ヘイリー・ビーバー、“女神”の叙事詩
ヘイリー・ビーバーがモデルの世界に足を踏み入れた18歳の頃、彼女はたびたびギリシア神話への関心に言及していた。2015年、彼女は『イーリアス』と『オデュッセイア』を移動中の読み物に勧めていた(つい最近までハイスクールにいた若者が雑誌のインタビューで持ち出す文献としては典型的なものだ)。その後、同じ年に彼女は「ホメロスに引き込まれた」と『W』のインタビューで語っている。 【写真つきの記事を読む】ヘイリー・ビーバーのインタビューとフォトセッションをチェック! 現在26歳になったヘイリーにそのことを指摘すると、彼女は笑って認めた。「学校で習ったなかでもお気に入りの作品でした。あの神々の概念や物語に夢中になったのです」 自身のミドルネーム「ロード」(Rhode)がギリシア神話の女神ロデーに由来することをヘイリーが知ったのは、その数年後のことだった。ロデーはドデカネス諸島に属するロドス島を人格化した守護神であり、海神ポセイドーンを父に持つ海の精である。また、ロデーは太陽神ヘーリオスの妻であることから、神話のなかには、ロドス島は両者の結婚によって誕生したとするものもある。自身の母方が受け継いできたファミリーネームについてヘイリーは、「すごく昔まで遡ると、それが由来であることがわかります」と話した。その後、彼女は2022年に立ち上げた自身のスキンケア・ブランドを「ロード・スキン」と名づけた。 私がグランドケイマン島のホテル「パーム・ハイツ」のプライベートバー、Bambi ’ sでヘイリーと落ち合ったのは、ちょうど日没前だった。赤いベルベットのソファの一つを、私たちはふたりだけで静かに使うことができた。外では、彼女に気づいていないリゾート客がその日最後の日光を満喫していた。ビーチ後のシャワーや夕食前の一休みも、このときがピークだっただろう。その日の午後早く、ヘイリーと彼女の友人たちは周りの客に溶け込みながら、透き通ったターコイズの水の中を歩いたり、サーフボードの上で冷たいドリンクを楽しんだ。「カリブ海の“空気の重さ”はかなりのものです」と、彼女は言う。「この湿度の高さが気に入っています。肌が健康的に感じられますから」 ■若い世代のライフスタイルアイコン 運命が定めるところによれば、ヘイリー・ビーバーは“現代の女神”となるだろう。ただし、その舞台となるのは、エーゲ海ではなくハドソン川である。Z世代やミレニアル世代の女性のあいだで、彼女はアイコン的な存在となっている。ロード・スキンのペプチドセラムや、エアウォン・マーケットでヘイリーが販売したベリー類のスムージーを買い求める彼女たちは、彼女のセクシーかつ活発なイメージや完璧な美容法、華やかなライフスタイルに心酔している。 その日、ブルネットのボブを後ろに流した彼女は、トープ色のミニドレスにザ・ロウの白いレザーサンダルを纏っていた。彼女の手にはきめ細かなタトゥーが施され、指にはゴールドのリング、またネイルには小さなイチゴがペイントされていた。インスタグラムのフィルターをかけたよりも澄んだその肌が、彼女の美容ブランドを代表するいちばんの顔は彼女自身である、という事実を思い出させた。彼女の首にかかった細身のチェーンからは、ダイヤモンドをちりばめたバブルレターの“B”を象ったペンダントが下がっていた。 “ヘイリー・ビーバー”になる前、彼女の名はヘイリー・ボールドウィンといった。彼女は、俳優でボールドウィン兄弟の末っ子であるスティーヴン・ボールドウィンと、ブラジル出身のグラフィック・デザイナー、ケニャ・ボールドウィンのあいだに生まれ、姉とともにニューヨーク州ナイアックで育てられた。最近では、彼女は夫のジャスティン・ビーバーと、主にロサンゼルスを拠点に暮らしている。このインタビューの瞬間も、ジャスティンは同じ敷地のどこかにいた。パーム・ハイツでの数日間、彼は誰にも気づかれないよう、うまく立ち回ったようだった。 じかに対面したヘイリーはフレンドリーで地に足がついていたが、無理もないことにガードは固かった。マンハッタンから1時間ほど北に行ったところにある閑静な郊外で育った彼女は、クリスチャンとしての信仰を学び、8年生(訳注:日本の中学2年生に相当)からは通学せずに自宅で教育を受けた。その後、17歳で彼女は家を出た。「大人になるのが、とにかく待ちきれませんでした」と、彼女はレモネードをすすりながら言った。「私は若く、自覚もあり、独立したい気持ちがありました。家を出て自分で稼ぐのが待ちきれなかったのです」 ハイスクールを出た後、彼女の世界は刺激の連続だった。「ニューヨークの市街に移って、Up & Downに出入りしていました。17歳でね」と言って、彼女は笑った。彼女が言っているのは、ウェスト・ヴィレッジにかつてあったナイトクラブのことだ。 いくつものブランドでキャンペーン広告の契約を獲得していく傍ら、彼女はジェンナー姉妹やハディッド姉妹ら友人たちとともに、SNS上でインフルエンサーとしても活動するモデルの最初の波を起こした。 ■ジャスティン・ビーバーとの出会い 15歳のカナダ人歌手ジャスティン・ビーバーを紹介されたとき、彼女はまだ内気なミドルスクールの生徒でしかなかった。2009年に彼がTV番組『トゥデイ』でパフォーマンスを披露する直前のことで、伯父アレックのはからいによるものだった。「彼に会ったのは12歳のときですから、知り合ってからずいぶん長くなります」と、彼女は振り返る。数年後、ニューヨークの教会での礼拝で再会した彼らは親友となり、そこから交際関係へと発展していった。その後、ふたりは破局と復縁を経て、2018年にマンハッタンの裁判所で結婚。後日、サウスカロライナ州で、映画『きみに読む物語』にインスパイアされた式を挙げた。それと同時に、彼女の人生はビッグになった。新たな体験、裏切り、成功が渦巻く彼女自身の「オデュッセイア」(叙事詩)に、今や誰もが注目をしている。 頻繁に移動しなくてはならない彼女は、今や旅の達人だ。「どこだろうと、私にとってホームになります。飼い犬と夫が一緒にいる限り、どこでも我が家になるのです」。そう話す彼女の人生を、家族はどう思うのだろうか。「父はときどき『驚きはない。お前のペースの速さは自然に備わったものだ』と言います」 ヘイリーの長年の友人ケリア・モニーツによれば、彼女はいつでもそうだったという。探究心を絶やさず、いつでも美しくセンスのいい、クールな女性だ。「彼女は自分の趣味がはっきりしています」と、モニーツは語る。ふたりは、ヘイリーがナイアックを去って間もないときに出会った。「あの頃の私たちは、流行を追いかけて世界をはしゃいで回るただの10代の女の子でした」 ホノルル出身でプロのサーファーであるモニーツは、オフの日のヘイリーを知る数少ない仲間のひとりだ。「彼女が生きている人生はとてもビッグで、手に負えないほどの物事であふれています。モデル業から結婚生活まで、彼女は自身の活動には何でも情熱を傾け、今ではビジネスウーマンとして大成功を収めていることは言うまでもありません。彼女のこれまでの人生で区切りとなった瞬間は、どれも偶然によるものではないのです」 褐色の内装に彩られたパーム・ハイツのバー、Bambi ’ sでは夜を迎えていた。「ちょっと、ここにあるセックスの本を見てみたい」と、ヘイリーは近くの棚を見上げて言った。 私たちの隣には、俗っぽいコーヒーテーブル・ブックが積まれたサイドボードがあった。「新しい性交:媚薬の料理レシピ」とか「図解入りセックス辞典」と題された本をヘイリーが手に取らなかったのは残念だったが、それとは無関係でもないことに、彼女は最近『セックス・アンド・ザ・シティ』を初めて観ていると話した。前日の夜には、ちょうどシーズン2を観始めたばかりだった(キャリーがNYヤンキースの選手を誘ったところだ)。それを眠りにつく前に観ている彼女は、劇中でいい衣装が映れば、一時停止して写真に撮ったりもしているという。「思っていたよりもいやらしいですね」と、彼女は言った。「オッパイもしょっちゅう映りますし」 必然的に、私はヘイリーにある質問をした。『セックス・アンド・ザ・シティ』の4人に喩えるならあなたはどれ? というものだ。「それぞれ別の理由で、ひとりひとりに共感します」と、典型的な受け答えをした彼女は、少しのあいだ考えた後、詳しく説明を始めた。 「ええと、ときどきシャーロットの純真さに、もっと若かった頃の自分を思い出します。『何でも試してしまえ』という気持ちをね」と、ヘイリーはクリスティン・デイヴィスを見事にものまねして言った。彼女はまた、キャリーのシティガールとしての根性やファッション愛にも共感するという。そして、サマンサの「ドライで無関心でありつつも、優しさを持っている」ところにも(彼女なら前述の本をカジュアルにめくっていただろうと、私たちの意見は一致した)。 「それと、もうひとりは誰でしたっけ? ミランダですね。彼女は頭脳派で論理的な人。私も論理的に物事を考えるので、理解できるところがあります。昨夜観たエピソードだったと思いますが、彼女はこう言うんです。『男の話が終わったら教えて。私たちはもう7年生じゃない。もっと大事なことを話しましょう』って」 ■クリエイティブな経営者として ヘイリーが“ミランダ”モードに入るのは、たいていロード・スキンの運営に関わるときだ。創業者およびクリエイティブ・ディレクターとして、彼女はブランドを一から育て上げた。自身のプロダクトが完璧になるまで、テストにテストを重ねて。彼女は製品の肌当たりに敏感なだけでなく、ブランドのファンが何に惹かれるかも感覚的に熟知している。例えば、クリスピー・クリーム・ドーナツとのタイアップでは、同社の「グレーズド」ドーナツのような肌つやをブランドが目指していることを印象付けた。 また、彼女はモデルとしての経験を活かし、写真家からメイクアップ・アーティスト、スタイリストまで多くの才能とともに、ブランドのアイデンティティを確立した。結果、セレブ主導のビジネスにおいて、ロード・スキンの広告キャンペーンは特に優れたものとなっている。例えば、トロピカルフレーバーの限定リップバームの発売に際しては、ミニマルなメイクを施したヘイリーが、ビーチでパッションフルーツの果肉を指ですくうというビジュアルが生み出された。ブランド代表ローレン・ラトナーは、ロード・スキンが「グレージングミルク」を売り出したときのことを振り返る。ヘイリーは、製品のミルキーな保湿性との対比を演出するため、乾燥してひび割れた砂漠で「ミルクを張ったバスタブに入っているところを撮ってほしい」と言ったという。 「そういったビジョンは、彼女の頭の中から生まれてきます」と、以前はウィメンズウェアブランド、リフォーメーションでマーケティングを担当していたラトナーは言う。彼女は、夫のマイケル・D・ラトナーを通じてヘイリーと知り合った(プロダクションスタジオOBBメディアの創業者でCEOの彼は、ジャスティン・ビーバーを追った2020年のYouTubeドキュメンタリーシリーズ『シーズンズ』の監督も務めている)。「彼女が自身のファンと自然に、また本心から繋がることができるのは、人々が望んでいるものと、それをいかに与えることができるかを知っているからです」 しかし、ロード・スキンを築いたヘイリーについてラトナーが最も感心したことは、彼女が「自分自身に賭けている」ことだという。 ヘイリーにとってブランドは、自身の礎となる場であり、「自信と安心を育ててきた」と話す存在だ。彼女とジャスティンは今夏、結婚5周年を祝った。セレブリティカップルの一員として5年目を数えながらも、彼女は「ひとりの個人としての私のアイデンティティは、これまでになく確固としたものになっています」と話した。 ■ファッションを楽しむセレブカップル ギリシア神話の神々ほどスキャンダラスではないにしても、ビーバー夫妻を巡ってはいつでもゴシップが絶えない。なかでも当たり障りのないものとして、まったく別のイベントにそれぞれ出席しているかのような、ヘイリーとジャスティンの服装のギャップは今や定番となっている。「大勢の人がそのことについて話しているのが、おかしくて仕方ありません」と、ヘイリーは言う。たいてい、ジャスティンのほうが彼女よりも先に服を選ぶというが、彼女は次のようにも話した。「彼はディナーにゆるいスウェットを着ていきたくても、私はタイトなドレスを着たいと感じるかもしれません。ふたりでお互いに着るものを決めるということができないのです」 これについては一度、SNSで論議を呼んだことがあった。このインタビューの直前、タイムズスクエアで行われたロード・スキンのイベントに、ヘイリーは赤いドレスとハイヒールを纏って登場した。一方、パパラッチの写真が彼女の後ろに捉えたのは、滑稽なグレーのスウェットショーツにクロックスを合わせたジャスティンの姿だった。この出来事は、TikTokにいる“評論家”たちの批判を招いたが、それがヘイリーの友人であるモニーツの癇に障ったようだった。「あの日の主役はジャスティンではなく、ヘイリーでした。彼はただ、妻を支えるためにそこにいただけです。でも、同時に彼のルックはクールでしたから、彼のことは嫌わないでほしいですね」。ビーバー夫妻ほどスタイルを楽しんでいる有名人カップルはいないだろう。不釣り合いな服装でメディアをからかっているとは、彼女は認めないが。結婚生活でもほかの場面でも、お互いにまったく妥協しないことがいちばんの妥協なのかもしれない。 しかし、ゴシップの内容がよりプライバシーに迫ることもある。「最近、私が妊娠したと言って皆が騒いだことがありました。それまでにも何度もあったように」と、ヘイリーは言う。オンライン上の噂に関して、まさにその質問をしようとしていた私の先を越してのことだ。「何が私を絶望させたかといえば──私は妊娠しない限り、太ることも許されないってこと? ということでした。『ああ、あんなこと気にしてない』と言えば、嘘になります」 「もし、噂が本当になったとき、あなたたちは──」と言いかけ、彼女はその手を振りかざし、世界全体を指して言った。「あなたたち、インターネットの住民が知るのは誰よりも後です」。かつてのインタビューで、彼女は自身の子どもを世間の注目から遠ざけて育てたいと語っていた。彼女の両親がそうしたように。しかし、現在の彼女はそれは難しいことだと諦めている。「(子どもにスポットライトが当たるのは)おそらく避けられないことでしょう。当時は、誰と結婚するかも知る前でしたから」 ■母親になることは楽しみにしている 「18歳の私には、子どもを特殊な環境では育てないということが素敵に感じられましたが、今の私の人生は18歳の頃とはまったく違います」と、彼女は言う。「まだ実際に子どものいない状態で、親として何をする、何をしない、と言うのは難しいです。親になるのがどういう気持ちかもわかりません。犬の里親なら別ですが。ただ、その二つは決して同じではありませんから」 母親になることは「楽しみにしている」と、彼女は言う。「私的で、個人的なことですしね。それは、やって来るときにやって来るものです。正直言って、そんなことに世間がどれだけ我が事のように関心を寄せているかと考えたら、笑ってしまいますよ。私には私の身体を好きにさせてほしいです。あなたたちはあなたたちの身体を好きにすればいいから。それでいいでしょう?」 ヘイリー自身がそうだったように、彼女は自分の子どもが有名な姓を受け継いで育っていくことをよく理解している。自身の経験から、彼女はそれが「最高なことであると同時に挑戦でもある」と話した。今年初め、芸能界のネポティズム(縁故主義)に関する議論がインターネットを賑わせていた頃、ビーバー夫妻のスタイリスト、カーラ・ウェルチは“Nepo Baby” (ネポベイビー=2世タレント)と書かれたTシャツを考案した。その後、ヘイリーがそれを着て医療機関へ受診に向かう姿が、パパラッチによって写真に収められた。パーム・ハイツで私たちは、将来生まれるボールドウィン・ビーバーのために、お揃いの“Nepo Baby”パジャマをつくるべきだと冗談を言い合った。「私の赤ちゃんのために!」と、彼女は叫んで言った。「それは最高のアイデアです」 ヤシの葉に隠れたプライベートなディナーテーブルがあるビーチへと移る前、彼女は自身が10年にも満たないあいだに辿った軌跡を振り返ってこう言った。「ときどき、ニューヨークを駆け巡った18歳の奔放な時代のことを恋しく思います。あのような瞬間を、私の人生で再び味わえることはないでしょう。無名だった当時の自分を、二度と取り戻せないというのもあるかもしれません。その立場をもっとありがたく思うべきでした」 彼女のセレブ生活に絶えず注目が集まるなか、ヘイリーの道筋は揺るがない。「ここが私のいるべき場所だと実感しています。以前はさまざまな理由で、自分自身や自分の身体とのつながりが希薄に感じられてしまうことがありました。今の私は迷いもなく、とても幸せです。自分の前にあるものに、ただフォーカスするだけです」 ヘイリー・ビーバー 1996年生まれ、アリゾナ出身。2014年にモデルとして活動を開始し、ラルフ ローレンやトミー ヒルフィガーなどのキャンペーンやテレビ番組に出演。2022年、スキンケアブランド「ロード・スキン」をローンチし、実業家としても成功を収める。 From GQ.COM By Eileen Cartter Translated and Adapted by Yuzuru Todayama