ネットワーカーを長くやっていると、おびただしい情報の中で、ある種の空虚感に襲われることがあります。逆説的なこの感覚は、リアルな社会とネット空間の情報の ”質” の違い、つまり現実がネットの世界に取り込まれたとたんに生じる落差にあるように思います。この情報の質の違いを、子どもたちにどのように教えていくのかが情報教育の重要な課題だと思います。

「小中学生には携帯電話、スマートフォンは持たせません」。鳥取県米子市小中PTA連合会(市内35校)が31日、携帯電話やスマホの利用で児童・生徒がトラブルに巻き込まれる危険性をなくそうと緊急アピールを出した。同時に、子どもを通じてアピール文の配布も始めた。県教委家庭・地域教育課は「こうした対応は県内では聞いたことがない。歓迎したい」と話している。・・・・・

出典:毎日新聞 2014年02月01日 17時49分(最終更新 02月01日 18時08分)

■フレーミング(炎上)現象

インターネットの大ブレイクから、まだ30年も経っていません。歴史の浅さからさまざまなトラブルが生じていますが、日常的に問題の種となっているのは、ネットにおけるコミュニケーションではないでしょうか。

ネットでの発言は手軽ですから、頭に浮かんだことがストレートに送信されやすい。しかも、基本的に文字だけのコミュニケーションなので、表現の稚拙(ちせつ)さや、配慮を欠いた言葉使いから、容易に誤解が生じやすいという困った性質があります。普通の会話なら、表情や身振り手振り、声の抑揚などに言葉を絡(から)めて気持ちを相手に送り、相手は全体の状況の中でその言葉を受け取るのですが、例えば「死ね」という文字情報だけが送られると、よほど強い信頼関係がない限り深刻な響きを持って受け取られるおそれがあります。

些(さ)細な表現の食い違いから重い誤解が生じ、勢いにまかせて反応し、結果、双方が冷静さを失い、応酬が感情的にエスカレートしてしまうことがあります。これが、「フレーミング」(炎上)と呼ばれているネットに特有な現象です。文字だけの浅く乾いた会話が流れ、突然、枯れ草にタバコの吸い殻が投げ込まれたかのように、感情が一挙に燃え上がってしまう。フレーミングの過程では、互いに汚い言葉をぶつけ合って憎しみがエスカレートしていきます。それでも、互いに匿名の、ネットだけでの応酬ならば、いずれ憎悪の炎は鎮まることもありますが、それが知り合い同士で起こった場合には、ネット空間での憎悪を日常の生活空間にまで引きずることになってしまいます。その結果、ネットでの人間関係のもつれが、重大な犯罪につながったこともあります。

■変形される現実

インターネットは、人の意識を変革し、社会を強烈に揺さぶる革新的なテクノロジーです。人の意識や制度的な枠組みの構築が遅れがちだからといって、加速度のついた情報化の流れを収めることはできません。しかし、その勢いに流されないために、ぜったいに忘れてはならないことがあります。

実は、われわれが人間としての存在の根を張る現実の空間は、匂いや味、手触り肌触りなど、コンピュータによるデジタル化を頑固に拒み続けている無数の瑞々(みずみず)しい情報で満ち溢れています。情報のデジタル化とは、このようなデジタル化できない情報をすべてそぎ落としてしまい、その部分を巧妙に ”ごまかす技術” でもあります。ディスプレイに表示された美しい画像も、ひょっとしたら作り物かもしれませんが、それを確かめることが不可能に近い場合もあります。ネット空間に散りばめられた情報は、世界のごく一部の、しかもかなり偏った情報なのです。問題は、現実がネットの世界で ”変形” されていく過程を、子どもたちにどのように教えるのかということです。

デジタル化の波は、大人も子どもも飲み込んで、どんどん進行していきます。この波から逃れる術はありません。かつて物質的貧しさが犯罪原因となった時代もありましたが、今や人間関係の貧しさが重大な犯罪原因となっています。しかし、その根底には、情報化社会という情報過多の時代にあって、人間としての行動や判断の基礎となる ”情報そのものの貧しさ” があるように思われます。だからこそ、どんなに社会の情報化が進んでも、手で直接さわるもの、舌で味わうもの、肌で感じるものを大切にする心を育て、奥行きのないデジタル情報と現実との落差を教え、子どもたち自身にも体験させることが情報教育の核心でなければならないと思います。

*本稿は、2004年6月10日付け神戸新聞朝刊に寄せた拙稿「長崎小6事件とインターネット」に加筆・修正したものです。