「わざわざ聞くのは申し訳ない」は時代遅れ!「多様性」の時代に日本人を縛ってしまう「呪いの言葉」
「分かり合えない」ときのための「対話」
じゃあ、どうすればいいか? 簡単なことだよ。「対話」すればいいんだ。 おじいちゃんおばあちゃんは、「孫に何か買ってやりたいけれど何がいい?」と親に聞けばいい。親は「オーガニックのクッキーがいい」と答えるかもしれない。 君は親と一緒に買い物に行くか、自分の好きな服の写真を見せればいい。 被災地では今、何が求められているか、ネットで調べればいい。分からなければ、ボランティアセンターに電話して聞けばいい。 ほんの何十年か前、日本人が同じものが好きで同じ方向を見ていた時は、「いちいち聞くことはかっこ悪い」「わざわざ聞くのは申し訳ない」と思われていたんだ。だから、みんな先回りして、「相手が欲しいもの」を用意して、「相手が嫌がりそうなもの」を避けてきた。迷惑にならないようにね。 その時代は、なんとなくそれでうまくいった。でも、今はもうそんな時代じゃなくなったんだ。 ちょっと、話が横道にそれるんだけど、ぼくは以前、喫茶店で、隣のテーブルのカップルの片方が相手に向かって「どうして分かってくれないの!」と叫んだ声を聞いたことがあるんだ。 言われた方は、ものすごく戸惑った顔をしていて、言った方は、「信じられない」という顔をしていた。 ぼくはその言葉を聞いて、とても哀しくなった。 だって、「どうして分かってくれないの!」という言葉は、「分かり合えることが当然」で、その当たり前の状態からズレているから怒るんじゃないかと感じたんだ。 つまりは「シンパシー」の世界だよね。自分の嫌なことは相手も嫌だと思うことが当然の世界。 でも、どんなに相手が好きでも、どんなに相手を愛していても、ぼくたちは一人一人違う人間なんだ。 「分かり合えることが当然」と思うんじゃなくて、「分かり合えることが奇跡」と思った方がいいとぼくは思っている。「分かり合えることが奇跡」だから、分かり合えた瞬間はものすごく嬉しいし、分かり合えなくても、それが基本だから、ムカつかなくなる。 分かり合えないことは、残念だしもどかしいけれど、声を荒らげて怒ることじゃないと思えるんだ。 「分かり合えない」時に始まるのは、「対話」だね。 もし、君にやがて恋人ができて、「どうして分かってくれないの!」と叫びそうになったら、「分かり合えることが奇跡」というぼくの言葉を思い出してほしい。 『「多様性」の時代を生きる日本人へ...人間関係が楽になる! 中学生から始められる「エンパシー」を育てる方法とは』へ続く
鴻上 尚史
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