朝が苦手で、14回も転職… 休載しまくって横溝正史に怒られていた江戸川乱歩
『怪人二十面相』や『人間椅子』など、推理小説・怪奇小説の名作を数多く残した江戸川乱歩。じつは、作家となるまで、14ほどの職業を転々としていたという。そのすさまじい職歴をみていこう。 ※本稿は、文豪100人のこじらせた素顔を紹介する書籍『こじらせ文学史』より一部を抜粋・再編集したものです。 ■46回の引越し、14回の転職 乱歩は生涯で46回も引越しをしたという。立教大学近くの古い一軒家の土蔵で執筆していたのは有名な話だが、これは乱歩が東京で2番目に転居した家で、家賃90円、現代でいうと2万円くらいの貸家だった(家賃に関しては、1円=2500円説で換算)。昭和9年(1934)から没年までを過ごしている。 早稲田大学予科時代には政治家を志していたが、衆議院を見学したとき、殴りあう議員たちに幻滅して断念。同大学政経学部卒業後は仕事を転々としていた。内にこもりがちな性格だったのに加え、人嫌いな乱歩にとって、朝から定時まで働くという生活は困難だった。とりわけ朝に起きられない性分もあって、仕事が長続きしないのだ。 作家業を天職とするまで、かれこれ14ほどの職業を転々としたが、造船所の社内報の編集、漫画雑誌の編集、新聞記者、新聞広告部員などのほか、文京区・団子坂で古書店「三人書房」を弟2人と経営したこともあった。 チャルメラを吹きながらラーメン屋台を引いてまわったり、高田馬場で下宿「緑館」を開いたり、ポマード工場の支配人にもなった。これらの自営業のほかは、弁護士事務所の手伝いや貿易会社の社員などサラリーマンにもなってみたが、続くわけもなかった。 ■作家としての江戸川乱歩 乱歩にとっては作家が天職だったが、それは休業が比較的かんたんに許される職種だったからのようで、創作活動を行った31年間のうち17年間を休筆していたという。「休載だらけではないか」と元・編集者だった推理作家・横溝正史から猛批判されたこともある(のちに横溝が謝ってきたので和解した)。 谷崎潤一郎の大ファンで、ことあるごとに対談を申し込んだが、美しいものにしか興味がない谷崎からはことごとく無視されている。 ほぼ唯一、まじめに続けられていたのは三味線の稽古だけで、めきめきと腕をあげていった。もともと、ピアノを弾いて小説の構想を練る西洋人の作家がいると聞き、三味線を選んだだけだったのだが……。 (※本稿は、書籍『こじらせ文学史』の一部を抜粋・再編集しています) 画像出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
堀江宏樹