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STAP問題:科学研究の再生に必要なのは研究者の自立と研究者社会の近代化だ

小野昌弘イギリス在住の免疫学者・医師

STAP問題で露呈したように、日本の医学生物学は実はとうの昔からすっかり危機に陥っている。この危機を打開し、研究への信頼を取り戻すためにはどうしたらよいだろうか。

結論をまず言うと、日本の科学社会の近代化が必要不可欠だと思う。

STAP論文には4人ものコレスポ=責任者がいた。ということは、相応に違う専門的技量が必要な研究だったはずだ。それにも関わらず、論文のデータにまともに責任をとれる人がいなかったということは、この4人による研究プロジェクトが、本来的な分業に基づいていなかったことを示している。各責任者が、担当する専門分野にデータ取得から論文執筆まで責任を持っていたならば、このようなことは起こらなかったはずではないか。

私はここで研究室を人を歯車のように使う組み立て工場のようにしろと言うのではない。まったく逆のこと、つまり日本の前近代的な研究文化を、個人の尊厳と専門性を大事にする近代的文化に転換すべきだと言いたい。

私はかつて、おそらく日本で最も工場的な雰囲気の漂う研究室を見たことがある。そこでは研究リーダーという工場長以外は、まさに無名の労働者たちでしかない。専門性への尊敬や人間の尊厳は全く感じられない。多くのメンバーが単純作業を分担して、多額の経費を使用して大量のデータを集めることだけが目的とされているようだ。しかも出来上がる論文は、使った技術以上には目新しさがない。

およそ楽しそうな職場ではなかった。研究のディストピアだ。こうして若者を使い捨てにしている場所で次世代を担う優秀な研究者が育つだろうか。前世紀の紡績工場のような研究室で現代の複雑な問題に対応できるのだろうか。

現代の医学生物学では問題と技術が複雑化してしまい、もはや狭い分野にのみ精通した専門家一人では手に負えるものではない。異分野の研究者が集まって共同作業で問題解決にあたるよりほかない。さて日本の共同研究がどれだけこうした複合的問題に対応できているだろうか。学生・ポスドクら若者は自分の所属教室の教授の目だけが気になり、教授は他のムラに踏み込まないように遠慮しあう。そして合同ミーティングも、結局権利関係を確認し合うだけで終わり、建設的に批判的な議論はできない。このような環境で実質のある研究はできない。

これまで異分野にまたがる研究(学際的研究)を多数行って来た研究者として言えるのは、学際的研究を行うためには、参加する研究者が研究者として自立していることが必要不可欠だ(もちろん個人としても自立している必要がある)。

研究者として自立するためには、まず分野の深い知識と理解に裏付けられた、自分の専門性に対する強い信頼(confidence)を持つ必要がある。この信頼がある人は、自然と自分の分野外の専門家のことも同様に尊敬するようになる。ただし、この信頼は丸投げを意味しない。共同研究においては参加する研究者全てが厳しい批判的な議論を納得するまで行う。この対話は自立した研究者間でないと成り立たない。そしてこの異分野間の対話こそが、学際的研究を深めて真実に近づくために最も重要な基盤だ。

これらは日本の伝統的ムラ社会が最も苦手とする事柄かもしれない。しかし、個人が尊厳を感じられない場所で優れた多角的研究・学際的研究が行われることはありえない。個人が自立していない場、専門性が尊重されない場で、現代の複雑な科学は進歩しない。体裁だけ整えてもやがてぼろがでる。

制度的な裏付けも必要だろう。論文数とインパクトファクターに偏った今の評価法ではなく、研究者が自らの専門を長期間かけて深めていくことに対する評価や、他分野・共同研究への貢献に対する評価を研究者の評価の中心に据えていく必要があろう。そしてもちろん、こうした評価をより公正なものにしていく努力が必要だ。こうした研究者評価の価値観および制度の充実こそが、研究者として信頼でき、実のある共同研究ができる専門家を育成するためには必要だろう。こうした広い視野・長期的評価を重点におけば、研究不正をしてその場しのぎをするような空虚な人物を淘汰・排除することができる。

こうした真の意味での分業・共同研究の推進は、密室性の高い日本の研究室を透明化するという作用もあるだろう。多数の目があれば、捏造や研究不正の入り込む余地も減るし、セクハラ・パワハラといった人権問題も防止できよう。実際、教授を殿様とする城とも言える研究室内だけで行われるミーティングは、往々にして研究室内での公開リンチの現場になっている。

日本の研究者社会も、ほかの分野と同様、ムラ社会の結束と長時間労働にのみ依存して来た。しかし日本社会で研究をするからといって、この二点にだけアイデンティティーを求めなくてよい。(実際日本では、強迫的にこのアイデンティティーにしがみついている研究者が多すぎるように思う。)時代の流れの中で変わることを恐れる必要は全く無い。

倫理講習をお経のように聞くことが今必要なのではない。研究社会の近代化のための意識変革と制度設計が求められている。

研究社会の再生のためには、個人の尊厳と自立、専門性に対する敬意の回復が不可欠だ。これらは今日本社会が広く失っている要素かもしれない。根は深い問題だが、今これに手をつけなければ日本の医学生物学研究の再生はないと思う。

イギリス在住の免疫学者・医師

免疫学者、医師。免疫学の研究・教育を行う。生体内でのT細胞の動態を解析する測定技術Tocky(とき)の開発者。京都大学医学部・大学院医学研究科卒業。京大・阪大で助教を務めたあと英国に移動。2013年に英国でラボを開き、現在インペリアル・カレッジ・ロンドンで主任研究者、Reader in Immunology。がん・感染症(コロナなど)・自己免疫におけるT細胞のはたらきについて研究する傍ら、大学の免疫・感染症コースで教鞭をとる。著書「免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界」「コロナ後の世界・今この地点から考える」(筑摩書房)、「現代用語の基礎知識」(自由国民社)などに寄稿。

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