脇坂泰斗が海外移籍より川崎残留を選んだ理由。勝負の2024年への強い覚悟【スペシャルインタビュー前編】
決断を後押ししたのは
もしかしたら万感の天皇杯制覇でひとつの仕事をやり終えたとの想いもあったのかもしれない。川崎でともに力を付けた守田英正、田中碧、三笘薫、旗手怜央らはすでに欧州へ渡り、日本代表の常連になっている背景もあった。個人の目標とクラブへの影響力、その間でオフを過ごす脇坂は揺れていた。 「そこのバランスが本当に難しくて。だから分けながら考えてもいましたね。自分自身のことを考えてみたり、一回視野を変えてクラブの今後を考えたりと。それこそ自分の今と未来、クラブの今と未来、いろんなことを考えました」 その期間、誰かに相談すれば考えに偏りが生じてしまいそうだと、自問自答をし続けた。ひと足先に海を渡っている川崎への同期入団の守田(スポルティング)や、プライベートでも仲の良かったアカデミーの後輩の田中(デュッセルドルフ)らに話を聞くこともなかったという。守田からは様子を窺う連絡もあったが、その想いに感謝しながら「決まったら伝えるよ」と返した。 「やっぱりヒデ(守田)やアオ(田中)に訊くのもちょっと違うのかなと。言ってしまえば、どちらの道を選んだとしても正解なんですよね。フロンターレは本当に大好きで、愛する気持ちはどこにいても決して変わらない。でもすべては自分次第。どんな環境でも自分を高めることはできますから。だから両方、肯定しようと。ネガティブなことは考えずに、ポジティブなことを並べていきました」 ふたつの道をイメージしながら、悩みに悩み――それでも脇坂が決断したのが、2024年も川崎で戦う道だった。 海外移籍は再びチャンスがあるかもしれない。それよりも川崎で悲願のACL制覇を成し遂げたいとの想いが脇坂の背中を押した。シーズンをまたがって戦う今回のACLはすでに無敗でラウンド16に進出しており(2月13日に行なわれたラウンド16の第1戦も勝利)、次回大会からはレギュレーションが変更になるだけに、ここで唯一手にしていないタイトルを獲得したいとの願いがあったに違いない。 また脇坂には指標となるひとりの先輩がいた。 大卒後、川崎一筋で己を高め、30歳でカタール・ワールドカップ出場を果たした谷口彰悟である。谷口はワールドカップ後に、新たなチャレンジとしてカタールへ渡ったが、夢舞台でJリーガーでも世界の選手たちと互角に渡り合えることを証明した。 「本当に凄いと思うんですよ。年齢を言い訳にせず、努力を続け、今も日本代表で頑張っている。自分を高め続けることができれば、環境は関係ないと改めて教えてもらいました。勇気をもらいました」 脇坂が具体的に目指す2026年のワールドカップは、奇しくもカタール大会時の谷口と同じ30歳で迎える。道がイメージできることも今回の決断に影響したのかもしれない。 そして、アメリカでの新たな挑戦を選択した山根視来らとも誓い合った。 「お互い考え抜いたうえので決断。内容は違っても、考えていたことは似ているので、どういう選択にしようが、自分が決めた道を進むのが正解だと各々が分かっていました。だから『選んだ道でしっかり頑張ろうぜ』と、言葉をかわしましたね」 2024年への覚悟は固まったのだった。 ■プロフィール わきざか・やすと/1995年6月11日生まれ、神奈川県出身。173㌢・69㌔。FC本郷―エスペランサSCJrユース―川崎U-18―阪南大―川崎。J1通算146試合・25得点。日本代表通算4試合・0得点。3年連続でベストイレブン入りを果たす。 取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)