西行は待賢門院璋子と「一夜の契り」を交わしたのか――日本文学史最大の謎を追う
西行といえば、23歳の若さで出家して、一途に和歌の道を追い求めた天才歌人。その清廉な生き方は、これまで多くの日本人を惹きつけてきた。 【画像を見る】西行の“道ならぬ恋の相手”の仰天の身分
それにしても、若く、お金持ちで、前途有望だった西行が、なぜ突然出家したのか――その理由として取り沙汰されてきたのが、鳥羽院の妻であり、崇徳天皇の生母である待賢門院璋子との「道ならぬ恋」である。璋子といえば、大河ドラマ「平清盛」(2012年)で檀れいさんが熱演したのをご記憶の方もいるだろう。 西行歌集研究の第一人者・寺澤行忠さんの新刊『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)では、西行の出家の理由として「潔癖説」「恋愛説」「数寄説」の三つを挙げて検証している。ここでは、待賢門院璋子との「恋愛説」に関する記述を再編集して紹介しよう。 ***
出家の理由は「恋愛問題」なのか?
西行の出家の原因として、古くから言われてきたのは、恋愛問題である。 「かかる身におほしたてけむたらちねの 親さへつらき恋もするかな」(恋の思いに苦しむ、このような身に育て上げてくれた親さえも恨めしく思われる、つらい恋をすることだなあ) 「あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ 来む世もかくや苦しかるべき」(ああ、ああ、この世ではどのように恋の思いに苦しもうとも、なるようになれ、しかし来世もこのように、恋の思いに苦しまなければならないのか) 具体的な詠作事情は知られないが、これらの歌に込められている強い現実感は、こうした歌が観念の世界で詠まれたものと思わせない力をもっている。自分をこの世に生み出してくれた親には、ふつうは感謝の念を抱く。しかしその親さえもが恨めしく思われるほどのつらい恋だ、というのである。 恐らくは自らの体験に深く根ざしたものがあったのではなかろうか。
身分違いの恋?
そしてその恋は、やはり身分的なものに深く関わるものだったのではなかろうか。 「知らざりき雲居のよそに見し月の 影を袂に宿すべしとは」(思ってもみなかった。遠い空の彼方に仰ぎ見る、月にも比すべき人に思いをかけ、叶わぬ恋ゆえの涙に濡れた袖に、月を宿さなければならないとは) 「雲居(くもい)」は、宮中にもいう。「影」は、光の意。「影を袂(たもと)に宿す」とは、涙に濡れた袖に月光が映ることの比喩である。 「数ならぬ心の咎になし果てじ 知らせてこそは身をも恨みめ」(とるに足りないわが心のせいにはしてしまうまい。思いを知らせてなおだめならば、その時はじめて、我が身を恨むことにしよう) 「もの思へどもかからぬ人もあるものを あはれなりける身のちぎりかな」(恋のもの思いをしても、これほどの苦しい思いをしない人もあるのに、誠にあわれな身の宿世であるなあ) 「身を知れば人のとがとは思はぬに 恨みがほにも濡るゝ袖かな」(我が身のほどを知っているから、あの人のせいだとは思わないのだが、それでもあの人を恨むかのように濡れる、わが袖であることだ) これらは、『山家集』の中ほどに、詞書がなく、単に「恋」として一括して収められている歌群の中にある。これらの歌には、身分的な障害ゆえに恋が遂げられなかった事情の介在を強く思わせるものがある。