崩壊直前の1991年6月のソ連にて…「ビッグマックに大行列、ワイロとチップがものをいう…これが社会主義というものだ」
ロシアより愛を込めて #1
1991年ソビエト連邦崩壊。2022年ロシアによるウクライナ侵攻――30年前と現在で、変わったもの、変わらないものとは。1991年から94年にかけて、ソ連崩壊前後の激動の時代をTBSモスクワ支局特派員として過ごした記者・金平茂紀は、ロシアによるウクライナ侵攻直後、30年振りにロシアを訪れた。 【画像】モスクワに1軒だけあったマクドナルド
その体験を日記形式で綴った書籍『ロシアより愛をこめて あれから30年の絶望と希望』より一部抜粋して、「大国ロシア」とそこで暮らす人々の実態をお届けする。
モスクワの夏
前略。 早いもので、ここモスクワに住み始めて3カ月が過ぎてしまいました。今、モスクワは緑が鮮やかでとてもいい季節です。 今実感しているのは僕たちがいかにソビエトのことを知らないかということです。別の言い方をすれば今までいかに「知ったかぶり」をしてきたか。ソビエトに関する数えきれないほどの言説と出会っていたのにそれらが何と空虚に感じられることか。ペレストロイカ。グラスノスチ。急進改革派。保守派。社会主義革命。チェルノブイリ。KGB。ゴルバチョフ。 エリツィン。これらの記号を組み合わせて何かを言ったような気がしても次の瞬間に「だからそんな解釈がさ、何だっていうの?」という声が聞こえるような気がするんですよね。現地の重みというか、そう、言葉以前の生活のリアリティーとでもいうか、うまく表現できないんですけれども。 例えば最近モスクワの街角で物乞いをよく見るんですよね。それから都心をツィガン(*1)と呼ばれている浮浪児たちの集団が闊歩していたりする。僕も一度彼らに取り巻かれてポケットに手を突っ込まれるわ、腕時計を引っぱがされそうになるわ、思わず力を込めて彼らを振りほどいたんですが、よく見ると、彼らはまだ小さな子供なわけです。 裸足だし、髪はボサボサだし、でもものすごく力は強い。何か社会主義という言葉とそういう現実がやっぱり頭の中でどうもうまく噛み合わない。悲惨な現実がこんなに露わでいいのかな、などとつい思ってしまうのです。 さて、こちらの食料事情は飽食日本とは比べる術もないのですが、やはりあるところにはある。けれどもモスクワの市民が正直に公営商店にだけ通っているとろくな食物が手に入らないという目に遭ってしまうみたいですね。今は夏だから、自由市場(ルイノク)なんかに行くと結構ものが豊富ですけど、ロシア人の収入を考えるとメチャ高です。 でも僕らは外国人しかも日本人(ヤポーニェッツ)ですから、こちらじゃ特権階級です。大体の外国人は(といっても出稼ぎに来ているベトナム人とか北朝鮮の人なんかは別ですけど)ハードカレンシー・オンリーの外国人専用のスーパーマーケットで生活用品を買い込んでいます。