後期高齢者医療費15.1兆円…社会保障の問題と切り離せない「日本人の死」の問題
歴史と妥協の積み重ねとしての社会保障制度
社会保障が生まれ、現在のような姿になるまでには、様々な歴史的な要因と、個人(家族)・国・市場(企業)の役割分担の変遷があった。 もちろん、日本の社会保障制度も例外ではない。より高いレベルの安心を求める国民・労働組合、国民らの期待に応えたい厚生当局、財政負担を気にする財政当局、票につなげたい政治家など多くの関係者間の妥協の積み重ねのもと、現在の制度があるのだから、直接国民に対して責任を取れない官僚には、これまでの歴史的経緯を無視して、白地のキャンバスに一から絵を描くような大改革は無理なのだ。大改革ができるのは、国民の後押しを受けた、政治家だけなのだ。官僚がやれるのは、あくまでいろいろな改革の素案を作って、政治家に示すところまでだ。 政治家は官僚が作った改革の素案の中から、各々の支持者(団体)が納得しそうな案を選び、決定していくことになる。 ここで問題になるのは、やはりバラマキたがる政治とクレクレ民主主義だ。人口が減少し経済も低迷を続ける現代日本のような右肩下がりの社会では、社会保障制度改革は、高齢世代と若年世代もしくは現在世代と将来世代の間のゼロサムゲームでしかない。つまり、高齢世代の給付水準を維持しようと思えば若年世代の負担が膨らみ、若年世代の負担を軽減しようとするならば高齢世代の給付を削減せざるを得ない。 あるいは、若年世代及び高齢世代の給付を増やすには将来世代の負担を増やすしかないし、将来世代の負担を軽減するには現在世代の負担を増やすしかない。したがって、社会保障制度改革で、どちらの側に立つにしても、必ず角が立つ。 全ての利害関係者がハッピーになれる社会保障制度改革は残念ながら現代日本には存在しない。 こうした中で、財政制約を強く意識した社会保障制度改革を実行しようと思えば、どうしても(高齢世代の)民意と(現役世代の)民意のぶつかり合いにならざるを得ない。民意のぶつかり合いになれば、政治的に「弱い立場」にある若者世代が貧乏くじを引くことになる。 島澤 諭 関東学院大学経済学部 教授
島澤 諭