古代エジプト王のミイラの顔にも痕跡が…天然痘ウイルスがひき起こしてきた惨事の歴史
古代エジプト王のミイラの顔には天然痘ウイルスの痕跡があるという。 人類とウイルスのつきあいは長く、3000年以上前から続いている。 【画像】エジプト王のミイラの顔に残る天然痘ウイルスの痕跡 これまでウイルスはどのような惨事を引き起こしてきたのか。その歴史を振り返ってみよう。 【※本記事は、宮坂昌之・定岡知彦『ウイルスはそこにいる』(4月18日発売)から抜粋・編集したものです。】
藤原氏4兄弟も感染死
病原体としてのウイルス粒子が同定されたのは今から百数十年前のことだが、実は人類とウイルスとの付き合いは非常に長い。 古代エジプトの王ラムセス5世のミイラの顔には天然痘で特徴的に見られる瘢痕があったという(『人類と感染症の歴史──未知なる恐怖を超えて』:加藤茂孝、丸善出版)。彼が亡くなったのは紀元前1157年なので、3000年以上も前から人類は天然痘ウイルスに苦しめられていたことになる。 日本とて無縁ではなかった。天然痘はシルクロードを介して東アジアに入り、奈良時代には唐との国交を行う遣唐使船を介して日本に持ち込まれた。その後、天平9年(737年)には天然痘の大きな流行が起こり、当時の政権の中枢にいた藤原氏4兄弟が相次いで感染して死亡した。 天然痘は致死率がきわめて高いウイルス性伝染病で、高熱とともに赤い発疹が出て、膿疱となり、後にあばたが残る。治療法はおろか病気の原因すらわからなかった当時の人々が恐れおののいたのも無理はない。 聖武天皇は社会の不安、疫病の撲滅を願って仏教に救いを求め、東大寺に大仏を造った。今から1200年以上も前のことである。 天然痘はその後も世界中で猛威を振るい、新大陸にも累が及んだ。16世紀前半に、南米のアステカ帝国やインカ帝国が相次いで滅亡したが、これにも天然痘ウイルスがかかわった。 当時、ヨーロッパからの侵入者を介して天然痘ウイルスがアメリカ大陸に持ち込まれた。先住民はまったく免疫を持っていなかったので、多くが感染して亡くなり、国を守るための兵力が不足して、これが両帝国の滅亡の大きな原因となった。特にインカ帝国では、天然痘のために当時の人口のなんと6~9割が死亡したという。 * 私たちのからだは一見きれいに見えても実はウイルスまみれだった! 宮坂昌之・定岡知彦『ウイルスはそこにいる』(4月18日発売)は、免疫学者とウイルス学者がタッグを組み、生命科学最大のフロンティアを一望します。
宮坂 昌之/定岡 知彦