長谷川豊氏立候補会見(全文1)レギュラー8本なめんなよ、書いてないかも
長谷川氏からの一言
○記者 続きまして、長谷川さんご本人から★★一言【00:07:03】いただけますでしょうか。 ○長谷川 皆さん、本日はありがとうございます。長谷川でございます。本日この日を迎えられたことをもって、非常にいろいろな思いが去来しています。たくさんの感謝と深い反省とどうしようもない自分に対する怒りも含めて、その思いを全部乗り越えて、全部受けとめて、背中を押してくださる維新の皆さん、全国の仲間、松井代表や馬場幹事長だけではなくて、本当に多くのファンの方々、全ての方々に思いを伝える場が、こうしてできたこと、心から感謝したいと思います。本来ですと、先ほど馬場幹事長からありましたとおり、千葉の1区の支部長の就任会見ということになるんですが、本来の趣旨とは少し離れるかもしれないんですが、やはり去年の9月のあの騒動について、もう一度改めて、深く謝罪させていただきたいと思います。これは、本日お集まりの皆様方にとっては。もちろん話のそれた内容なのかもわかりませんが、どうしても何度お伝えして、何度頭を下げても、僕は足りることはないと思っているので、おわびをさせていただきたいと思います。 先般9月19日に書いたブログに、大変多くの方々から、お叱りの声をいただきました。その後の私の対応も非常に子供じみた稚拙なものだったというふうに思っています。何度もブログでは書かせていただきましたけれども、同じことをきょうも言わせていただきたいと思います。本当に申しわけない思いでいっぱいです。多くの方々にご迷惑、そして嫌な思いをさせてしまって、申しわけありませんでした。 もう何度も書いているので、お前はまた言っているのかと言われてしまうかもしれないですが、あの日それまで医療であったり、オブジーボという非常に高額な値段のついているお薬の問題であったり、昭和26年からずっと連なっている年金システムがいまだに残っていることしかり、日本の社会保障政策は、僕たち若い世代にとっては、限界に来ているよねという話は、日常的にしているにもかかわらず、制度がどうしても変わらない、何とかハレーションを起こしてでも、みんなで考えられないかという思いをずっと強く持ちながら、それまで東京の大手のテレビ局で取材をしていたときには、全く見ることのなかった世界というのが、取材現場で幾つも浮き彫りになって。それこそENGカメラを持っていたら、患者さんたちも皆さんおとなしいわけですよね。ちゃんとした態度をとってくれて。先生方も、ピンマイクをつけると、しゃんとした言葉を言ってくれて。 でも、フリーになったので、特に9月であの日は結構暑くて、Tシャツ、短パン姿で病棟の取材に行って、俗に言われる、余り、必ずしも態度のよくない患者さんを目の当たりにして、その患者さんたちに、幾らの税金が使われていると思う、あの患者さんたちがいるおかげで、ほかの患者さんに手が回らないんだよね、現場の先生方から、幾つものお話、訴えを聞いて、長谷川さん、ぜひブログに書いてくれと。そこまではよかったと思うんですが、その温度感のままで家に帰り、いやもう許せないというテンションのままガーッと打ち込んだあのブログは、今冷静になって、しっかりとゆっくり休んで、改めて見たら、本当に自分が書いたのだろうかと疑いたくなるような驚くような過激な言葉と、余りにも一方的な文言が並び続けていました。言わんとすることは、客観的に見て全然わからないとまでは言わないんですけれども、幾ら何でも片方の温度感が強過ぎて、多くの方に偏見を与えかねない内容でした。 伝え手としても、完全に間違いですし、あれは僕の100パーセントの誤りだというふうに思っています。ただ謝罪をするというのは、僕は違うというふうにずっと思っていましたし、ブログのほうでも、謝って終わりというのは違うんじゃないということをずっと言ってきた手前、当時担当していた全てのテレビ番組と月30本近くあった全ての連載を全てストップし、一度収入をゼロに戻し、皆さん方がちゃんと納得していただけるような反省とそれを結果として、態度としてあらわすべきだという判断に至り、去年の10月、全ての仕事をおろさせていただきました。 ただ、自分としてももちろん生活自体はあるわけで、子供たちも3人おりますし、さあ、次、自分はどういった道に行けばいいんだろう。アナウンサーが、プロのアナウンサーが、言葉でミスったのであれば、僕はアナウンサーに戻ってはいけないという思いがあったので、そんな中、大阪で東京の方々がほとんど知らない中、驚くほど実直に汗を流して、よくこれほど、まあ正直にと、あいた口が塞がらないような真っ直ぐな政治をやっている方々がいらっしゃって、ひょっとしたら僕もそのお仲間に入れていただくことはできないだろうかと、一度話だけでも聞いていただけないだろうかということで話をさせていただいたところ、松井代表や馬場幹事長に、温かいお言葉をちょうだいして、そして何より、一度失敗した人間が、反省と謝罪をして罰を受けた後、もう一度やり直すんだという姿を見せてみろという背中の後押しをいただきまして、全ての批判を受けとめながら、ずっと入社2年目からもう17年以上ですか、住んでお世話になっている千葉の皆さんのために、役に立てる人間になりたいという思いから、本日このときを迎えることができました。ご存じのとおり、大変な逆風です。もちろんのことだと思います。 ただ、順風だけでやっていては変えられない日本の政治があることも事実です。お前みたいなばかなやつが、偉そうに出馬なんかするなという声は当然のことであって、その言葉とその声を発していらっしゃることの感覚のほうが、僕はよっぽどまともだと思います。まともだと思いますが、3人の子供たちが、お父さんの信じる道なら応援すると言ってくれましたので、今、しっかりと前を向いて、立ち上がろうと思います。自分の大好きな千葉は、この後質疑応答でもぜひ話をさせていただきたいと思いますが、僕は日本維新の会と千葉1区の再生が日本全体の再生につながると思っているので、論理的にそうだと思っているので、やれるところまでやりたいと思います。ありがとうございます。