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「幸福の国」ブータンで異変 広がる薬物汚染の実態

2015/09/28(月) 10:56 配信

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「幸福の国」と呼ばれるブータン。今、深刻な薬物汚染に揺れている。今年の薬物事犯の逮捕者は2年前に比べて倍の1000人を超えるペースだ。中には14歳から薬物を使用する若者もいる。2011年にはNGO団体が設立され、ドラッグ中毒者の社会復帰支援に努めるが、薬物に手を染める若者は増す一方だ。
その背景には若者の高い失業率がある。さらには、インドと国境を接するブータン独自の事情も汚染拡大に拍車をかけていた。(Yahoo!ニュース編集部)

「ドラッグ? みんなやってるよ」

20代のドラッグ常習者の男性は語る。
「ドラッグはタブレット型の合成麻薬で種類はスピードとか色々。値段は1ケース150ヌルタム(267円)。最近は値上がりして250ヌルタム(445円)くらいかな。知り合いから買うんだけど、そいつはインドから持ち込んで来るらしいよ」

ブータンの都市部で働く公務員や民間企業の社員の平均月収は2~3万円ほどだ。彼らにとってドラッグはけっして安い買い物ではない。そもそもブータンではタバコの販売さえ許されていないのだ。とりわけドラッグに対する罰則は重く、使用・所持が発覚すれば3カ月の懲役、販売すれば6年から9年の懲役が課せられる。

だが、規制をかけても薬物汚染は止まらない。全国に7カ所設置しているドラッグやアルコール中毒者専用の救急医療施設「Drop in Center」では深夜になると顔面蒼白で口から泡を吹き出した若者たちが担ぎ込まれる光景がよく見られる。ブータン麻薬取締局によれば過去数年間で約6300人が薬物が原因で医療機関を訪れているという。

(提供:YDF Bhutan)

ドラッグのほとんどは、隣国・インドから持ち込まれる。中国と国境問題を有するブータンは、もう一方の強国であるインドを頼り、同盟関係を結んだ。

だが、こうした緊密な関係は、ドラッグ監視の目がゆるくなるという結果を招いた。事実、ブータンとインドの間は身分証明証さえあれば、通行は自由化されている。

「社会復帰のめどさえ立てば......」

ドラッグ中毒から立ち直り、社会復帰を目指すためのNGO団体「Chithuen Phendhey Association(略称CPA)」が2011年に設立された。首都ティンプーのCPAの建物には、毎朝決まった時間に数人の若者たちが人目を避けるように入っていく。

中では、16人のスタッフが、ドラッグの危険性を教える再発防止教育やグループカウンセリングを中心に活動する。重度の中毒者の宿泊施設も設けており、スタッフの管理の下で規則正しい生活を送り、心身の健康を取り戻す。社会復帰のめどが立てば、仕事も紹介する。

ここまで手厚いサポートを行うのは、社会復帰をさせることが真の再犯防止につながると考えるからだ。ジグミ・ケサル・ワンチュク国王がCPAの活動に共感し、運営費の大半を出資している。

ワークショップを定期的に開き再発防止を目指す

「若者たちを救いたい」

CPAの代表を務めるツェワン・テンジンさん(36)。自らも薬物中毒で苦しんだ過去を持つ。自分と同じ苦しみを若者たちにさせたくないと、2011年にCPAを立ち上げた。

CPAの課題を語る代表のツェワン氏

ツェワン代表は、若者のドラッグ汚染を次のように分析する。
「外国文化が入ってきたことで、農村の若者たちはブータンの伝統的な生活を退屈に感じ、刺激を求めて都会へ出ていくようになりました。問題は、ティンプーの人口が飽和状態で大勢の人が希望する仕事につけないことです。その憂さ晴らしで、ドラッグに手を出すケースが多いのです」

実際、ティンプーの中心部では昼間から酒を飲んだり、ビリヤード場で遊んだりしている若者の姿が目に付く。
彼らは口々に言う。
「暇だからだよ。」
「仕事がないんだ。せっかく大学まで出たのに...。」
そんなぼやきが、深刻なドラッグ汚染の入り口になっているのだ。

好景気でもなぜ仕事が無い?

だが、近年、ティンプー郊外ではマンションの建設ラッシュが続いており、仕事自体は選ばなければある。ただ、経済成長とともに大学進学率が上昇し、若者たちは公務員などのホワイトカラーの仕事を望むようになった。農業や建設現場での仕事は3Kとして敬遠されてしまう。

国際協力機構(JICA)でブータンの援助計画を策定している須原靖博さんはこう分析する。
「ドラッグ問題を解決するには、若年層の高い失業率への対策が不可欠です。 たとえば、ブータンの農家は大半がコメ農家ですが、より収入の高い作物に切り替えて、収入が向上すれば、 農業従事者も増加し、雇用も安定するでしょう。」

「ただ、刺激が欲しかった」

まだあどけなさが残る19歳の女性、パッサン・ワンモさん。彼女は2015年8月からCPAに通っている。彼女が初めて薬物を使用したのは14歳の時のことだった。きっかけは興味本位、友達が持っていたからだ。彼女は当時をこう振り返る。

「テレビやネットで目にする都会の生活にいつも憧れていました。それに比べて、私の家は田んぼ以外何もない田舎でした。何でもいいから刺激が欲しかったんです」

パッサン・ワンモさん。最初に薬物を使い始めたのは14歳だ

彼女が生まれ育ったのは、首都ティンプーから東に70キロ離れたプナカという山間の町だ。

地元の高校を卒業し、ブータンの国立シェルブツェ大学に合格し、大学近くの街で下宿を始めた。すると、それまでは時々使用する程度だったドラッグの量が急増。気づけば、重度の中毒症状に陥っていた。両親からの仕送りはすべてドラッグに使い、金に困り財布を盗もうとして警察に捕まった。

事情を知った両親の強い勧めでCPAに通い始めた。現在、大学は休学し、今はティンプーの親戚宅に居候している。

だが、「今までも何度かやめようとしたけど、無理でした。頭ではダメだと分かってても、身体がドラッグの刺激を欲しがるんです」

それでも、ドラッグをやめて大学へ戻りたい気持ちは強い。パッサン・ワンモさんは特別な例ではない。こうしたごく普通の若者が、ちょっとした好奇心や現実逃避からドラッグに手を染めるケースが多発しているのが、ブータンの現状なのだ。

だが、こうした現状は、国外にはほとんど知られていない。ブータンでは、観光業は水力発電と農業に次ぐ貴重な収入源であり、イメージダウンにつながるドラッグ問題について、政府が公の場で触れることはほとんどない。

旅行者たちも滞在中は現地人ガイドとの同行が義務付けられるため自由行動はできず、ガイドたちの計らいでドラッグ中毒者と接触することはない。

ツェワン代表率いるCPAの理念や活動が広まることで、若者たちが本当の幸福を取り戻せる日はやってくるのだろうか。

[制作協力]オルタスジャパン

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