力道山世代じゃないし、馬場さん、猪木さんこそが目指す人だったから」とつぶやいた「邪道」が、もう一人、電流爆破のリングにあげることを虎視眈々(こしたんたん)と狙い続けたのが、自らをプロレスの世界に導いたジャイアント馬場さん(99年死去、享年61)だった。 FMW全盛時、「俺と電流爆破やりませんか? 馬場さんとだったら国立競技場に7~8万人入りますよ」と誘ったこともあった大仁田だったが、恩師の答えは「お~い、大仁田~。電流爆破って、それは痛いのか~?」だったという。 だが、「馬場さんのブッキングノートっていうのはあって。そこには『大仁田、渕(正信) 電流爆破』って書いてあったと、後に遺品整理した木原(文人)さんから聞いた。自分が電流爆破のリングに上がることは考えていなかったと思うけど、俺がやっている電流爆破を馬場さんが認めてくれたみたいに感じられて…。それが馬場さんの答えなのかなって、そのブッキングノートの話を聞いて純粋にうれしかったです」と、しみじみと回顧した。 「馬場さん、猪木さんとの電流爆破は実現しなかったけど、代わりに新日本プロレス、全日本プロレスというメジャーに電流爆破を持ち込むことができた。電流爆破ってさ。ジュニアヘビーの体格しか持ち合わせていない俺が、さらにひざを粉砕骨折して、FMWっていう弱小団体の中でもがきながら発明したもの。痛みが伝わりやすく、五感に訴えるって言う、いわば飛び道具。俺という人間の、インディー魂がこもった分身みたいな電流爆破が二大メジャーでやれたのは、反骨精神の証みたいで面白いよな」―。 そう言って心底、うれしそうに笑った「邪道」が今、自身が「ウソつき」呼ばわりされる最大の理由である7度の引退、復帰劇について、すべてを語り尽くす。(取材・構成 中村 健吾) * * * * * * 「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。 ※「シン・大仁田厚」連載は毎週金、土、日曜午前6時配信です。
報知新聞社