「この日を忘れるな」日航から貨物専用機が消えた日、流した悔し涙 悲願の復活へ、13年の思い #ニュースその後
「この日を忘れるんじゃないぞ」。2010年10月30日、日本航空(JAL)の貨物専用機(フレイター)の日本発最終便が、涙を流す大勢のグループ社員が見送る成田空港を飛び立った。この年、経営破綻に陥ったJALは会社再建に向けた事業見直しのため、当時需要の浮き沈みが激しかった貨物郵便事業を縮小。最大14機まで保有した貨物専用機を全て手放すしかなかった。貨物に携わる社員にとって「象徴」の喪失だった。あれから13年。航空輸送を取り巻く環境が変化し、JALは来年2月、貨物専用機を再導入する。多くの現場社員にとって悲願だったフレイター復活劇の裏側に迫る。(成田支局・渡辺翔太)
「生きがい失った」
「仕事を大好きになった矢先、生きがいを失った」 成田空港でフレイターの搭載作業に連日立ち会っていたJALカーゴサービス輸出・郵便事業部情報グループ長の大山広数さん(45)は、13年前のショックを忘れない。 かつてのJALはアジアの航空貨物輸送の「パイオニア」として名を馳せた。1959年に貨物専用機を東京(羽田)-米国サンフランシスコ線の定期便に投入して以降、世界各国へネットワークを拡大。100トン以上搭載可能な「ジャンボ」と呼ばれるボーイング747など大型機を中心に14機保有した2006年度には、貨物郵便事業でピークに当たる2194億円の収益を上げた。 大山さんは07年からフレイターが廃止される直前まで、貨物の形状や大きさに基づいて搬入の可否を判断する部署で働いた。 どうすれば貨物を搭載できるか判断するため、何度も貨物室に入って自分の目で見たり、マニュアルを一字一句読み込んだりして学んだ。その過程で飛行機が大好きになった。
巨大ヘリ、ライオン…腕の見せ所
通常のコンテナに入る貨物以外に、高さ約3メートルのメインデッキを持つ大型機にはコイルや自動車、大型機器など特殊な貨物を載せた。 分解する必要がある巨大ヘリコプターのほか、競走馬やライオン、イルカといった動物などイレギュラーな貨物は特に腕の見せ所。「担当者の知恵や丁寧さが問われる、やりがいのある仕事だった」。 ところが、リーマン・ショックの起きた08年から貨物需要は急減。貨物を満載できず、非効率な運航となる路線が増えた。 経営再建を進めるJALにとって少しのリスクも命取りとなり得る。経済状況の悪影響を直接受けるフレイターの保持は不可能だった。 10年11月、フレイターは完全に廃止され、大山さんが誇りを持って取り組んできたさまざまな輸送業務が失われた。