中国文学界に起こった「大変革」と「大問題」…「日本の小説のパクリ」という声に対する「苦しい釈明」
中国は、「ふしぎな国」である。 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。 【写真】中国で「おっかない時代」の幕が上がった!? そんな中、『ふしぎな中国』に紹介されている新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。
融梗(ロンゲン)
中国は、言わずもがな漢字の国である。『ふしぎな中国』のまえがきでも述べたが、中華民族は漢字を紡いだ神話や物語を子々孫々へと語り継いで、こんにちまで生き延びてきた。 いまで言う国家公務員試験にあたる「科挙」は、隋の文帝が587年頃に始め、清末の1905年頃まで続いたが、その出題内容は法律や経済ではなく、「四書五経」(大学・中庸・論語・孟子、易経・書経・詩経・春秋・礼記)の理解だった。 私が留学していた頃の北京大学でも、文系の最高峰(最難関)は法学部や経済学部ではなく、中国文学学科(人文学部中国語言文学系)だった。そこに1979年に16歳で入学し、首席で卒業したのが、「ポスト習近平」と目される胡春華副首相である。 新中国の「建国の父」毛沢東主席も、法律や経済にはとんと無頓着で、ひたすら古今の中国文学を読み漁って、政治に活かした。 建国8年後の1957年、20世紀中国を代表する作家の一人、巴金(1904年~2005年)が中心になって、上海で隔月刊文学誌『収穫』を創刊した。続いて、改革開放政策が始まる直前の1978年8月、北京出版社が新時代の文学誌『十月』を創刊した。 以後、上海の『収穫』と北京の『十月』が、中国の文学界を牽引した。王蒙、老舎、李存葆、王安憶、王朔、余華、それに2012年に中国大陸の作家として初めてノーベル文学賞を受賞した莫言など、著名な作家の多くが、この2大文学雑誌から羽ばたいていった。 私は4年の北京生活を送ったせいか、『十月』のファンで、定期購読していた。同誌の編集長と酒を飲み交わし、中国文学談義に耽ったこともある。中国文学というのは、底無し沼のように奥深い「漢字の芸術」である。 ところが21世紀に入ると、中国文学界にひたひたと「異変」が起こり始め、2010年代に「大噴火」した。もはや若者たちは『収穫』や『十月』には目もくれなくなった。 では何を読むのか? それは「網絡小説(ワンルオシアオシュオ)」である。「網絡」はインターネットのことだ。 2000年代の半ば、外資系企業の幹部である中国人女性が、李可というペンネームで、網絡小説『杜拉拉昇職記(ドゥラーラーシェンジージー)』を連載した。「杜拉拉」という広東省の大手外資系企業に勤めるOLが、出世(昇職)を遂げていくサクセス・ストーリーだ。 この小説は評判を呼び、2007年に陝西師範大学出版社が紙の本として出版。たちまちベストセラーとなり、4巻まで続編が作られた。同時にテレビドラマ化や映画化もされた。 私が北京駐在員だった時分、部下の中国人女性たちは、ほぼ全員が『杜拉拉』にハマっていて、彼女を自分たちの理想像のように捉えていた。確かにドラマで杜拉拉を演じた王珞丹の天衣無縫)な演技は当たり役だったし、それにも増して小説の自由奔放な文体に衝撃を受けた。それは私がそれまで目にしてきた『収穫』や『十月』の文体から、明らかに「変異」していた。 実際、中国文学界にも衝撃が広がった。『杜拉拉』のような作品が次々と現れ、「網絡小説」のベストセラーが紙の本として出版されるという流れが起こり始めたからだ。2013年以降、中国がスマートフォン時代に入ると、小説そのものの発表の場が、紙媒体からネット媒体へと軸足を移すようになっていった。 こうした潮流は、中国の出版界にも革命を起こした。中国では1990年代以降、雨後の筍のように各業界に民営企業が勃興していったが、出版業界は開放されなかった。そのため、全国約500社の老舗の国有出版社だけが出版権を有していた。 彼らは、新聞出版総署(現・国家広播電視総局)という中央官庁の検閲を受けた後に発行される「書号(シューハオ)」を奥付に付けて出版する。「書号」の発行件数は毎年決まっているので、限られた作家しか小説を出版できない。 ところが「網絡小説」の世界は、お上が規制を作る前に、勝手に増殖してしまった。「網絡小説」の編集プロダクションの側からすれば、経費は基本的に原稿料だけなので、玉石混淆大いによろしというわけで、多種多様な筆者に発表の場を与えた。 作家の側からしても、分量の制限を受けず、読者の閲覧ページ数に応じて原稿料が支払われるため、長編小説をどんどん書いた。読者の側も、サイトに月決めで料金を支払ったり、小説ごとに一定ページ以降に課金されたりする明朗なシステムなので、安心だった。 興味深いのは、読者の反応を見ながら「網絡小説」の内容が変化することだった。例えば、Aという正義の味方がBという悪役を退治する勧善懲悪物語のはずだったのが、途中でBのキャラクターの人気が高まってきたので、Bが主人公に成り代わるといったことだ。 また当局の方も、「共産党批判、エロ描写、暴力描写」という「三悪」が含まれない限り、強い規制をかけなかった。ある官僚は私に、こう言い放った。「これだけ若者の失業者が多い時代に暴動一つ起こらないのは、『網絡小説』の空間を開放してやっているからだ」 いまでは、「網絡小説」の世界は細分化され、大略次のような分類になっている。 「玄幻」(幻想)、「武侠」(武道任侠)、「仙侠」(仙術)、「奇幻」(魔法使い)、「科幻」(SF)、「都市」(都市生活)、「言情」(伝奇恋愛)、「歴史」、「軍事」(戦争)、「遊戯」(ゲーム)、「体育」(スポーツ)、「霊異」(ホラー)、「同人」、「耽美」(BL・同性愛)、「二次元」(転生)……。 まるで14億中国人の多くが、作家に転身したのではと思われるほど、百花繚乱である。 ところが、一つ大きな問題が起こってきた。それは、これだけ多くの作品がネット上に溢れ返ると、その中に、いわゆる「パクリ小説」と指摘されるものが散見されるようになってきたことだ。 例えば、2016年に玖月晞(おそらく「吸血鬼」の音訳)というペンネームの作家が発表した『少年的你、如此美麗』(邦題は『少年の君』)は、2019年に香港出身の曽国祥(デレク・ツァン)がメガホンをとって映画化し、大ヒットした。そんな中、「この作品は東野圭吾の『白夜行』や『容疑者Xの献身』などのパクリだ」という声が続出したのだ。 東野圭吾と言えば、中国で最も人気の高い日本人作家である。私は北京時代、年間約150冊の日本の書籍の中国大陸版権を中国の出版社に売っていたが、東野圭吾の作品は、他の数十冊分の版権料に匹敵した。その人気はケタ外れなだけに、「東野作品のあの場面にソックリだ」と指摘できるファンは多いのである。 だが、ネット上で騒動になっている間にも、映画はヒットを続け、中国国内では青春映画として歴代トップの15億5800万元(約312億円)の興行収入を上げた。また「香港のアカデミー賞」香港電影金像奨の作品賞にも輝いた。その間、関係者は一様に沈黙を保っていた。 「パクリ」もしくは「パクる」という中国語は、一般に「抄襲(チャオシー)」もしくは「洗稿(シーガオ)」である。ところがこの時、ネット上で「融梗(ロンゲン)」という新語が誕生した。今回のケースは「抄襲」ではなくて「融梗」だというのだ。 「融」は「融け込ませる」で、「梗」は「茎」、転じて作品の「骨格」や「サビの部分」「笑いのツボ」などを指す。よって「融梗」は「別の作品の骨格やサビの部分を融け込ませた作品」ということになる。 昨今、日本の作品の「パクリ」のような中国の「網絡小説」が少なくないことに関して、旧知のある中国の大手出版社編集長を問い詰めてみた。すると彼は、こう釈明した。 「仮に一枚の紙に絵が描いてあったとする。それを別の紙に写生して発表すれば、『抄襲』だ。 ところが写生した後、その紙をハサミでいくつかの部分に切り分け、バラバラにして再び適当に貼り合わせたら? それは法的に罰せられる『抄襲』ではなくて、グレーゾーンの『融梗』なのだ。 そもそも古今東西、芸術作品というものは、皆大なり小なりそうやってできてきたではないか」 私は何となくモヤモヤしたが、議論を打ち切った。彼の次のセリフが見えていたからだ。 「われわれ中国人だって、日本人から漢字の著作権料を取っていないぞ!」
近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)