【特集】東日本大震災から13年半 避難指示解除から2年の福島・双葉町 復興途中の町で奮闘!信州の企業 思い出を紡ぐリメイク 癒しの場に…
テレビ信州
特集です。 東日本大震災から13年半。福島第一原発がある福島県双葉町は、2年前にようやく避難指示が解除されました。 いま、住民は173人。まだまだ復興途中の町に信州の企業が進出しています。 キーワードは「再生」です。 福島県双葉町。 隣町との堺には福島第一原子力発電所があります。 大地震と原発事故。当時7000人余りが暮らしていた町は一変しました。町全体が避難指示の対象となり、「全町避難」へ。 発生から11年以上が経ったおととし8月、全体の15%の面積にあたる町の中心部でようやく避難指示が解除、住民が住めるようになりました。 原発事故で被災した市町村のなかで最も遅い解除でした。 北沢ななか記者 「避難指示解除から2年。双葉町はインフラの整備が進むなど復興に向け着実に歩みを進めています」 被害を受けた建物はほとんどが解体され、駅や役場、災害公営住宅などが、新しく建てられました。そのほかにはコンビニと診療所が1軒ずつ、学校やスーパーはありません。 いま、この町に住んでいるのは173人。6割は、県外からの移住者です。 双葉町 伊澤町長 「これだけ荒廃してこれだけ被害の多かった街をどうやって復興再生させるかというのは自分一人ではできないことですし、元の町に戻すのではなくて新しい街づくりということで舵を切っている」 その中核を担うのが、企業誘致です。 北沢ななか記者 「福島第一原発からおよそ5キロほどの所にある双葉町の復興産業拠点です。復興の中心ともなっていて福島県内外の企業20社以上が出店しています」 その中には信州の企業も…。 千曲市のシャツメーカー「フレックスジャパン」が新規事業の拠点とする「ひなた工房双葉」。去年7月にオープンしました。 田中洋平さん 「こちらが工房になります」 オーダーメイドのシャツやニットシャツなどを手掛ける一方、この工房のメインと位置付けるのが…。 田中洋平さん 「この双葉町が東日本大震災で帰宅困難地区から最後に解除された町ということで再生の町ということでやっているんですけど思い出を紡ぐリメイクをということでやっています」 思い出の服をバッグや小物にリメイクする再生事業。特に人気なのは、ぬいぐるみです。 田中洋平さん 「リメイクのぬい服なんですけど思い出のある生地とか亡くなった遺族の着ていた服などをクマさんのぬいぐるみに着せ替えて心のいやしにしてもらう」 千曲市の本社で3年前からはじめた服の再生事業。いまでは双葉町や千曲市をはじめ全国4つの工房で年間3500件以上の依頼があるといいます。 工房で働くのは6人。このうち5人は双葉町以外から通っています。宮城県仙台市出身の佐藤萌愛さん23歳。大学を卒業後の今年春に入社しました。従業員で唯一、町に住んでいます。 元々東北で縫製の仕事を探していた佐藤さん。自身も震災を経験し復興に関わりたいと入社を決めました。 佐藤萌愛さん 「新しいことをたくさん覚えてまだ全然なんですけどやりがいがあって楽しいです。モノづくり通して町を盛り上げていけたらいいなと思います」 フレックスジャパンが2年前から取り組む「つなぐデザインプロジェクト」。被災した小学校に残っていた紅白幕をリメイクして町の新成人たちに祝いの品として贈っています。 田中洋平さん 「理想はうちで新商品なりいろんな宣伝なりどんどんこっちから発信していって街の盛り上げに参加できるというか還元できるようなことをやっていきたいです」 企業誘致の甲斐あって住民はここ1年間でおよそ100人増加。ただ、震災前にはほど遠いのが現実です。 伊澤町長 「本来期待をしていた現役世代の若い世代が町へ戻ってそういった企業で働く人たちが今現在ほとんどいないのが現状。双葉に住みたいという方多いが住宅の供給が間に合っていないというのが現状」 伊澤町長は、「2030年までに居住者2000人」を目標に掲げています。 伊澤町長 「戻ってきて住んだ人たち移住された人たちが来てよかったここに住んでよかったという町を作っていきたいと。伝統文化、神社であったりお祭りであったりそういったものはしっかりと継承していくという考えでやっておりますので元々の双葉町がすべて変わってしまうということではなくてみなさんが住みやすい街づくりをイメージしてやっていきたいなと」 企業誘致の先に描くのは、新しい双葉町の姿。 田中洋平さん 「この町でやるという意味で思いがある人が多いと思うんですよ。心の癒し的なものをここで作ってみんなのそういう場所になってもらう」 震災から13年半、一歩ずつ再生を目指している町で、信州の企業も歩みを進めています。