山本奈衣瑠の主演映画「走れない人の走り方」公開、黒沢清・諏訪敦彦らが称賛
第19回大阪アジアン映画祭のインディ・フォーラム部門に出品された映画「走れない人の走り方」が、4月26日より2週間限定で東京・テアトル新宿にてレイトショー上映されることが決定。このたびポスタービジュアル、予告編、黒沢清ら映画監督のコメントも到着した。 【動画】第19回大阪アジアン映画祭で上映される「走れない人の走り方」予告編はこちら 台湾出身の監督・蘇鈺淳(スー・ユチュン)の初長編映画であり、劇場デビュー作となる「走れない人の走り方」。ロードムービーを撮りたい映画監督・小島桐子を主人公に据え、予算やキャスティング面でさまざまなトラブルが起こる中、映画と生きる人々の姿が描かれる。桐子役で主演を務めた山本奈衣瑠は「走れない人の走り方で走ります。切実すぎてどこか笑えて真っ直ぐな愛おしい映画です」、蘇鈺淳は「映画に関わる人たちしか共感できない話ではなくて、何かを作っている人、好きなことをやっている人に届けることができたら嬉しいです」と語った。 もともと台湾で映像を学んでいた蘇鈺淳は、諏訪敦彦の監督作「2/デュオ」を観たことをきっかけに、東京・東京藝術大学大学院映像研究科への留学を決意したという。入学のために制作した短編「豚とふたりのコインランドリー」はPFFアワード2021で審査員特別賞を受賞している。「走れない人の走り方」について、同研究科の元教授でもある黒沢は「こんな可愛い映画が芸大のシステムの中から生まれてくるとは思ってもいなかった。可愛いというのは、隅々まで気配りの行き届いた画面の中で、登場人物たちの善意が気持ちよく機能するドラマに見る側が一切の不自然や誇張を感じない状態を言う」と称賛。現在も教授として勤める諏訪、筒井武文のコメントは下記の通り。 YouTubeで公開された映像には、桐子らが映画を制作する様子や、「撮りたいなあ」とつぶやく桐子の姿が映し出される。ビジュアルには、海を背に立つ桐子と「私はどこだ。前はどっちだ。」というコピーが並んだ。山本のほか、早織、磯田龍生、BEBE、服部竜三郎、五十嵐諒、荒木知佳、村上由規乃、谷仲恵輔、綾乃彩、福山香温、齊藤由衣、窪瀬環、平吹正名、諏訪もキャストに名を連ねている。 ■ 蘇鈺淳 コメント 映画についての映画、どの監督でもやってみたいテーマのような気がします。以前「初長編でなぜそれをテーマに選んだのですか」と聞かれたことがありました。その時、こう思ったんです。三日坊主の私にとって、映画はいつまでもやり続けたい唯一のものだからだ、と。 ただ、「走れない人の走り方」は、映画に関わる人たちしか共感できない話ではなくて、何かを作っている人、好きなことをやっている人に届けることができたら嬉しいです。この作品を観て、少しでも勇気を感じていただけたら、それだけで十分です。この作品を支えてくださったスタッフの皆様、魅力的なキャストの皆様の素晴らしさをぜひ劇場で観ていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 ■ 山本奈衣瑠 コメント 映画の眼差し。 この「走れない人の走り方」は 桐子の眼差しそのもので、 82分通してスクリーンに出てくる 出演者それぞれの眼差しであり、 そして紛れもなく蘇監督の眼差しそのものなんだと思います。 大丈夫だからそのまま走りなさい。 桐子の大事なアイテムである貯金箱の中を光らせよう! と現場で監督が言った時、 この作品に関わる私達も 見て頂ける皆さんも、 今日も何処かで桐子の様にため息をついてる誰かにとっても大事な光になるなと思いました。 走れない人の走り方で走ります。 切実すぎてどこか笑えて真っ直ぐな愛おしい映画です。 ■ 黒沢清 コメント こんな可愛い映画が芸大のシステムの中から生まれてくるとは思ってもいなかった。可愛いというのは、隅々まで気配りの行き届いた画面の中で、登場人物たちの善意が気持ちよく機能するドラマに見る側が一切の不自然や誇張を感じない状態を言う。ひとえに蘇の卓越した個性と欲望によって成し遂げられたのだろうが、美術と撮影の達成度も半端ではない。私には到底できそうにないが、ヒットする映画とはこういうもののことを言うのだと思う。だとしたら、蘇は今メジャーな商業映画にきわめて最も近いところにいる。楽しみだ。 ■ 諏訪敦彦 コメント 切実さと、軽さが奇妙に混ざり合った「撮りたいなぁ」というキリコの呟きが、不思議な説得力を持ってこのフィクションを支えている。ロード・ムービーを撮りたいという彼女の望みは、さまざまな困難に直面し、その葛藤が物語を進めもする。しかし、金がないとか、主役が決まらないなどという危機は、猫のみどりが行方不明になる以上の深刻なものではない。さまざまな人物が登場し、時にふとすれ違っただけの見知らぬ誰かにカメラはついていってしまう。誰にでも物語があり、映画の登場人物になりうるのである。みどりの演技も素晴らしいが、さながら人間図鑑のように登場する俳優たちがみな魅力的だ。蘇鈺淳が心を砕くのは、克服すべき困難を描くことではなく、すべての人物をただ肯定することではないだろうか。「私は一人ではない」そういう世界を映画の中で実現すること。それが必要なのは、現実の世界が悲しみや危うさに満ちているからではないか? やがて蘇自身までが画面に現れ、通りすがりの少年に「笑って」とカメラを向ける。「笑って」その世界への呼びかけこそがこの映画の魂に思える。 ■ 筒井武文 コメント 監督の蘇鈺淳は台湾出身であり、この世界の在り様に関係してもいるだろう。それを外部からの視線というのも、ちょっと違うのだが、少なくともこの日本の情景がどこかずれて見える。そこが、「走れない人の走り方」の魅力にもなっている。映画を作りたい女性監督桐子とそれを取り巻くスタッフたちの存在は、それなりに切実でもあるのだが、それだけなら、よくある青春映画の一編で済んでしまう。映画館とビデオレンタル店の対比。前者には観客がいるが、後者にはいない。ヒロインとしての監督の他に、二人の実際の監督が出てくる。一人は諏訪敦彦であり、もう一人は蘇鈺淳自身である。この二人が桐子監督とちょっとだけ接する、その距離感が絶妙なのだ。そして桐子の妄想の中に出てくるコインランドリーの奇天烈さ。PFF2021で上映された蘇監督の前作「豚とふたりのコインランドリー」を思い出す人がいるかもしれない。 (c)2023 東京藝術大学大学院映像研究科