「あの日」の海上保安官になりたい、初の災害派遣で能登へ 熊本地震を経験「人を助ける仕事がしたい」と決意
「ブルーシートがかかった街並みや壊れた岸壁を見て、あの日を思い出した」。中学生時代に熊本地震を経験した浜田海上保安部(島根県浜田市)の二等海上保安士、中野るいさん(22)が2月、巡視船いわみの航海士補として能登半島の被災地で給水支援に携わった。熊本地震の際に出会った海上保安官に憧れ、採用後初の災害派遣となった。 【写真】能登半島での支援活動に派遣された中野さん いわみは19~22日、伏木港(富山県)から七尾港(石川県)に水を運び続け、各地から支援に来た車両延べ181台へ計425トンを給水。中野さんは操舵(そうだ)のほか、車両へ水を移す作業を担った。 中野さんは中学3年生だった2016年4月、震度6弱を記録した熊本市南区で被災。自宅は無事だったが、家具がすべて倒れるなどしたため、1、2週間避難所で暮らした。 月内に自宅へ戻って片付けを始めたが、断水したまま。巡視船から給水を受けられると聞き、家族で熊本港(同市西区)へ向かった。保安官から「大変でしたね」「大丈夫ですよ」と声をかけられ、ずっと気丈に振る舞っていた母が涙した。つらい気持ちを吐き出せて救われた瞬間だった。「私も人を助ける仕事がしたい」とかみしめた。 高校3年で海上保安学校を受けて不合格。ほかの公務員試験で一次選考を通過していたが「あの日の保安官になりたい」の一念で浪人した。翌年合格し、22年4月に浜田海上保安部へ着任した。巡視船いわみは当時熊本港で給水活動した4隻のうちの一隻。当時の乗組員とともに働く。 今回が初の災害派遣。当初は「早く助けに行きたい」と思う一方で「あの日やってもらえたことが私にできるだろうか」と不安も募ったという。 浜田に戻り「能登の人のことを思うととにかく心が苦しかった。でも、災害現場でちゃんと動けるようになった」と手応えを感じている。「いつまた災害が起きるかもしれない。いつでも動ける状態をしっかりキープしたい」。前を見据えている。
中国新聞社