なすび「底辺を経験した下地があったから」 4度のエベレスト挑戦に心が折れなかった理由
1990年代後半にバラエティー番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)の「電波少年的懸賞生活」で大ブレークしたタレントのなすびさん(48)。当時はお笑い芸人として活動していたが、懸賞生活後はメディアへの露出機会が減っていった。だが、決して表舞台から消えたわけではない。現在、福島ではテレビ、ラジオでレギュラー番組を持ち、エベレスト登頂で山登り関連のイベントから声がかかるように。舞台、映画やドラマに出演するなど俳優としても活躍し、多忙な日々を送っている。【後編】では、故郷・福島の復興支援でエベレスト登頂に挑戦した理由、冷暖房をつけず、車を利用せずに自転車で移動する生活について語ってもらった。 【写真】絶景!顔をすべて覆った完全装備でエベレストを登るなすびさんはこちら 【前編】<なすび「懸賞生活」の映画化は「告発ではない」 プロデューサーの謝罪を受け入れた心境を明かす>から続く ■「懸賞生活の一発屋」 ――なすびさんは2016年に4度目の挑戦でエベレスト登頂に成功しました。その際、「もう一度懸賞生活をやってくれと言われたら、僕はエベレストに100回登ります」と答えたことが話題になりましたが、それほど懸賞生活はつらかったですか。 世の中には僕のことを、「懸賞生活が人生のピーク」「懸賞生活の一発屋」と思っている人が多いと思います。実際に「懸賞生活の時が一番輝いていましたよね」と声をかけられることがありました。でも、マスコミの取り上げ方と自分の感覚にギャップがある。懸賞生活で世間に顔と名前を覚えてもらいましたが、人生で一番つらく過酷でした。その後の人生を考えると、つらいことがあってもすべてが幸せに思える。実際にエベレスト登頂も何度もあきらめようと思ったけど、懸賞生活を振り返ったら「まだまだできる」と。底辺を経験した下地があったから乗り越えられたと思います。
――エベレストに4度の挑戦は体力、気力だけでなく資金面も大きな負担がかかったと思います。 そうですね、クラウドファンディングで支援していただきましたが、1000万円の借金を背負った時期もあります。偽善に思われるかもしれないけど、エベレストに登頂して少しでも話題になって、2011年に発生した東日本大震災で大きな被害に見舞われた福島の復興支援の役に立ちたいという思いだけでした。あの時はSNS上で「売名行為だ」「便乗商法だ」と批判されたんですけど、「なすびは福島のために本気でやってくれてんだよ」と被災地の方々に火消しして救ってもらった。3度挑戦して登頂できなかった時は心が折れかけました。けど帰国後に歩いた青森から福島につながる、みちのく潮風トレイルの道々でいろんな方々に「応援してるよ」と励まされてたから頑張れた。自分のためだけだったら絶対登れなかったです。支えられていたのは僕だったんです。 ■みんなが笑ってくれて ――頂上で「福島も奇跡を起こせます!」と叫んだ姿が印象的でした。 震災が発生した時、東北を手助けしないと後悔すると思ったんです。自分ができることを死に物狂いでやろうと。生き方が変わったのはこの時だと思います。懸賞生活の時に「おまえは笑われている。芸人は笑わせなきゃダメだ」と先輩に言われて。僕も「そうだよな」と思ってましたけど、被災地のイベントに笑顔で登場したら、みんなが笑ってくれて。客寄せパンダで笑われていただけかもしれないけど、結果として誰かが笑顔になるなら「笑われてもいい」と吹っ切れました。「懸賞生活のなすびだ」って言われてもいい。事実ですし、プライドを捨てて求められたことは何でもやろうと思いました。エベレスト登頂も山登りの経験がなかった僕ができたんだから、福島も絶対復興できることを発信したかった。講演会で登頂の時の映像を流すと、涙を流してくれる方がいて。命がけで困難を乗り越えた思いが伝わって、誰かのためになったらうれしいですね。