以前勤めていた職場で、私は2人の上司から呼び出されことがあります。そして、そのときに言われた言葉が今も強烈に頭に刻み込まれています。

「君はなぜ残業をしないのか?」

今から18年ほど前のことです。当時、こう言われて純粋に頭が混乱しました。「なぜ残業をしないのか、だと?」と。「君はなぜ結果を出そうとしないのか?」「君はなぜやる気を出そうとしないのか?」「君はなぜ困っている同僚がいたら手を貸そうとしないのか?」「君はなぜやることをやらずに先送りばかりしているのか?」……などと怒られるのならともかく、目の前に腕組みをして座っている2人の上司は、私が残業をせず毎日定時でオフィスを後にすることに怒っているのです。

今も続けていますが、私は当時、知的障がい者のボランティアサークルの代表をしており、ボランティア仲間とのミーティング、教育委員会に申請する助成金の手続き、保護者との打合せなどが頻繁にあって、平日の夜はしょっちゅう定時退社をしていたのです。「他の同僚が定時内で仕事を終えていないのだから、君も少しは手伝ったらどうだ?」という言い分ならわかります。しかし、当時の同僚のほとんどは別々のチームで仕事をしていて、手伝いようがないのです。自分のチームの仕事に遅延がないのであれば、定時で帰る権利はある、というのが私の主張でしたが、とてもそれを言える雰囲気ではありません。

「残業するのが当たり前だ」

という価値観に支配された上司たちに、私はとても嫌な感覚を覚えました。上司が言ったことをやらない部下に「つべこべ言わずにやれ」と言うのならともかく、残業しない部下に「つべこべ言わずに残業しろ」という言い分だからです。結局、言うことを聞かない私に「残業をしないと処理できない仕事量」を与えるという結末に。その結果、私も見事にその職場の空気に染まっていきました。生存本能と言いましょうか。残業しないと、ここでは生き残ることができないと感じたからです。

刺激を与え続けると人間の脳は麻痺できるもので、以前は毎夕6時にオフィスを後にしていたのに、上司に呼び出されてからは夜10時、11時が当たり前の生活がはじまりました。不思議なもので、終電を逃すと、さらにダラダラと朝の2時や3時までオフィスに残っている日常を平気で送ることができるようになるのです。毎日その時間に残っている同僚たちの顔ぶれはいつも一緒。仕事の成果ではなく、夜遅くまで残っていることそのものに充実感を感じるようで、オフィスに人がいなくなればなるほど、表情が生き生きとしてくる連中ばかりです。

「昨日、何時に帰った? 夜の10時? ああ、それで横山いなかったのか。俺が出張から戻って10時半にオフィスへ戻ってきたときはいなかったもんな。あれから朝の4時までいたよ。いったんカプセルでシャワー浴びて7時にまたオフィス来たら、もう部長、出社してた。あの人、出張先で同じだったから、どこで寝たんだろうな。はははは」

恍惚とした表情をしながら笑う同僚。「何がおかしいんだ」と思いながら、調子を合わせて笑う私も私でした。頭が完全に麻痺していたのでしょう。

リアル(現実)の生活が充実していることを「リア充」と呼びます。フェイスブックやインスタグラムなどのSNSで、美味しい食事を友人と楽しんでいる写真。家族でリゾート地へ出かけている写真がたくさん投稿されています。まさにああいう体験が一般的な「リア充」のはずですが、モーレツ社員にとっては残業こそが「リア充」。休日出勤こそが「リア充」。仕事によって手にした成果は目に見えませんが、長時間働いているという事実は、簡単に、確実に、他人に見せつけられます。

私が高校生だったとき、高校の文化祭で実行委員長をやっていました。文化祭が近づくと、委員会のメンバーと徹夜で作業をすることもありました。体は疲れ果て、頭がボーッとするときもあり、周りから「大丈夫か?」と心配されることもしばしばありましたが、なぜか文化祭の当日の朝は晴れ晴れとした気持ちで迎えられたのです。長い時間かけて仲間と一緒に作り上げたというプロセスそのものが充実していたからでしょう。

しかし、文化祭なんてものは何度も経験することではありません。だからこそ頑張ることができた、とも言えます。仕事においても同じで、ビッグなプロジェクトを期限内に成功させようと、仲間と寝食を忘れて過ごした時間なら楽しいかもしれません。しかし、恒常化した長時間労働が「リア充」を人にもたらすはずがない。楽しいと思うのは、感覚が麻痺したモーレツ社員だけです。

小さな子どもと楽しそうに笑っている写真、マラソン大会に参加していい汗かきました的な写真をSNSで見て、「子どもとは久しく遊んでないな」「仕事が忙しくて運動なんて5年以上やってないよ」「みんなが遊んでいるときに私は仕事」「ソーシャルメディアにこんな投稿している暇があったら仕事しろよ」とジェラシーを感じるようならモーレツ社員です。

”自分の生活を犠牲にして仕事してます”というアピールは、いくらなんでも古すぎる。そしてその痛々しい常識観は今の時代、もう受け入れられません。SNSでよく目にする、一般的な「リア充」をモーレツ社員たちはもっと体感する必要があります。SNSに投稿してもしなくてもよいですが。