発見された酒米「やっと希望が見えてきている」地震で被災した輪島市の酒蔵から運びだされる 石川県内の酒蔵が設備を提供
能登半島地震は奥能登の多くの酒蔵にも甚大な被害を及ぼしています。被災した酒蔵に酒造りの場を提供しようと、石川県輪島市の酒蔵で被害を免れた酒米が、小松市に運び込まれました。 【写真を見る】発見された酒米「やっと希望が見えてきている」地震で被災した輪島市の酒蔵から運びだされる 石川県内の酒蔵が設備を提供 Q.酒米が見つかった時の状況について 「いやぁ、うれしかったです。その時に初めてお米が大丈夫だったんだとわかったので」 明治元年に創業した輪島市鳳至町の中島酒造。 木造二階建ての母屋と酒蔵の一部が地震で崩れるなか、蔵元杜氏の中島遼太郎さんが気になっていたのは日本酒の材料となる酒米でした。 震災から17日後、一部の酒米が無傷で発見されます。中島さんは一筋の希望を見出しました。 中島遼太郎さん「(発災時は)もうどうしよう、できれば逃げ出したい気持ちだけだったが、やっとお酒にできるという希望が見えてきているので、必ずいい物を作って皆にお届けできるようにしたい」 「この酒米をお酒にしてあげたい」 中島さんの思いに応えようと、多くの人たちが動き出しました。 ■地元で支える…立ち上がった石川県の酒蔵、精米業者 2月5日。中島酒造に入ってきた一台のトラック。トラックを出したのは先代から付き合いがある金沢市の精米業者でした。行われたのは酒米の運び出しです。 池上商店・池上亮太専務「大丈夫やと思います。問題はなく、特に(異物が)混ざったりもしていないので」 約3トンの酒米を積み込んだトラックは、翌日に小松市の酒蔵に運び込まれました。県酒造組合連合会の呼びかけに応じた杜氏もまた、地震の被災者でした。 東酒造・二見秀正 杜氏「結果は結果なので。うちは(珠洲市の家が)潰れているので出来ることをしてあげればいいのではないかと。やりたいこと、酒造りをやっている間でも、忘れられればいいのかなと思う」 取材中に繋がった中島さんからの電話には感謝の思いが込められていました。 電話口の中島さん「いろいろとまた、ご指導のほどお願いします」 二見さん「待っとるから」 前に進むために少しずつ広がる支援の輪。 9日からは中島さんが蔵に入り、自ら今年の新酒を手掛けるということです。
北陸放送