「めちゃくちゃ怒られた」板倉滉が振り返る川崎フロンターレでの日々。日本代表の柱に「大人になったので」【コラム】
サッカー日本代表は1月1日、TOYO TIRES CUP 2024でタイ代表と対戦する。今やサッカー日本代表ディフェンス陣の柱に成長した板倉滉は、川崎フロンターレ時代の大先輩、中村憲剛氏と過ごした時間を振り返りながら、日の丸を背負う覚悟を改めて口にしている。(取材・文:藤江直人) 【画像】サッカー日本代表、タイ代表戦予想フォーメーションはこちら
●6年ぶりに同じピッチへ 10月シリーズ以来となる復帰を果たし、元日のタイ代表との国際親善試合へ向けて調整を重ねている森保ジャパンで、板倉滉はプロサッカー選手としての原点を思い出している。 今回の代表合宿には通常のコーチングスタッフに加えて、日本サッカー協会(JFA)のロールモデルコーチに名を連ねる内田篤人、中村憲剛両氏が特別に参加している。川崎フロンターレのレジェンドだった憲剛氏と板倉が同じピッチで、同じ時間を共有するのは実に約6年ぶりだった。 「僕自身、憲剛さんにいろいろと教わったからこそいまがあると思っていますし、その憲剛さんとこうして代表で会えるのは本当に嬉しいし、楽しみですよね。憲剛さんには本当にたくさん怒られましたけど、それでもただ単に怒るだけじゃなくて、その後のケアも含めて常に面倒を見てもらっていました」 小学生年代のU-12から川崎の下部組織で育った板倉は、2015年にトップチームへ昇格した。もっとも、最初の3シーズンはリーグ戦の出場がわずか7試合。先発に至っては0に甘んじていた。 それでも日々の練習、とりわけ紅白戦では濃密すぎるほどの時間を過ごしていた。 ●「後ろが見えているんですか」板倉滉の問いに中村憲剛の答えは… 「紅白戦でリザーブ組のボランチでプレーしたときに、僕はけっこう憲剛さんを相手にしていた立場だったんですね。対戦相手としてたくさんのアドバイスをもらっていましたし、そのアドバイスもすごく説得力があってわかりやすかった。そういう見方でサッカーをしているのか、といった驚きをフロンターレではすごく感じていました。練習中はめちゃめちゃ怒られるんですけど、終わった後のシャワー室のなかでまた補習というか、新たに追加でいろいろと話してくれたんですよね」 板倉の記憶にいまも鮮明に刻まれている憲剛氏とのやり取りがある。紅白戦で背後からガツガツと、積極的に間合いを詰めるもまったくボールを奪えなかった板倉は、勇気を振り絞って質問した。 「憲剛さん、後ろが見えているんですか」 返ってきた言葉に、板倉はハッとした。図星を突かれたと思わずにはいられなかった。 「お前が鼻息を荒くしてプレスに来るから、すぐにわかるんだよ」 いまでは「静かにプレスにいっています」と苦笑する板倉は、森保一監督から「経験を選手たちに伝えて、代表の血を継承させていってほしい」とミッションを託され、タイ戦までの期間限定で招集された内田、憲剛両ロールモデルコーチがチーム全体に与えるプラス効果にこう言及している。 ●「アジアの相手と戦うときにはディフェンスラインがどれだけ…」 「僕たちのヒーロー的な存在だった、経験豊富な選手がこうして代表に来てくれるのは間違いなくポジティブなこと。特に憲剛さんはポジション取りが絶妙だったし、パスを出すタイミングを含めて、本当に相手の嫌がるところを突いてくる。フロンターレの1年目のときから、こういう人がサッカーをわかっているんだと何度も感じていたし、そういうのをまたいろいろと吸収していきたいですね」 2018シーズンに期限付き移籍したベガルタ仙台で、リーグ戦で24試合に出場。濃密な経験を積んだ板倉は翌年1月にプレミアリーグのマンチェスター・シティへ完全移籍。A代表への招集歴がなく、労働許可証を取得できなかった関係でオランダのフローニンゲンへ期限付き移籍した。 ちょうどそのとき、森保監督に率いられる日本代表は、UAE(アラブ首長国連邦)で開催された前回のアジアカップを戦っていた。苦戦を重ねながらも進出した決勝戦で、カタール代表に1-3で完敗。王座奪回を果たせなかった軌跡を、板倉はオランダの地から見ていた。 アジアでの戦いが持つ特有の難しさを、板倉はディフェンダー目線で感じていた。 「絶対に勝たなければいけない、という気持ちもありつつ、一方で気を緩めたら間違いなくやられる。本当に難しい戦いだと思いますけど、アジアの相手と戦うときにはディフェンスラインがどれだけ安定してできるか、攻撃にうまく繋げていけるか、というところが試合のなかで大きなカギになっていく。ディフェンスラインの集中力という部分はすごく大事になってくると思っています」 タイ戦を終えた直後には、12日から中東カタールで開催されるアジアカップに臨む代表メンバーが発表される。メンバー入りがほぼ確実な板倉は、ぶっつけ本番の形で帰国していた。 所属するブンデスリーガ1部のボルシアMGから、板倉が左足首の手術を受けると発表されたのが10月26日。森保ジャパンのセンターバックとして先発し、72分間プレーしたチュニジア代表戦の直後だった。欠場は数週間とされたが、復帰を果たせないままリーグはウインターブレークに入った。 当初のプランは、ウインターブレーク前の戦列復帰だったと板倉が言う。 ●手術を受けた板倉滉のコンディションは? 「最後の最後までそこを目指してやっていたし、日本に来る前も全体練習には合流していました。チームの判断というところもあって、試合には出ないまま帰国しましたけど、でも足の状態的にはすごくよくなっているし、これからが楽しみだと思っています。(タイ戦もアジアカップも)問題なくいけます」 ボルシアMG側からは、板倉の症状に関して「左足首の持続的な問題により、小さな手術が必要となった」とだけ説明されていた。板倉は詳細に言及しながら、笑顔で問題なしを強調している。 「動き回っていたネズミを除去しました。ネズミを駆除したので、もう大丈夫です」 遊離した軟骨や骨の欠片、いわゆるネズミが左足首の関節内を自由に動き回り、走っている最中だけでなく、切り返す動きのときにも痛みに悩まされていたと明かした板倉は、さらにこう続けた。 「いまは全然違いますね。今シーズンが始まってから、練習を含めてずっと痛みを持ちながらプレーしていました。コンディションというか、プレーのキレがなかなか上がってこないと自分のなかでも感じていたし、騙し騙しやっていた部分もあったので、さすがに手術をする決断に至りました。手術なしでは厳しい状況まで来ていたんですけど、(ネズミが)いなくなってやっとすっきりして、いまでは気持ちよくサッカーに集中してできている。(欠場が)想定よりもちょっと長くなっちゃいましたけど、そういった意味では本当にポジティブな手術だったかなと思っています」 板倉のキャリアを振り返れば、前回アジアカップから約5カ月後の2019年6月に初めてA代表に招集される。東京五輪世代を中心に編成された若手主体のチームで、ブラジルで開催されたコパ・アメリカで2試合に出場した板倉は、東京五輪をへて森保ジャパンの常連になった。 所属クラブもフローニンゲンからブンデスリーガ2部のシャルケをへて、昨シーズンからはボルシアMGへ完全移籍。試合出場を重ねるたびに潜在能力が解き放たれ、同時に森保ジャパンにおける序列もアップ。昨年のカタールW杯ではグループリーグの全3試合に先発出場し、ドイツ代表との初戦ではFW浅野拓磨へ絶妙のロングパスを開通させて決勝点をアシスト。歴史的な勝利に貢献している。 3月に船出した第2次森保ジャパンでは最終ラインの中心を託され、2戦目となった同28日のコロンビア代表戦ではゲームキャプテンも務めた。川崎時代とはまったく異なる形で憲剛氏と接し、会話をかわすことができると板倉は屈託のない笑顔を浮かべながら前を見すえる。 ●「フロンターレのときは『はい、はい』という感じで憲剛さんの話を聞いていましたけど、いまは…」 「フロンターレのときは『はい、はい』という感じで憲剛さんの話を聞いていましたけど、いまはもうちょっとこう……自分も大人になったので、いろいろと話せるかなと思っています」 選出されれば初めて臨むアジアカップで、板倉が放つ存在感がさらに大きくなる可能性もある。怪我でプレミアリーグを欠場中の冨安健洋の回復具合が不透明となっているなかで、例えぶっつけ本番になったとしても、板倉の経験値は森保ジャパン全体に安心感を与える。 「代表の状態が非常にいいなかで、誰と組んでも同じようなパフォーマンスを出せるようにしないといけないし、その上で常に勝ち続けなければいけない。前回は外から見ていた立場でしたが、今回は僕としても初めてのアジアカップ。年齢的にも若くないし、しっかりと存在感を出していかなければいけない立場でもある。そこはアジアカップだろうと、元日の試合も含めたすべてが同じだと思っています」 言葉の端々から日の丸を背負う覚悟と揺るぎない決意、そして責任感が伝わってくる。プレー面だけでなく、メンタル面でも大きな変貌を遂げ、アジアカップを勝ち進めば大会期間中に27歳になる板倉の現在地は、森保ジャパンで再会を果たした憲剛氏を心から喜ばせているはずだ。 (取材・文:藤江直人)