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『アサシン クリード シャドウズ』炎上の理由は主人公の弥助……を含めた日本文化へのリスペクト不足か

多根清史アニメライター/ゲームライター
Image:Ubisoft Japan/YouTube

フランスのゲーム会社ユービーアイ(UBI)ソフトが11月に発売予定のアクションアドベンチャー『アサシン クリード シャドウズ』がもっかSNS等で炎上中です。

国会議員が文科省に質問をした、オンライン署名サイトに数万人が賛同した……というニュースは、「どの党に属してる議員が取り上げたのか」や「ワンクリック=1人にカウントする数字にどれほど重みがあるのか」を加味すれば、考慮に値するかどうかは賛否が分かれそうです。

ともあれ、UBIが公式に「日本の皆さまにご懸念を生じさせたこと」につきお詫びを表明しているのは事実です。少なくとも、放置していい状況は過ぎ去ったということでしょう。

炎上の焦点となっているのは、プレイアブルな主人公が2人いるうち、1人を織田信長に仕えた黒人の弥助にしたことです。UBIはシリーズ初の試みとして「実在した人物を主人公にする」と強調しており、たまたま些細なディティールが悪目立ちしたわけではなく、わざわざ「論点」にした形となっています。

まず火元となったのは、他のシリーズでは世界各地で舞台を変えながらも現地の人を主人公にしてきたのに、日本だけ例外としたことでしょう。もう1人の主人公・奈緒江は伊賀者にして忍(アサシン)であり現地産のため、半分だけイレギュラーにしたといったところです。

より大きく燃え広がったのは、弥助を「歴史に名を遺す屈強なアフリカ人の侍」という風に、複数のメディアで何度も「侍」であることが史実だと強調しちゃったことです。

この点は、『どうする家康』で時代考証をされていた平山優先生の「信長に仕える「侍」身分であったことは間違いなかろう」に尽きるでしょう。いかに資料が乏しくとも、扶持も太刀も屋敷も与えられていたことは確実であり、「身分」が侍だったのを疑うのは無理があります。

ただ「歴史に名を遺す」といわれれば、別に戦場で手柄を挙げたとか、領地を切り取ったという資料が残っているわけでもなく、明らかに言い過ぎです。戦国時代に無数にいた日本人の侍のなかで、なんで外国の人を選ぶの?と反発を招くのが自然でしょう。

『龍が如く』にあって「アサクリ シャドウズ」に欠けているもの

Image:SEGA/YouTube
Image:SEGA/YouTube

おそらく弥助だけでは、これほど燃えなかったはず。複数のゲーム専門メディアに宣伝するのと並行して、予告トレーラーや開発中のゲームプレイ動画を公開したのがマズかった。

5月に公開した予告トレーラーでは、安土城の天守閣の畳が正方形、信長のすぐ隣に森蘭丸が座っていて上座と下座の概念がない、さらに6月のプレイ動画では桜が咲いているなかで田植え、その風景に「豊作だな」という弥助。アサクリ(略称)シリーズは資料を徹底的に調べることをアイデンティティーとしているのに、なぜあいさつ代わりに「日本が分かってない」印象を焼き付けたんでしょうか。

ほかは甲冑姿で町中を歩いているだの、村の入り口に鳥居だの、こん棒で敵の頭を粉砕だのとツッコむ声もありましたがそりゃゲームだから別に良いでしょう。ゲームの主人公は、生い立ちなど背景の設定はさておき、装備やアクションは自由でなければゲームである意味がありません。

舞台となるオープンワールド世界の描き方は史実に寄せつつ、主人公にはゲームらしい自由度を確保する……といえば、最も近いのが『龍が如く』シリーズでしょう。あのシリーズは「神室町」は歌舞伎町、伊勢佐木異人町は横浜・伊勢崎町を思わせながらも、同じ建物は(おそらく)1つも出てきません。

それでも歌舞伎町っぽい、横浜っぽい体験を提供し、それぞれのタイトルで80年代や90年代の空気を醸しだし、見事に好評を得ています。あのシリーズと「アサクリ シャドウズ」(略称)の違いは、現地の文化に対するリスペクトの有無ではないでしょうか。

『Ghost of Tsushima』大ヒット直後の間の悪さ

Image:PlayStation Japan/YouTube
Image:PlayStation Japan/YouTube

あらゆるゲームは孤立した中で生まれてくるのではなく、歴史をテーマにしたカテゴリーにも潮流というものがあります。2020年代において、それを力強く規定している作品の1つは『Ghost of Tsushima』でしょう。

『Ghost of Tsushima』は鎌倉時代の末期、蒙古帝国が対馬に襲来した「文永の役」を物語の題材としています。当時の歴史的な資料、剣術も調べあげてはいますが、主人公の周りの人達や敵キャラクター達は架空の人物ばかりです。

そして対馬の自然の美しさや壮大さを徹底的に描きつつ、主人公・境井仁の戦い方は時代劇を参考にしたと開発者達は語っていました。それに仁らの行動原理も正々堂々と戦う「武士の誉れ」を軸としており、だからこそ多勢に対して闇討ちで立ち向かう「冥人」としての苦悩にも深みが生まれています。

史実には沿っていないかもしれないが、「日本の風土が持つ心」には寄り添っている。そうすることで史実に雁字搦めにされることを避けつつ、最大限の自由度を確保しているのですね。それを日本のプレイヤーが「赦す」というのはごう慢かもしれませんが、実際に批判は全くといっていいほどありませんでした。開発会社であるサッカーパンチ・プロダクションズが米国の会社だと知ったときは、ビックリしたものです。

エンタメのジャンルは違いますが、最近Disney+等で配信された時代劇ドラマ『SHOGUN 将軍』もしかりです。三浦按針をモデルにした主人公が吉井虎永(徳川家康がモデル)のピンチ脱出から戦いまで何から何まで大活躍するのは冷静に考えればおかしいのですが、日本人の死生観まで掘り下げた誠実な作りには全世界が平伏した感があります。

UBIは「魅力的で没入感のあるゲーム体験を作り上げるため、「アサシンクリード」はシリーズ

初期から創作表現の自由を活かして、ファンタジーの要素を取り入れてきました。たとえば、ゲーム内における弥助は、そうした創作表現の一例です」と説明しています。

が、「魅力的で没入感のあるゲーム体験」のためには、主人公を史実から切り離す必要があることは、他ならぬ「アサクリ」シリーズがやって来たことです。

他の欧米や中東を舞台にしたナンバリングタイトルでは現地の主人公で一貫してきたのに、日本舞台の本作ではアフリカ人を抜てきしたのは「その方が規模の大きな海外市場に受け入れられやすい。日本の市場は小さいから(文化ごと)軽視してもいいや」というマーケティング的な判断かもしれません。

もしそうであれば、日本文化に最大限のリスペクトを払った『Ghost of Tsushima』が、PC版が登場するや再び大ヒットしているなか、UBIの戦略は「時代遅れ」といわざるを得ないでしょう。

アニメライター/ゲームライター

京都大学法学部大学院修士課程卒。著書に『宇宙政治の政治経済学』(宝島社)、『ガンダムと日本人』(文春新書)、『教養としてのゲーム史』(ちくま新書)、『PS3はなぜ失敗したのか』(晋遊舎)、共著に『超クソゲー2』『超アーケード』『超ファミコン』『PCエンジン大全』(以上、太田出版)、『ゲーム制作 現場の新戦略 企画と運営のノウハウ』(MdN)など。現在はGadget GateやGet Navi Web、TechnoEdgeで記事を執筆中。

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