人気漫画『ゴールデン・カムイ』で注目される北海道の先住民族アイヌとは?
アイヌの人びとが暮らした地理的範囲
ところで、アイヌの人びとの暮らした地理的範囲は、どこであったか。歴史的な最大範囲をいうならば、アイヌ語地名のみられる地域がそれにあたる。本州の東北地方北部、北海道、サハリン島の中・南部、ならびに千島列島全域がそれにあたる。東北地方のアイヌ語地名のいくつかは、すでに1200年以上まえの日本の古典に記録されている。 江戸時代には、本州でアイヌの人びとの暮らす集落は、本州北端部の津軽・夏泊・下北の三半島北部に限られていた。江戸時代後半の19世紀初頭までに、その地を治めた盛岡藩・弘前藩が、相次いでアイヌの人々に対する民族別編成を廃したため、その実態は記録の上で確認ができなくなる。いわゆる「本州アイヌ」の言語や文化を詳しく知ることは、難しい。 『ゴールデン・カムイ』に描かれるような伝統的な社会を形成したのは、北海道のアイヌ社会だ。江戸時代には、北海道唯一の藩である松前藩を通じ、日本の社会や市場と深い結びつきを持ちつつ、その文化は磨かれてきた。18世紀後半にロシアがウルップ島に根拠地を築いたこともあり、北海道アイヌの文化は国後島・択捉島までをその範囲としている。 ウルップ島以東の千島列島のアイヌ社会は、18世紀以降、ロシアとの関係を深く持った文化を形成した。19世紀初頭の記録によると、ハリストス正教の洗礼を受け、クリスチャンネームを名乗ることが既に一般化している。 サハリン島のアイヌ社会は、伝統的に、中国と日本の双方との関係をうまく使い分けた。18世紀末、サハリン中部ナヨロのヨーチテアイノという有力者は、アムール川下流域の清朝の役所から官職を得て「楊忠貞」という中国名を名乗るとともに、しばしば北海道の北端・宗谷へ渡り、松前藩の役人と対面し、日本商人と中国産品の交易を行っている。いわば、日清間の中継交易のプレイヤーとして振る舞った歴史を持つのである。 このようにアイヌの社会は、古くからの伝統をベースに、日本・中国・ロシアとの交流を持ちつつ、その独自の言語・文化の個性を紡いできた。近代以降は、日本への同化を強いられつつも、その個性をつなぐ努力が重ねられ、現代に至っている。その過程で、ロシアとのたび重なる国境の変転にともない、サハリンのアイヌ文化は主に北海道で継承の努力が払われている。その一方、千島アイヌの言語・文化の継承者を残念ながら失ってしまったという重い歴史を、日露両国の近代史が持つことも、忘れてはならないだろう。 次回以降は、こうした歴史を踏まえつつ、アイヌ社会の伝統的な歴史・文化・生活や現在の法制度等について、いくつかのトピックを挙げつつ、その豊かな個性のさまざまにつき、紹介していきたい。 (北海道大学大学院 文学研究科 准教授 谷本晃久)