なぜ中日は九州の無名投手と“相思相愛”に…中田賢一の獲得成功は『ウワサ』の効果か 他球団の横やり少なく
◇中田宗男の「スカウト虚々実々」 スカウト歴38年、元中日の中田宗男さん(67)が今回振り返るのは、北九州市大の中田賢一投手(現ソフトバンク1軍投手コーチ)を指名した2004年のドラフトだ。他球団が自由枠候補として高く評価していた“暴れ馬”を、なぜ2巡目で獲得することができたのか。そこには、虚と実が入り乱れた「遠い親戚かもしれない作戦」があった―。 2001年の秋。北九州市大の徳永政夫監督から電話がかかってきました。 「おい、中田。オレとの約束を覚えてるか?」 私とは日体大の同期生。仲の良さから、私は激励の思いを込めてこう「約束」していたのです。「おまえが全国大会に行けたら、神宮球場を逆立ちして一周する」と。電話の声は楽しそうにはずんでおり、詳しく聞けば「すごい1年生が入ってきた」。すぐに九州担当スカウトと視察に向かいました。その場で、私は徳永監督に「約束を撤回させてくれ」と頭を下げました。それが中田との出会いでした。 中田を語る上で欠かせないのは4年春の九州六大学リーグ優勝決定戦。福岡大、久留米大とのともえ戦のため、勝ち上がるには連勝が必要です。頼れる投手は中田だけ。その状況で中田は完投からわずかな休憩をはさんで再び延長11回を完投。何と1日で20イニングを投げきったのです。ついに全国大学野球選手権へ。こうなると、地方の公立大学とはいえ、もう他球団に隠すことはできません。評価は急上昇。しかし、中日は指名方針を固めており、相思相愛。自由枠を使えば横やりが入る余地はなかったのですが、こちらにも事情がありました。 以前に書きましたが、神奈川・横浜高の涌井秀章を1巡目候補として評価しており、そのためには自由枠を使うわけにいかなかったのです。涌井をほしい。中田も絶対に譲れない。さて、どうするか。あれは夏ごろ。某記者からこんな質問を受けました。 「北九州市大の中田選手って、中田さんの遠縁なんですか?」 存在を知ったいきさつからもわかるように、同姓なのはたまたまです。しかし、無名だった九州の投手に、なぜか中日がいち早く調査に動き、これまたなぜか本人も入団を望んでいる。これは私と血縁関係があるからでは…。この“虚”をこちらから積極的に流したかどうかはここでは書きません。しかし、私はこの質問に対してあいまいに答えることで“実”も隠しました。このウワサの効果はわかりませんが、広まったこと、そして、警戒したほどは他球団が横やりを入れてこなかったことは確かです。 通算100勝。1550イニング1/3を投げ、621個もの四球を与え、暴投も70。「コントロールに難がある」という見方もあるでしょうが、どんなに四球を出してもストライクを取りにいかない、いわゆる置きにはいかないのが中田の強みでした。大学4年の優勝決定戦でも、300球以上投げながら球威は最後まで落ちませんでした。まさしく無尽蔵のスタミナ。落合監督は「暴れ馬」と呼んでいましたが、私は褒め言葉だと思っています。いい打者ほど、中田のような的を絞れない投手を嫌がるもの。大きな故障もなく、存分に暴れてくれた“名馬”でした。(中日ドラゴンズ・元スカウト) ▼中田宗男(なかた・むねお)1957年1月8日生まれ、大阪府出身の67歳。右投げ右打ち。上宮高から日体大をへて、ドラフト外で79年に入団した。通算7試合に登板し、1勝0敗で83年に引退。翌84年からスカウトに転じ、関西地区を中心に活躍。スカウト部長などを歴任し、立浪、今中、福留など多くの選手の入団に携わった。
中日スポーツ