『怪盗グルーのミニオン超変身』の驚くべき挑戦 4作目だからこそ可能になった前衛的な試み
「ミニオン問題」を軟着陸させる結果に
しかし、『怪盗グルー』シリーズにおけるミニオンは、あくまで脇役。イルミネーション作品は、確かにストーリーよりもキャラクターを重視してきたが、さすがに本シリーズでミニオンがグルー級の重要な役割を果たしてしまったら、収拾がつかなくなってしまう。そんな事情とは裏腹に、数字の取れるミニオンを主要登場人物よりも前面に押し出したいという会社や宣伝の都合や、とにかくミニオンを観たいという観客からのプレッシャーが、脚本家やスタッフたちにのしかかっているのも事実だろう。この制作上のやっかいな状況を、ここでは「ミニオン問題」と呼びたい。 ミニオンのファンのために今回用意したのは、「メガミニオン」という新機軸だ。「アベンジャーズ」や「ファンタスティック・フォー」よろしく、反悪党同盟の基地でさまざまなスーパーパワーを持つに至った、特別なミニオンたちが能力を発揮するのである。そして、宣伝ではあたかもそれが最大の目玉のように表現されている。だが、そんなメガミニオンたちの物語は、あくまでもサイドストーリーとして位置づけられ、それなりの尺が用意されつつも、なんと今回のメインストーリーに合流して大活躍を遂げるわけではないのだ。この驚きの施策が、本作最大のサプライズだといえるだろう。 確かに、これまでのシリーズでも、ミニオンたちはクライマックスにおいて、そこまで決定的なはたらきをしてきたわけではなかった。だが、これまで以上に大きな扱いを受け、脚本上でも活躍を期待させる描き方がなされた本作において大きな活躍をしないというのは、少なくとも娯楽大作映画では、ほとんど類を見ない趣向なのではないか。 従来の脚本のセオリーから考えると、明らかにバランスが奇妙だ。鳴り物入りで登場するメガミニオンたちは、当初は期待されながら実地訓練で全く役に立たないという失意を味わっている。そういう展開にしたのであれば、クライマックスで失敗を帳消しにするような大活躍を経て、カタルシスへと至るべきなのだ。しかし、そのようなお膳立てをわざわざ用意した上で、本作は意識的にハシゴを外しているのである。これはストーリーの定型を破壊する、映画本編を使った壮大なギャグだといえる。このような前衛的といえる試みは、4作目だからこそ可能になった遊びなのかもしれない。 ミニオンには大きな見せ場を与えたいが、『怪盗グルー』シリーズでは本筋に大きな影響を及ぼす存在にはしたくない……。これが、作り手たちの偽らざる本音であり、葛藤であったはずだ。そしてそれは本来、作品を作る上ではネガティブな要素となってしまう。だが、それ自体をギャグとして表現するという奇策を取ることで、問題を逆にポジティブな方向に転がそうとしたのが、本作だと考えられるのである。このほとんど類を見ない本編の構成によって、いまや大スターになったミニオンの見せ場を作りつつ、同時にグルーの物語を守ることが両立した。まさに「ミニオン問題」を軟着陸させる結果に至ったといえよう。そう思えば、メガミニオンを前面に出した宣伝そのものもひっくるめて、笑える要素になり得るのだ。 本作の脚本は、ほとんどミニオンという存在を“隔離”したという意味でいびつではあるものの、確かに本筋ではグルーの物語を過不足なく描けている。こういったクリエイターのフレキシブルな姿勢は、“ストーリーの充実”と“キャラクターの見せ場”といった、ときに相反する魅力の表現に悩まされるアニメーション映画の業界において無視できないものではないだろうか。 とくにTVアニメの劇場版では、複数の人気キャラの見せ場を作ることがほとんど義務化している場合があるが、そういった内容を無理に本筋とつなげて意味のあるものにしようとすると、ストーリー自体が往々にして、散漫で大味なものになってしまいがちだ。今回の『怪盗グルーのミニオン超変身』における「ミニオン問題」への対策は、そんな業界全体のジレンマを解消する一つの手段として、有効なものだと考えられるのだ。
小野寺系(k.onodera)