「推しについて語りたい!」とき「やばい!」以外で“自分の言葉”を使うコツ 「好き」の言語化に重要なことは?
感情を大きく動かしてくれるって、それがたとえマイナスでもプラスでも、人生におけるすごく素敵なギフトです。 ■なんのために感動を言語化するの? しかし「じゃあ感動を呼びさましてくれた推しに感謝! 感動は感動のままに、言語化せずに終わりましょう!」だと……SNSにもブログにもファンレターにもなにも書けずに終わってしまいます。それは困りますよね。 いや、もちろん本当に感動した経験って、自分のなかに留めておいてもいいんですよ。なにも無理に他人へ伝えなくても、自分の記憶として脳内に置いておくのも一手です。
しかし私は、「たとえ自分しか見ない日記やメモのなかだったとしても、自分の言葉で感動を言語化して、書き記しておくのはいいことなんじゃないか」派です。 なぜなら、自分の言葉で、自分の好きなものを語る──それによって、自分が自分に対して信頼できる「好き」をつくることができるから。 私は「自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもある」と考えています。そもそも、好きなものや素敵だなと思った人って、すごく大きな影響を自分に与えてくれますよね。
もちろん嫌な経験や辛い出来事も自分を形づくるものではありますが、やっぱり好きなことの影響は大きい。 だとすると、自分を構成するうえで大きなパーセンテージを占める好きなものについて言語化することは、自分を言語化することでもあります。 そして、なにかを好きでいる限り、その「好き」が揺らぐ日はぜったいにくる。私はそう思っているのです。 ■「好き」を言語化するうえで一番NGなこと それでは、自分の「好き」を言語化するうえで、一番重要なことを伝えましょう。
ずばり、「他人の感想を見ないこと」です。 逆に言うと、「好き」を言語化するうえで一番NGなこと──それは、他人の感想を自分の言語化の前に見てしまうことなんです。 これ、今の時代だからこそ、すごく気をつけたほうがいい‼ と私は声を大にして言いたい。自分自身、とっても気をつけています。というか、気をつけていないと、他人の感想が自然と目に入ってしまう。そして、他人の言葉に影響されてしまう。 自分自身の「好き」を言語化しようと思ったのに、他人の言葉によって、自分の「好き」を見失ってしまう。そういうことって往々にしてあるんです。