ロジャー・フェデラー──テニス界のレジェンドが語る“その後”の挑戦
──かつての技巧を今でも発揮できますか。 ええ、面白いことがありました。2,3日前、スタンフォード大学のチームがプレーするのを観に行ったんです。トニーの息子がスタンフォードの1年生なのでね。彼らのやり方を見て、トニーの息子に「フォアハンドリターンのときは、こうするといい」と言い、手早く説明してみせたんです。ちょうど今みたいな格好(バーシティジャケット、ジーンズ、セーター)でラケットを手に取って、フォアハンドリターンの手本を見せたのですが、まだ衰えていませんでした。自転車の乗り方と同じで、忘れることはないんです。それからも練習は続き、フォアハンドにも様々な打ち方があるということを説明しました。ループさせたもの、速いもの、アングルを付けたものというようにね。私の打球はどれも完璧でした。私はただ「うわあ、今でもできるなんて」と思いました。 ──テニスは今でも観戦しますか。 ハイライトは観ます。子どもの世話なんかで忙しいので、試合をフルで観るのは難しいですけどね。去年フルで観た試合が1つはあったかもしれませんが、それ以外はハイライトを観るだけ。ただ、スコアは毎日チェックしています。実は自分でも驚いているんですよ。テニスからは完全に離れて、関心も薄れると思っていましたから。でも、今でも知っている選手は大勢いますし、彼らがどうしているか気になるんですよ。 ──当然のことですが、ラファエル・ナダルやノバク・ジョコビッチが優勝するたび、人々はあなたのことを思い出します。長年のライバル関係もありますし、歴史を振り返って相対的に誰が優れていたかということに皆興味がありますから。彼らのプレーを見て、あなたがご自身のことを思い出すことはありますか。また、彼らに特別な関心はありますか。 もちろん、彼らがファイナルズに出場すれば当然耳には届きます。ラファが戻ってきたときや、ノバクがまたもや新記録を打ち出したときなんかもね。それはいいことですよ。でも、例えばこの3月の試合は絶対に観なければ、なんてスケジュールを調整することはありません。それでも当然彼らのことは追っていますし、特にノバクは絶好調だということも知っています。もちろんラファのこともね。自身が望んでいるようなプレーを彼ができないでいることは気の毒でなりません。彼がインディアンウェルズ大会やドーハ大会を棄権したことは知っていますが、この夏にはまた調子を取り戻せるのではないかと期待しています。 ──彼らはあなたが長い間コートをともにしてきた相手です。しかしテレビをつければ彼らはまだそこにいて、あなたはいません。そのことをどう感じますか。 いい気分ですよ。ロンドンでの記者会見で引退表明をしたとき、隣にいたアンディ(・マレー)、ノバク、ラファ、(ビョルン・)ボルグら、そこにいた皆に言ったんです。「最初に引退するのが私というのは妥当だ」とね。私は彼らの前からツアーに出ていましたし、今度は彼らが私のいないツアーを経験する番です。腰の故障で引退しかけたマレーや、同じく膝の故障を抱えたラファが最初だったら、それは私にとって間違っていると感じられたことでしょう。だから、私が最初でよかったと思っています。彼らが自分と同じくらい続けられたらと願っていますよ。 ──あなたの中の競争心がそれにうなずきますか? ああ、そんなものはもうありません。 ──本当に? ええ、完全にね。私は自分が成し遂げたことに誇りを持っているし、満足もしていますから。また、私がサンプラスの記録を破ったとき、彼が冷静だったこともあります。彼のその態度を私は決して忘れないでしょう。それに、引退後には別の役割があるとも思っていますからね。何と言えばいいかな、自分の立場に満足し、ゲーム全体のサポート役に回ることです。テニスの世界での競争ではなく、今度はスポーツ界でテニスそのものを盛り上げていくために競争を勝ち抜いていくのです。NetflixやAmazonなんかを相手に、人々の関心を勝ち取るためにね。 ──好きな若手や、ご自身に重ねて見ている選手はいますか。 ええと、今や片手打ちの選手が見当たらないのは明らかですから。ご存じかわかりませんが、歴史上初めて…… ──世界トップ10から、片手バックハンドの使い手がいなくなりました。 自分が死んだような気分です。 ──あなたがどう感じているか気になっていました。 あれには感情を揺さぶられました。自分にとってパーソナルで、嫌なことでした。しかし同時に、何て言ったらいいか……サンプラスやロッド・レーバー、そして私ができる限り長く灯火を、あるいは旗を掲げることができたことで、自分たちは特別だったんだという気持ちもあります。ですから、スタン(・ワウリンカ)や(リシャール・)ガスケ、(ステファノス・)チチパスといった片手バックハンドの選手たちを観るのは好きですね。ドミニク・ティームも素晴らしいですし、グリゴール(・ディミトロフ)は親友です。それも好きなのですが、私は選手それぞれの個性を観るのが好きなんです。感情的に激しい選手を観るのがね。 最近よく感じるのは、もう少しバラエティがあってもいいんじゃないかということです。横の動きばかりではなく、もっとネットに近づいたりといった前後の動きなんかね。テニスというゲームがこれからどうなっていくのかわかりませんが、明らかな問題は似たようなスタイルの選手同士が対戦する場合が多いということです。多くのポイントが同じようなプレーによってカウントされます。同じ手法でポイントを狙うのは、対戦相手が望んでいることです。相手が嫌がるのは、いろいろな手法を混ぜてバラエティを持たせること。だから私なんかは、2人の選手が20ポイントも同じように積み上げていくのを観ると、いい加減にしてくれという気持ちになります。もっと面白くなるのに、とね。あんなものは腕相撲みたいなものですよ。私が言いたいのは「腕相撲なんかやめて、別の仕方でゲームをしよう」ということなんです。 ──片手バックハンドについて、もう戻ってこないかのように話されますね これからも存在はし続けるでしょうし、戻って来るとも思います。とはいえ、私も自分の4人の子どもたちには両手バックハンドを教えましたからね。私が両手バックハンドを教えたっていいでしょう? ──そんな! 私はいいお手本じゃないんですよ。片手バックハンドの伝道者としても失格ですし。まだ変えられるかもしれませんが。 ──若手のなかに、あなたと同じだけ優勝できるかもしれないと思う選手はいますか。 彼らにプレッシャーを与えたくはありません。正直言って、20のグランドスラムを優勝したのはそれを目標にしてのことではありませんから。ラファだって、ノバクだってね。もちろん、複数のグランドスラム優勝が見込めるのではという選手はいます。誰かがスラムで優勝はするのですから。そして、当然ながらその人物は見事にそれを決めるでしょうし、やがてはテニスというスポーツを牽引していくスーパースターとなっていくでしょう。すでに(カルロス・)アルカラスや(ヤニック・)シナーなどが名乗りを挙げています。それに今は、次のスターが誰になるのかという関心も高まっています。その答えが出てくるのは、今後2、3年のうちでしょう。今はいい選手は大勢いますが、対戦相手の得意としているサーフェスでどうすれば勝つことができるか、まだ模索しているところでしょうからね。 ──あなたのプレーが「美しい」とか「苦労を感じさせない」といった言葉で表現されてきたのをご存じだと思います。それらが明らかな称賛であることは間違いない一方、自身のプレーの受け止められ方としてあなたがそういった表現をどう感じているのかが気になります。 今では大きな賛辞として受け止めています。現役時代はもう少し悩んでいましたけどね。私がそうでありたいと願っていた闘士としての、優勝者としての自分を観てもらえていないのではと感じられたからです。なぜなら闘士でなければ、努力を注がなければ、私が成し遂げたことは成し遂げらないのですから。 信じられないくらいの努力を重ねて初めて、苦労を感じさせないプレーを見せることができるのかもしれません。だから私はいつでも──最初の頃は特に、そのことに悩まされてきました。「私の懸ける情熱や努力がわからないのか? 勝ったときにはさも簡単なことのように思われ、負けたときには努力が足りなかったと思われるなんて」とね。それが最初は非常に受け入れがたく、とても複雑に感じていました。ちょっとおかしくなりそうなくらいに。 最終的には、ありのままでいることが心地よく感じられるようになり、持てる力を全て振り絞ったんだと納得できるようになりました。試合に負けても、5分後には「負けたな。しょうがない。ベストは尽くしたから次に進もう」と思えるようになったのです。 ──苦労を感じさせない自然さというのは、あなたのプレースタイルから来るものか、それともあなたが意図してやっていた何かに起因するもの、どちらでしょうか。 自然なプレーに見えるのはおそらく、例えばインパクトの直後(見たこともないような美しいフォアハンドを身振りで表現してみせながら)にリラックスしていること、あるいは動いている最中にリラックスしていること、もしくはポイントが決まった直後に落ち着いていることから来るのでしょう。私はそれが自然にできていたのだと思います。なぜなら、そうすることで試合の後半やトーナメントの後半に体力を残せる、もしかしたらあと数年は余分にプレーできるかもしれないと考えていたからです。つまり、ずっと緊張したり苛立ってばかりしていては、すぐに疲れ果ててしまうと考えてのことだったのです。だから、ほかの選手が激しくしているのを見ると「すごいな」と尊敬してしまいます。私にはああはなれませんから。 ──一つ告白させてください。私とあなたはほぼ同い年です。私はテニスファンで、あなたのプレーをずっと観てきました。しかし、あなたのことをより応援したいと思うようになったのはキャリア後半、あなたの人間味や敗退の可能性がより濃厚になってきた頃からだと思います。理にかなっているでしょうか? ええ、完璧にね。2008年頃までは意識していなかったんですが──いや、もしかしたら2005年の全豪オープンで(マラト・)サフィンに負けたときにもそんな瞬間があったかもしれません。私が「怪物を生み出してしまった(注:あらゆるトーナメントで勝つことが期待されていた自身のこと)」と言ったときです。1セット落としたときには、「なんてこった、ロジャーがセットを落とした」と言われました。セミファイナルのマッチポイントでサフィンに負けそうなときも、皆ショックを受けていたんです。信じられますか? 私からしたら、何がショックなのかわかりません。あんな素晴らしい選手と対戦して負けるのは普通のことです。 2008年にラファに負けたとき(注:史上最高のマッチとも言われるウィンブルドン選手権での試合のこと)というのは、そういう意味で特別な瞬間だったと思います。もちろんあの試合で負けて打ちひしがれていたこともありますが、1カ月後アメリカを訪れたときに人々がいまだにそのことに言及していたんです。「あのウィンブルドンの試合といったら」とね。私としては「ああ、いい試合でしたよ」という感じなのですが、彼らは言うんです。「いやいや、あれは特別だったんです。あなたが負けたでしょう? それまで勝ち続けてきたあなたの、人間的な部分がさらけ出されたのを我々は観たんです。負けたあなたを観るのが、どれだけ珍しく特別なことだったか」と。私は口ごもってしまいうまく言葉を返せませんでしたが、そんなやりとりが何日も何日も繰り返されました。私があのとき、何か特別な瞬間を生み出したのだと理解するまでね。 “フェデラー 2.0”が現れた瞬間だったのかもしれません。その人物はたまには負けるかもしれないが、それが人生というものです。人間的な面が露わになったというのは、おそらく負けたことでより人々に感情移入されるようになったということだと思います。それまでは、あまりにも長い間勝ち続けていましたから。それにもちろん、子どもが生まれたこともあるでしょう。親になったことで、より共感されるようになったのだと思います。そしてあなたが言ったように、人々が私のことを本当の意味で知るようになったのでしょう。多くのファンが私のことをエモーショナルに支えてくれたのも、そのせいだと思います。 ──一つはっきりさせておきますが、私があなたを贔屓していたのは負けたからではなく、負けるかもしれないという可能性からだったと思います。その可能性が濃厚になるにつれ、観客のあなたへの関心が強まっていったのは感じられましたか。 私の出場した試合が、観客に特に響いたというのはあるかもしれません。私の試合を観戦に来れば、何か特別なものが観られるのではと期待してね。私のプレーは人と違っていましたし。私はもっと古い世代との架け橋でもあったのかもしれません。皆が片手バックハンドの自然なフォームでプレーをしていた90年代後半と、激しいゲームを指向する新しい世代とのね。その頃には、私は昔ながらのプレーヤーになっていたのですよ。私が多くの人に気に入られたのは、その懐かしいプレースタイルのおかげなのではないかと思います。 ──あなたには9歳の双子の男の子と、14歳の双子の女の子がいらっしゃいます。お子さんたちも真剣にテニスをプレーしているのでしょうか。 真剣にではありませんが、プレーはさせています。 ──そうなのですか? 私の仲間内で、私の子どもたちだけがテニスをしていないというのは嫌でしたからね。当然ながら私はテニス界に生きていますから、周りにはテニスに熱心な子たちばかりです。だから娘たちにも「ちょっとくらいはやってほしい」と言いました。彼女たちも当初はあまり乗り気ではなかったようですが、今では4人全員がプレーしています。 ──あなたの話では、テニスはご両親から説得されたものではなく、自身の選択で始めたものだったと記憶しています。同じように育児をできるとはお考えですか。 コーチではなくマネージャーのように振る舞おうと努めています。子どもたちにも私はコーチじゃないと言っていますし。助けになれればそれに越したことはないですけどね。私抜きでプレーしたいとしても構いません。でも、スタンフォードのときのように、自分を抑えることができなかったりもするんです。割って入って「ちょっと基礎的なことを教えてあげよう」なんて言ってしまったりね。 ──お子さんたちは、あなたのことを世界がどう見ているのかや、あなたが何を達成したのかを理解しているのでしょうか。 以前に比べたらかなりね。特に娘たちが小さいときは、自分のランキングや成功の話は聞かせることはありませんでした。ランキングで1位になっていたときでもね。「スタンはどのくらいうまい?」とか訊いてきたときには「彼は最高だ。伝説的な素晴らしい選手だよ」なんて答えます。すると「ラファは?」なんて訊いてきたりね。「彼も同じく、とてもいい選手だ」と返したら、「パパは?」と訊いてくるんです。そういうときには「まあまあかな」なんて、控えめに答えるようにしていますよ。 でも今では、そんなことも難しくなりました。友人たちに教えられるそうですから。「君のお父さんは、あんなこともこんなこともしたって知ってた?」とね。私も子どもたちに質問されるようになりました。それで、今では自分の成果や体験について、もっと正直に隠し立てせずに話すようになったのです。どちらかと言えばお話として聞かせたり、体験談として分かち合うようにしてね。 ──そういった物語はよく語られているように感じます。選手としての成長、トップへ登り詰めようという欲求、そして頂点への到達、といった具合に。しかし、“その後”が語られることはあまりないように思うのです。今の人生をどう表現しますか。 ええ、私はキャリアの最後に下り坂がなくてよかったと思っています。もちろん、負傷で下り坂を迎えたと言うこともできるでしょうが、私はあれは下り坂ではなく“苦境”だったと思っています。でも、今の私は幸せです。今までとはまったく違う人生ですから。リハビリに入ったときを思い出します。リハビリは好きでした。私の人生で初めて経験した、まったく新しい挑戦でしたから。文字通り一歩ずつ、少しずつ進んでいくのは、今の人生も同じです。新しい場所で、新しい人生を、新しい課題を切り拓いていく。特に子どもたちと一緒にね。この時間が私は好きなのです。 去年受けたインタビューで、今ほどストレスを感じたことはないと話しましたが、私が言っていたのは引退のことではありません。妻と一緒に子どもたちの面倒を見たり、学校生活をサポートしたり、様々な要望に応えたりといったことについて話していたのです。親として、子どもたちのことを心から気に掛けています。過保護というくらいかもしれませんが、そんなことはないんですよ。私は非常にのんきな男ですから。でも朝になって目が覚めると「私がいてあげなければ。子どもたちを助けないと」なんて考えているんです。 ──子育てにかかるストレスはまた違ったものですよね。グランドスラムにもプレッシャーはあるでしょうが、あなたはそれに20年も耐えてきました。 その通りです。しかし、14歳と9歳の子どもたちの親になったことはありませんからね。毎日が初めてのこと尽くしですよ。 ロジャー・フェデラー 1981年8月8日生まれ、スイス・バーゼル出身。8歳からテニスを始め、14歳のときにスイスのジュニア・チャンピオンになる。2004年に初めて世界ランク1位の座を獲得して以降、歴代最多記録となる237週連続でトップに在位。グランドスラムで達成した20回の優勝のうち、ウィンブルドン選手権では優勝8回で最多記録を保持している。プロテニス引退後は、ユニクロやオリバーピープルズなどでデザインにも携わるなど、精力的に活動を続けている。 From GQ.COM by Zach Baron Translated and Adapted by Yuzuru Todayama