密室で女性学生と「二人きり」に…男性教授がとった「異様な行動」のワケ
役人に操られる──「法化」の負の側面
しかし、法の増殖には負の側面もある。欧米では1970年代後半から、政府が社会で発生するさまざまな問題に対して立法によって解決しようとする傾向が強まり、結果として制定法が増殖し訴訟対象が拡大するようになった。このような現象は特に「法化」と呼ばれ、問題視されるようになった。 前述したように、国家が社会での不正防止や弱者救済のために立法をもって介入するということも法化のうちに入るのだが、それは法化の明るい部分である。法化には逆に暗い部分もあり、それが現代ではクローズアップされているのである。 たとえば、憲法で保障されている国民の権利、とくに「健康で文化的な最低限度の生活」を実現しようとする時、その主導権を握るのは当の国民ではない。その実現を可能にするのは生活保護に関する煩瑣な法律や内規、規則などを操る役人である。 権利実現にかかわる法律や規則が増殖すると、法適用の専門性や技術性が高まるため、結果として権利保障を求める国民は自らの手でそれらをコントロールすることができない(生活保護の申請では、いわゆる「水際作戦」で厳しい条件を突きつけられ、断念を余儀なくされることもある)。 スマホ契約をする時に、販売員の何が何だかわからない早口の説明を受けていつの間にか要らないアプリを入れたりタブレット契約まで押しつけられるように、役人から難解な法や規則に関する説明をまくし立てられ、結局それを受け容れるしかないのが実情である。 このように、法適用において専門性が増し、官僚制化が推進されるため、結局国民自らが法を使って自身の権利を実現することができなくなる、というのが法化の暗い面のひとつである。
奇妙なセクハラ対策
そして法化のもうひとつの暗い面は、日常生活の至るところに法律が浸透することによって、人々のコミュニケーションが法律に縛られ、あげくの果てには私的自治そのものが破壊されてしまうということである。 もちろん、セクハラは確かにあってはならない。被害者が本気で嫌がっていることを「イヤよイヤよも……」などと嘯いてしつこく行うようなことは絶対に許されない。 しかし、セクハラを未然に防ぐためとはいえ、行為を事細かに規制するマニュアルを日常的に遵守しなければならないというのはいかがなものか? 男性が女性に対して「休みの日は何してるの?」「顔色悪いけど大丈夫?」と聞いてはならないとか、「ちゃん」付けはいけないとか。大学でも最近では、異性の学生が教員の研究室を訪れた時には、扉を開け放して廊下から誰でも中の様子が見えるような状態で相談にのらなければならないというところもあるようである。 もっと極端な話がある。エレベーターに1人で男性教授が乗って目的階に向かっていた。途中でエレベーターの扉が開き、女性の学生が一人乗ってきた。するとその男性教授は、そこが目的階でもないのに即座に降りた。 理由は、エレベーターという密室の中でわずかの時間であれ、男性教授と女性学生とが一対一でいるのは危ないことだと見做されるから、というものだった……。 他にもいろんな話があるが、問題にしたいことは、事なかれのために「李下に冠を正さず」を事細かにマニュアル化して、それを介して人々を行動させるというやり方はコミュニケーションを歪めてしまう上に、やがては一人一人の思考力や判断力を奪ってしまうのではないかということである。 そもそもセクハラを起こす人の場合、対人関係に関するその人の根強い偏見や思い込みに原因があるのであって、行動を操ったからといってそれが修正されるものではない。 さらに連載記事<海外のカジノで賭博をしても捕まらないのに、日本だと逮捕される「驚愕の理由」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美