故・中尾彬の“21歳の頃”があまりにもかわいい。近年の“憎まれ役“も愛された理由
中尾彬は「かわいい」!
実際、デビュー時の中尾はかなりキュートだった。映画デビュー作は『真昼の誘拐』(1961年)だが(クレジット無しのデビュー作は1961年公開の『青い芽の素顔』)、彼が本格的に輝いたのは、デビュー作と間違えられる『月曜日のユカ』(1964年)だ。 石原裕次郎の出演第2作にして初主演映画『狂った果実』(1956年)の中平康が監督を担当。共演は加賀まりこ。公開時、中尾は22歳。加賀が21歳のときの作品だ。 同作冒頭。横浜の港に大型船が入港する。すぐ近くにいる修(中尾彬)が、「商売、商売、稼がにゃ」と言う。これが中尾の第一声。続けてユカ(加賀まりこ)が修の背中に貝殻がついていると指摘し、修が「取ってくれよ」と言うと、ユカが「かわいいの」と言って取ってやる。 画面上ではまだふたりの背中しか写っていない。中尾扮する修への第一印象は、そう、加賀が代弁(実況)してくれるこの「かわいい」に集約されている。次の場面で、修が外国人相手にジャスチャーして商売すると、やっと中尾の正面が写る。それを見た当時の観客たちは、なるほど確かに「かわいい」と思ったことだろう。
若者世代がギャップ萌え
中尾彬がかわいいだって!? 晩年の中尾の姿を想像すれば、いぶかしく思う人もいるかもしれない。でも中尾彬に対するかわいいは、若い時分に限定されるわけではない。 令和に改元されて以来、民放各局はさかんに昭和と令和の世代間ギャップを比較する番組を放送しているが、老年期の中尾は、そうしたバラエティ番組出演がおなじみだった。年配者と若者との対立図式が面白おかしく描かれ、ひな壇上の中尾が大抵、頑固な、ザ昭和世代のキャラクター代表を引き受けていた印象がある。 若者世代のタレントに容赦なく噛みつき、あえて嫌味に振る舞う。ヒートアップしたあとには、ちょっと照れたように微笑んでもみせる。これが中尾の粋なところ。それを見た若者世代は昭和世代の頑固なステレオタイプを演じるかのような中尾をどこかで、愛おしさも込めてかわいいと感じたのではないだろうか。 愛おしいの語源は「厭う(いとう)」(嫌う)にあり、かわいいは「可哀想」の変化系と言われる。つまり、嫌味っぽく見える晩年の佇まいは、愛おしさの反語的なスタイルであり、それが単なる頑固ジジイの哀感にならずにかわいいへと転じる。 『月曜日のユカ』をリアルタイムで知る世代には当然かわいい中尾の姿が原点にあるが、それを知らない令和のZ世代なら、嫌味といたわりが響き合う中尾の複合的なかわいさに思わずギャップ萌えだったはず。