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翌朝小指は噛みちぎったー相模原事件・植松聖被告が面会室で語った驚くべき話

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖被告のいる横浜拘置支所(筆者撮影)

 2020年1月14日、横浜拘置支所で相模原障害者殺傷事件の植松聖被告に接見した。連日公判が続いているので植松被告に接見するのは1月末でいい、と当初は思っていたのだが、1月8日の第1回公判で、彼が法廷で右手の小指を噛みちぎろうとして取り押さえられた事件があったので、急遽接見することにした。マスコミには植松被告が法廷で「暴れた」としか報道されておらず、意図が全く伝わっていないので、もう少しきちんと意思の伝え方を考えないとだめだ、とアドバイスするつもりだった。

 朝に人身事故があって電車が遅れ、8時半頃、拘置所に着くと、9日に接見予定だったのに断られた新聞とテレビの記者が来ており、一緒に接見した。立ち入った話をするつもりだったので、大手マスコミと一緒というのはどうなのかと一瞬思ったが、9日に約束を守れなかった記者に対して植松被告なりに気を使ったらしい。私が前もって送っておいた電報も祝日が重なって本人に渡っていなかったのかもしれない。

 

「言葉だけの謝罪ではすまないと思った」

 8日の法廷で行ったことの意味を訪ねると植松被告はこう語った。

「言葉だけの謝罪では納得できないと思ったから」

「言葉だけでなく謝罪の気持ちを伝えたいというのはわかるが、それがあの行動だったのはどうしてなのか」と尋ねると、

「それが今できる一番の謝罪の仕方と思ったから」という。

「でも法廷で指を噛み切るなどというのがうまく行くわけないだろう。絶対に途中で止められるから」 

 とさらに言うと、意外にも本人は「いや、うまく行くと思ってました」という。

それが成功しなかったのは、

「第2関節が思った以上に堅かったから」だという。

 どんな治療をしたのかという質問には、「傷口を縫ってもらいました」という。

 

 ただそれに続けて植松被告は、驚くべき言葉を発した。

「その日は午後、拘置所に戻って医師に診てもらったのですが、たいしたことはない、と言われました。それでそのままになったのですが、翌朝6時の起床時間前に、自分で小指を噛みちぎりました」

 法廷で失敗したので翌朝、実行したというのだ。看守が黙って見ているわけはないのだが、できるだけ静かに、なかなか気づかれないように実行したという。

 第2関節が法廷で難しかったので、拘置所では第一関節を噛みちぎったという。

 ただ当然、監視カメラで見られているのですぐに見つかって、大騒ぎになり、医師が駆け付けてきたらしい。

「縫合手術でまた小指をつなげたわけね」と訊くと、

「いやもう小指の先はぐちゃぐちゃでしたから」と否定した。

 つまり植松被告の小指は現在、第一関節から先が欠損したままになっているというわけだ。面会室にも彼は、10日の第2回公判でつけていた白いミトンをつけて臨んでいた。

「でも噛みきるのは痛かったでしょう」という質問には、

「痺れました」という返事だった。

 感覚が麻痺するくらい痛かったということらしい。

 事前に話したら止められるから誰にも言わないで法廷で自傷行為をしたのだろうが、いったいいつからそんなことを考えていたのか。

「謝罪は2年前から考えていました」と本人は言う。

 確かに迷惑をかけた被害者家族に謝るというのは、1987年に接見禁止が解除されてマスコミの取材を受けいれた時から言っていることだ。だから第1回公判で植松被告が傍聴席にいる遺族や被害者家族に謝罪するつもりであることは事前に何度も聞いていた。しかし、指を噛みちぎるという方法を思いついたのは、それほど前ではないだろう。

 植松被告は、自分なりに謝罪の仕方については考えてきて、お金を送ることも考えたという。でも私は即座に「それは遺族が拒否するのではないか」と言った。

誰に対して謝罪したのかーー驚くべき答え

 初めて裁判に臨んだ植松被告の法廷に対する印象は「厳粛だな」ということだった。そこで遺族に謝罪するのは当然だとして、私が言ったのは「でもあんなやり方では伝わらない。君も緊張していたからだろうが『皆様にお詫びしたい』という曖昧で、いったい誰に謝罪しているのかも伝わらなかったと思う」ということだ。

 植松被告は2年前に接見した時から「自分のやったことは今でも正しかったと思っている。でも家族を巻き込んだことについては謝りたい」と言ってきた。だから当然、今回の「皆様」も被害者家族や遺族のみで、殺傷した相手には謝罪していないと考えた。

 でもそういう話をした時に、植松被告は意外なことを口にした。

「確かに自分のやったことは仕方ないと思っています。でも亡くなった皆様にも申し訳ないと思っています」

 この言葉には驚いた。「自分のやったことは間違っていないが、安楽死でなくああいう形になったことは本意ではない」というのがこれまでの彼の言い方だった。

 しかし、今回は明確に「亡くなった方に申し訳ないと思う」と語ったのだ。そして「今までも、亡くなった方を含まないと明確に言ってはないと思います」と補足した。

 後でこの1カ月ほど接見した他の人にも聞いてみると、最近になって植松被告は、自分が殺傷した相手にも謝罪の意を表明するという、そういうニュアンスの言い方に変わってきていたという。1月8日の法廷での謝罪はそこが曖昧だったのだが、恐らく被告人質問で弁護側はそこに踏み込むだろうから、彼は被害者や犠牲者に対しても謝罪を表明することになるだろう。本人は、これまでと変えたわけではないというが、2年間、彼と接見してきた私から言えば、明らかに変わったと言ってよい。

 それとあわせて気になるのは、植松被告が最初に接見した2017年夏の頃と明らかに変化したことだ。これは以前もヤフーニュースに書いたし、いろいろなところで話している。自分のやったことが正しいと言明するのは同じなのだが、2017年夏頃は、それを畳みかけるように前のめりで私に話をしたものだ。何かに取りつかれた感じで、自分の考えは熱心に説けば必ずわかってもらえるはずだという思いが全面にあふれていた。

 私が彼の成育環境や家族の話を訊こうとすると、「時間がないんです」と何度も口にした。自分の考えを多くの人に伝えたいから、余計なことは訊くな、というニュアンス趣旨だった。

 そういう憑かれた感じが、半年1年と経つうちに明らかに薄れていった。外見的には、元気がなくなっていった。もう死刑を覚悟しているだろうから、今さら「間違っていました」と反省・謝罪するのは簡単ではないが、事件の動機となった自分の主張を最初の頃のように前のめりで相手に説くという姿勢は明らかに後退していた。それが今回、犠牲者や被害者にも謝罪するというところまで、3年半かけてようやく行き着いたわけだ。

「いろいろな人と面会を重ねるなかで、謝罪の気持ちを言葉にした方がよいのかなと思うようになりました」ともいう。

心神喪失主張に強い反発

 被告人質問は21日から始まる予定を言われるが、その被告人質問で、植松被告がこれまで報じられてきた以上に踏み込んで、謝罪の意思表示をすることは間違いない。それは良いことなのだが、実はその30分にわたる接見の後半は、なかなか難しい話になった。弁護団の方針である「事件当時心神喪失だったがゆえに無罪」という主張について植松被告が納得していないのはこれまでも指摘されてきた。死刑を免れることを意図して自分が精神障害であると主張することは、そういう人間は生きている意味がないといって事件を起こした彼の思想を否定することになるからだ。

 植松被告は、確定死刑囚についても、そういう人間をいつまでも生かしておくことは間違いだと言ってきた。だから自分が死刑を宣告された時には控訴もしないということになる。彼自身が否定してきた存在を、自分もそうだと主張することは、他の同様のケース以上に、植松被告にとっては重たい問題なのだ。ただこれまでは一方で、弁護団が心神喪失を主張しても法廷でそれを否定するつもりはないと言ってきた。

 でも、本日の接見で話を聞くと、今まで弁護団との方針のずれは曖昧にしてきたのだが、裁判が始まって弁護団の主張を改めて聞いてみると、到底納得できないという感じになったらしい。「迷惑です」と9日に訪れた弁護人にも言ったという。

 接見した最初の頃は、もう決裂も辞さずという勢いで植松被告が語っていたので、私もこれはなかなか深刻だと思った。でも一方で彼は「ただ弁護士にはお世話になっているので」とも言った。

 植松被告と弁護団の間でスムーズな意思疎通ができていないことは、これまでも感じてきたが、実際に裁判が始まって、それまで何となく曖昧にしてきたことがそうはいかなくなったということだろう。

 それに対して私は、君には2つの選択肢がある、決裂するか折り合いをつけるかだ。でも、もう2年以上にもわたって公判前整理手続きが行われ、裁判員裁判が始まった今になって、流れを全部ひっくり返すのは難しい、だから折り合いをつけることができないのか、話し合ってつめてみてはどうか、とアドバイスした。

 接見の最後の頃には、植松被告もだいぶその方向に傾いたようだった。私はこれまで重大事件の裁判は何度も傍聴し、関わる機会もあったが、被告本人と弁護団に齟齬どころか対立があるケースは幾つもあった。平成に入ってからの凶悪事件で、被告自身が死刑になることを望んでいるケースでは、それはもちろん弁護団と相いれない。

 一番典型的だったのは奈良女児殺害事件の小林薫元死刑囚(既に執行)のケースで、私は小林死刑囚から「弁護団の解任はできないのでしょうか」とまで相談された。ただ当時の主任弁護人も正義感あふれる熱血の弁護士で、私は敬意を感じていた。だからできるだけ双方で歩みよりができるように尽力した。

 さて近々始まる被告人質問でどんなやりとりがなされ、植松被告が法廷で何を述べるかは、いっそう注目すべき状況になった。私はちょうどその頃、月刊『創』(つくる)3月号の締切時期で、果たしてどれだけ傍聴に通えるか心許ないのだが、この裁判で可能な限り事件の解明がなされることを強く望んでいる。そのためには可能な限り尽力しようと考えている。

 本当は寝屋川中学生殺害事件の山田浩二被告をめぐっても、一度死刑が確定しながら再び裁判の継続の可能性が出てくるなど大事な局面で、山田被告にも大阪拘置所に「早く接見に来てほしい」と言われている。やるべきことが多すぎて簡単にはいかない状況だ。

 明日15日からまた相模原事件の裁判が行われる。

 なお前回10日の第2回公判については、下記の記事をぜひお読みいただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200112-00158611/

相模原障害者殺傷事件裁判の法廷で明かされた植松聖被告の凄惨犯行現場

またその記事に書いたが、相模原事件については2018年に『開けられたパンドラの箱』という本を創出版から刊行している。未読の人はぜひ読んでいただきたい。

https://www.tsukuru.co.jp/books/2018/07/post-37.html#more

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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