今春、相撲部屋に入門する太秦中出身の隍新太さんのしこ名は"太秦" 「努力したら誰でも報われるものはある」
この春に卒業し大相撲の部屋への入門を決めた中学生がいます。 その決断の理由とは... 幼児から小学生までが相撲に励む京都相撲教室。 京都市内の小学校などの土俵を借りて、週に2回、練習を行っています。 「はっきよい」 「もういっちょお願いします」 時に涙を流し、己に打ち勝とうとするちっちゃな力士たち。 この京都相撲教室で7年間稽古に励み、今年の春に大相撲の伊勢ノ海部屋へ入門する隍新太(ほり・あらた)さん。 大きな決断をした理由とは・・・? 【声】太秦中3年 隍新太さん 「毎日相撲をとれることがうれしくて楽しい。 それで相撲部屋に入ることを決めた」 これまでは土俵で相撲をとれる日は限られていた隍さんは、去年の夏、特別な体験をしました。 名門・伊勢ノ海部屋に1週間泊まり込み、相撲付けの毎日を送ることで、相撲への思いがさらに深まりました。 伊勢ノ海親方も隍さんの才能に太鼓判を押します。 【声】伊勢ノ海親方(元幕内北勝関) 「身体もかなり大きなって、あとは伸び代しかない。 一生懸命稽古をしてみなさんの期待に応えられるように頑張ってくれると思う」 そんな隍さんは、幼い頃、よく女の子に間違えられたといいます。 相撲との出会いもほろ苦いものでした。 【声】太秦中3年 隍新太さん 「校内の相撲大会で小さい子に負けたのが悔しかったので、相撲教室に入った」 【声】母・隍文子さん 「悔し涙をみたことなかったので、そのときちょっとびっくりしました」 負けた悔しさが相撲にのめり込むきっかけとなりました。 来る日も来る日も強くなるために押しを磨き、土俵で汗を流しました。 隍さんの努力は徐々に報われていきます。 4年生のときには、わんぱく相撲で京都代表として全国大会に出場するなど、さまざまな大会で入賞を重ねてきました。 隍さんの相撲への情熱を支えたのは家族でした。 【声】母・隍文子さん 「から揚げするときは4~5キロ 揚げる、 ひたすら揚げる。 相撲始めてから大量に作るようになって7年くらい経つ。 すごく食べる。 努力して胃を大きくしたから」 「いただきます」 食べることが大好きという隍さん、現在、身長は182センチ、体重は120キロ。 母・文子さんは中学の3年間、毎日、特大サイズのお弁当を作り、身体づくりを支えました。 大きく成長したとはいえ、隍さんはまだ15歳。 文子さんは「高校へ行かずに相撲部屋へ入門したい」と聞いたときは、少し戸惑ったといいます。 【声】母・隍文子さん 「ほんとにそれで大丈夫?と言った。 本人が相撲一本でいきたいと言ったので、応援するしかないなと。 基本自分で決めるように無理強いはしないようにしています。 今まで一緒にしてきた仲間や先生、後ろに応援してくれている人がいることをわかって、少しずつ頑張っていってほしい」 2月、隍さんの入門を前に伊勢ノ海親方らが太秦中学校に挨拶に訪れました。 そこで隍さんは、親方に今後の飛躍を誓いました。 【声】太秦中3年 隍新太さん 「早く上にいけるように頑張りたい」 そして3月初旬に伊勢ノ海部屋の京都出身力士の激励会が行われ、緊張しながらも、支援者らを前に堂々と挨拶しました。 このあと、隍さんは角界へと旅立ちました。 太秦の土俵で、涙を流しながら始まった相撲人生。 3月2日の新弟子検査に合格し、10日から始まった大相撲春場所の前相撲で初土俵を踏みました。 しこ名は「太秦」。 後輩たちにとって隍さんは憧れの存在です。 【声】少年① 「新太君のような後輩に頼られるようないい人になりたい」 【声】少年② 「大相撲にいってもがんばってください。 僕もここでがんばるので応援しています。 今までありがとうございました」 そして先週、卒業式に参加するため一度、京都に帰ってきた隍さん。 プロの世界に足を踏み入れ、少し大人びた様子で、今後の目標を語ってくれました。 【声】太秦中3年 隍新太さん 「"努力"です。 努力したら誰でも報われるものはある。 「努力」と書きました。 みんなより人一倍ごはんを食べて練習をして、いろんな人の言うことを聞いて、どんどん強くなっていきたい」