“ヤンキー姉”志築杏里、中学退学からブレイキングダウン出場、アイドル…波乱万丈な人生
度肝を抜かれた”アイドル業”
──芸能に仕事というのは、基本的にモデル? 杏里 グラビアタレントということになるのかな? バラエティ番組に出させてもらったり、水着で撮影会やったり……。ただテレビには出ていましたけど、関西限定だったんですよ。だから派手に活躍するというより、“地元界隈で細々と”という感じでした。それで25歳のとき、『ケンコバのバコバコテレビ』(サンテレビ)という番組の中でアイドルを作るという企画があったんです。 ──それがTEN6ですね。失礼ですが、25歳でのアイドルデビューってかなりの遅咲きだったのでは? 杏里 はい。だから、そこで3歳サバ読んだんです。でも、のちにBreakingDownに出るようになってから年齢詐称がバレて赤っ恥をかきましたね。Yahoo!ニュースとかにも載るし、よもや35歳になって公開処刑されるとは思いませんでした(苦笑)。 ──実際のアイドル活動は、いかがでしたか? 杏里 正直、私はアイドルのことなんて何もわからなかったし、大して興味もなかったんです。そもそも最初は“ダンス&ボーカルユニット”という話だったんですよ。だけど実際に受かったらライブハウスは、これまで関わったこのとない人々だらけで、「なんなん、この空間!?」って度肝を抜かれて……。だから最初は「無理! 向いてなさすぎる!」と思ったんですけど、やっているうちにだんだん楽しくなってきたんですよね。 ──なんだかんだ言って、ハマっていたんでしょうね。 杏里 そうかもしれない。7年もやっていたくらいですしね。まぁ最終的にはクビになってしまうんですけど(笑)。 【あわせて読む】ヤンキーからアイドル、経営者へ…志築杏里「1,500万円借金したときは1週間震えてました」
小野田 衛