鎌田大地が「あそこまでの選手になるとは」 元U-17日本代表が「別格」に感じた10代の頃の可能性
プロ入り当初からずば抜けていた鎌田のメンタルの強さ
また、鎌田は監督に対してもはっきりと自分の考えを伝えていた。森下仁志監督(現ガンバ大阪コーチ)に対して自身の起用を訴えたエピソードは有名だが、その現場に平氏はいたという。 「ちょうど僕と自主練をしている時だったんです。リフティングとか、パス交換とかを軽くやっていた時に、アイツだけ監督に呼ばれて、少し離れたところで話をしているんですけど、その会話が聞こえていたんですよ(笑)。『どうしてスタメンで使ってもらえないんですか?』と」 3歳年下の鎌田について、「たしかに技術は高かったんですけど、その頃は今のような選手になるとは思っていなかったですし、『凄いことを言うな』と思いました」と目を細めた。 「でも、今の姿を見ると『彼くらいのメンタルがないと、上にはいけないんだな』と感じますよね。その発言をして、次の週だったかな? 松本山雅FC戦でベンチ入りして、そこから途中交代で使ってもらって点も取るようになって、そこからはもう一気にガッて上がっていきましたね」 地元の高校から鳥栖に加入した平氏も、大きな期待を集めていた。文字どおり「真横」でレギュラーに駆け上がっていく鎌田を見ていた平氏だが、「俺にはそんなメンタルがなかった」と、真似をすることはできなかったと頭をかいた。 「中学、高校と中心選手でプレーさせてもらって、王様のように育ってきたので。それがプロに入ってからは、ミスに対してすごく言われたんです。それで1年目くらいは、ボールを欲しくなくなっていましたね。それを乗り越えられないまま、毎日『練習、早く終わらないかな』と思って過ごしていました。当時のクラブは今ほど整備されていなかったので、唯一の高卒ルーキーだった僕が、雑用も何から何までやらないといけなかった。楽しかったサッカーが、仕事になってガラッと変わりましたよね。全然違いました」 プロに入ってから自身が苦労を重ねていただけに、平氏にとってはまだ10代だった若かりし日の鎌田は、余計に別格に思えたのだった。 [プロフィール] 平秀斗(ひら・しゅうと)/1994年6月25日生まれ、鹿児島県出身。佐賀東高―鳥栖―群馬―福島。J2通算10試合0得点、J3通算26試合3得点。プロではFWでスタートしたのち、鳥栖ではリーグ戦の出場機会に恵まれず、2016年に期限付き移籍した群馬でサイドバックに転向してJリーグ戦デビューを果たす。その後福島で2年間プレーして、24歳で現役引退。2018年に牛飼いへ転身し、実家の畜産業を継いだ。
河合 拓 / Taku Kawai