<カープ若手育成論>『練習ハ不可能ヲ可能ニス』大野練習場に刻まれた言葉。OB・安部友裕氏の記憶に残る指導者との出会い
現役時代は二軍で長い下積み生活を送った後、一軍で活躍した元カープ・安部友裕氏。安部氏がカープ二軍の現場で学んだこと、忘れられない指導者との出会い、そして若手選手へ贈る言葉とは。(全2回・後編) 【写真】カープを率いて2シーズン目となる新井貴浩監督 大野寮の横には室内練習場やトレーニング施設が併設されています。僕がよく利用していた時代、室内練習場は現在のような人工芝ではなく、土のグラウンドでした。ガタガタに荒れている中でノックを受けて、砂埃りが舞う中で一生懸命に球を追いかけていました。 大野寮には『練習ハ不可能ヲ可能ニス』と刻まれた石碑がありますが、この言葉も印象に残っています。僕は練習をこなす体力があったので、この言葉通りに練習し、できないことができるようになりました。 また二軍で選手たちが鍛錬を重ねる上で、指導者の存在は欠かせません。 多くの指導者の方々にお世話になりましたが、僕には忘れられないコーチが2人います。1人目は山崎隆造さんです。僕がプロ入りしたときの二軍監督ですが、いろいろと野球以外のことも話をしていただき、野球の基本を指導していただいた方です。技術的にはバットの使い方であったり、体の動かし方です。印象的なのが、『正しいマックス』という言葉です。力づくでがむしゃらに力を出すのではなく、正しく体を使って正しく力のマックスを出していく、というものです。このように、山崎さんからは感銘を受ける言葉や指導があり、すごく印象に残っています。 もう1人は、入団時の二軍内野守備走塁コーチだった岡義朗さんです。岡さんを一言で言うと『愛情』ですね。当時、岡さんは大野寮の寮長も担当されていました。当時僕はもみあげが長く、岡さんから「ルパン!」と呼ばれ、「一緒にお風呂入るぞ!」と、すごく可愛がっていただきました。大野寮で生活を共にして、同じ時間を共有して、僕の父親のような存在でした。僕がプロ3年目の時に阪神へ行かれたのですが、「お前とは志半ばになったけど、ずっと見とるからな!」と言っていただいて、その後も何かあれば声をかけていただいています。二軍は鍛錬の場ですが、そういう指導者との出会いというのも成長する上で大事な要素かもしれません。 現在、若手選手たちは一軍を目指して鍛錬を続けています。そしていろんな人から、さまざまなアドバイスを受けていると思います。真面目な選手はそれらを全てやってしまいます。僕もその1人でした。もちろん試すことは良いことですが、それしかやらなくなったりする事があるんです。そこに自分の考えが含まれていないんです。ですから、人から言われて、何も考えずに続けるのではなく、『何を言われても、自分でつかまないと』意味がないんです。 自分で理解して取り組んだものが技術につながっていきます。若手選手のみなさんには『とにかく自分でつかむ』ということが大事だと伝えたいです。 安部友裕 (あべ・ともひろ) 1989年6月24日生、福岡県出身 福岡工大城東高-広島(2007年高校生ドラフト1巡目) 現役時代は走攻守三拍子揃った内野手として活躍。2017年には規定打席に到達し、打率3割を達成。主力としてリーグ3連覇に貢献した。2022年限りで現役引退。引退後は野球解説者など幅広く活動中。
広島アスリートマガジン編集部