「もう劇団はいいや」と飛び出した…「焼肉ドラゴン」の67歳・劇作家が再び劇団を旗揚げした理由
舞台の配信は「限界がある」
――今はスマホで動画配信などを見ることができる一方で、生のライブや芝居を楽しむ人も増えています。 正直なところ、舞台の配信に関しては、限界があると思います。イギリスのナショナルシアターなどは世界配信のために多くのカメラを使い、角度を変えて撮影していますが、日本の配信は少ないカメラでほぼ固定して撮るだけです。2000~3000円を払って配信を見るよりも、少し値段が高くても、生の舞台を見たいという欲求が強くなってきていると思います。 ――それは作り手としては、嬉しいことですね。 演じ手としても、お客さんがいて、生で笑ってくれたり、泣いてくれたり、拍手してくれたりするのは本当にありがたいことだと思います。お互いが相乗で舞台を作っていくという“関係性”があります。心の交流というか、お互いに“キャッチボール”をしているような感覚ですね。 ――制作意欲というのはいつになっても変わらないですか。 制作意欲というよりも、求められればどこでも行ってやりますよっていう感じですね。 ――意外と淡々としていますね。 昔からそういうスタンスでずっとやってきたので。流されるままにという感じです(笑)。 ――その中でも、ターニングポイントになったことはありますか。 「焼肉ドラゴン」は僕にとってターニングポイントでもあったし、劇団「ヒトハダ」をやろうってなった時も一つのターニングポイントですね。この年になって劇団を作るとは思ってなかったです。 ――劇団を作ることは予測していなかったのですね。 はい、「もう劇団はいいや」って、以前に飛び出してきましたから。あれから何十年も経っています。でも、また新たにみんなで一緒にやりましょうって感じになりました。やれるところまでやって、ダメだったら解散すりゃいいやという話です(笑)。それほど深く考えていなくて、楽しいことを楽しい仲間と一緒にやれればいいやって思っています。 ――目標とかはありますか。 いえ、あまり……(笑)。演劇革命を起こそうとか、そういう気持ちはみんな、ないと思います。この劇団には、そんな大それたものはありません(笑)。 ――集まって面白いことがやれれば、という感じでしょうか。 そうですね。自分たちは面白いことができるっていう確信を持っているし、実際いろんな場所で活躍している人たちばかりですから。ただ、それでもここに帰ってくる場があった方がいいなということで、劇団を作りました。 インタビュー前編では、最新公演「旅芸人の記録」について語っている。 鄭義信 1957年7月11日生まれ。兵庫県出身。1993年に「ザ・寺山」で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。その一方、映画に進出して、同年、「月はどっちに出ている」の脚本で、毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。1998年には、「愛を乞うひと」でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第一回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞など数々の賞を受賞した。2008年には「焼肉ドラゴン」で第8回朝日舞台芸術賞グランプリ、第12回鶴屋南北戯曲賞、第16回読売演劇大賞大賞・最優秀作品賞、第59回芸術選奨文部科学大臣賞、韓国演劇評論家協会の選ぶ2008年今年の演劇ベスト3、韓国演劇協会が選ぶ今年の演劇ベスト7など数々の演劇賞を総なめにした。 2014年春の紫綬褒章受章。近年の主な作品に「泣くロミオと怒るジュリエット」(2020・作・演出)、舞台「パラサイト」(2023・台本・演出)、「欲望という名の電車」(2024・演出)、音楽劇「A BETTER TOMORROW -男たちの挽歌-」(2024・脚本・演出)など。また、2022年に自身の劇団「ヒトハダ」を立ち上げ旗揚げ公演「僕は歌う、青空とコーラと君のために」(2022・作・演出)を上演。 デイリー新潮編集部
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