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フジテレビの放送で反響を呼んだ宮崎勤死刑囚が処刑直前に送ってきた手紙

篠田博之月刊『創』編集長
宮崎勤が筆者への手紙に描いた「もうひとりの自分」

 さすがにテレビの力を感じさせた。2017年10月7日夜の特番と9日の夕方ニュースでフジテレビが取り上げた連続幼女殺害事件・宮崎勤についての番組が反響を呼んでいる。1988年から89年にかけて日本中を震撼させた連続幼女殺害事件だが、当時の映像、特に動画があれほどたくさん残されていたことはまさにテレビ局ならではだ。視聴率も良かったようで、宮崎の著書『夢のなか』『夢のなか、いまも』を出版している創出版にも問い合わせが入るなどした(ちなみに宮崎の名前は正確には別の「崎」なのだが、それがここではうまく表示されないようなので、以下、「宮崎」という表記で書いていく)。

 このフジテレビの企画には私も協力しており、9日のニュース映像には、宮崎勤と300通も手紙をやりとりしていた編集者としてインタビュー場面が出てくる。但し、かなりの時間話したものが短くつままれているので、視聴者はこの人何を言いたかったの?という印象だったかもしれない。

 ここで今回のフジテレビの取り組みについての感想を書くと同時に、宮崎勤について紹介するために、2008年処刑される前に私に届いた宮崎の手紙の一部を披露しよう。奇しくも『創』2008年8月号の特集「宮崎勤死刑執行!」に掲載したそれが彼の遺稿となってしまったのだった。

 宮崎とは12年間のつきあいで、彼の手記は相当『創』に掲載してきたのだが、何せ死刑囚の独房の生活は単調で、最近聞いたラジオ番組とか治療のことといった話が続くために、私は一時期、しばらく彼が送ってくる手記を掲載しないでいた。それに対して宮崎は不満を漏らし、母親経由で掲載依頼を送ってきた。そこで私は2008年7月7日発売の8月号に掲載すると答えて準備していたのだが、何とその過程で宮崎は突然、6月17日に刑を執行されてしまった。結果的にその手記が、彼の遺稿になってしまったのだった。

 その最期の手記の一部を紹介しよう。2008年4月22日付の手紙に書かれたものだ。

《私に届いた手紙(つまり来信)について。

 物だけで文面が無いのも含めると、今のところ届いている手紙の数は、2464通届いている。「早く2500通に達しないかなあ」と思った。》

《次に、ビデオ視聴について。

 80本(80種)のビデオ(すべてVHS型)を視聴した。(テレビデオで)ビデオ視聴は、「月に3回」の割り合い。》

《2007年4月第4月曜日に診察を受けたのですが、その日の夜(20時頃)から、それまでの投薬(のみ薬=こな薬)の分量より薬の分量が少なくなった。その後、普段私に聴こえてくる幻聴の主たち、つまり、私・宮崎勤を(私のおじいさんが倒れた月の1989年5月から)殺そうとしている得体の知れない(こわい)力を持っている者たちがその殺害方法を話し合っているのだが、その幻聴の主たちの人数が、それまでは10人ぐらいだったのが、今回は15人ぐらいに増えた。》

 彼はその頃、毎回こんなふうに無機質的ともいえるような記述で、自分の近況を書き送っていた。仔細に検討すればそれぞれの記述も興味深いもので、例えば「幻聴の主の人数が10人から15人に増えた」というのは、彼の病気が進行していることを彼なりの表現で示したものだ。彼は独居房で抗精神病薬の投薬治療を受けていた。私が12年間つきあう間にも、病状は悪化しており、「暑さ寒さも感じなくなった」などと書き送ってきていた。拘置所できちんとした治療がなされていないことは明らかだった。

 さて実は、今回、フジテレビと産経新聞がキャンペーンで報じたのは、その宮崎の逮捕後の取り調べの肉声テープが見つかったというニュースだ。取調官が保存していたのだろうが、相当の長時間の肉声テープだった。7日の放送では、そのテープの音声をふんだんに流しながら、宮崎事件についてドラマ仕立てで紹介した。最初に聞いた時、私は「え?ドラマにしちゃうの?」と思ったが、実際に見てみるとなかなかよくできたドラマだった。宮崎と刑事と、テレビレポーターにそれなりの配役をあて、力の入れ具合を示していた。刑事役の金子ノブアキやレポーター役の秋元才加、宮崎勤役の坂本真など、なかなかの好演だった。

 フジテレビに音声テープを提供した元刑事の思いは、逮捕当時の宮崎は、その後の裁判で主張した「ネズミ人間」や「もうひとりの自分」について何も語っていなかったし、印象が全く違う、そのことを知ってほしいと考えたのだろう。だから全体としてのテーマは「どちらの宮崎勤が本当の姿なのか」ということだった。

 ニュース番組の方では元刑事たちははっきりと、宮崎の公判での様子は「詐病」だと思うと語っていた。実は宮崎勤はいまだに、精神病に冒されていたのかそうでないのかはっきりわからないのだ。元刑事たちは詐病説なのだが、私はそれを否定してきた。私とて、わずか何回か彼に取材した程度の印象でそう言っているのではない。12年間つきあってきて、宮崎が全て計算づくで病気を装っていたという見方は明らかに無理があると思う。しかし、元捜査官たちは、いまだに宮崎が刑を免れるために精神病を装っていたと考えているようだ。そこの真偽を極めるのは難しいのだが、今回のフジテレビは、どちらかの見方に立つことなく、全体としてバランスがとれていたと思う。

 私も、最初に取り調べの肉声テープを聞いた時には、「え?」と驚いた。私が知っている宮崎とかなり違っていたからだ。逮捕されて取り調べを受けている局面だから、宮崎自身も必死だったのだろう。防戦のために次々と刑事の追及に反応する。そんなふうに次々と言葉を発する宮崎というのは、私には想像もできなかった。私は相当回数接見しているが、いつも頬杖をついてボーッとしており、反応も「うん」とかポツポツと答えるのみだ。法廷でもそうだった。裁判長に質問をされても返事をするまでに間があいて、裁判長からもっと迅速に答えるようにと注意されたほどだ。

 刑事たちが宮崎が病気という疑いを全く持たなかったのはある意味では当然かもしれない。彼らは宮崎から自供を引き出し、その自供によって遺骨などが発見されていくというプロセスだから、事件の背景や宮崎の深層心理を探るといった問題意識はもともとない。しかし、実は今回の肉声も何度か聞いて確認すると、相当おかしな内容が少なくない。

 例えば宮崎は、幼女を誘拐した動機について「あくまで理性として、かわいがりたい。そばに置く間は自分の子供であると…」と語り、刑事が「なんで自分の子供がほしいんだ」と畳みかけると「相手にされないから」と答える。そこで番組では、大人の女性に相手にされないから幼女に手を出した、というわかりやすい解説がなされる。でもその後、宮崎は「自分で子供を持ちたいと思っているのか」と聞かれ、「はい」と答えている。告白文の「今田勇子」になりきっているのだ。よく聞いてみると宮崎の答えはわけがわからないのだ。でも、刑事は自分なりのストーリーにあてはめて理解していく。両者の応酬はそういう連続だ。

  

 宮崎は確かに「ネズミ人間」の話はしていなかったかもしれないが、その後の法廷では、公判で述べたことも取り調べ中に話していたのに刑事が取り合ってくれなかったと証言している。つまり、宮崎なりに法廷と同じような話をしていたのに、刑事が取り合ってくれなかったというのだ。

 私は宮崎の肉声テープを最初に聞いた時、刑事の追及にすぐに反応している宮崎におおいに驚いたものの、内容を考えるとそれが詐病説を裏付けるものとは受け取らなかった。「宮崎勤とはいったい何者なのか」という問いは、いまだに残されたままなのだ。

 今回、改めて宮崎勤に関心を抱いた人も多かったようなので、ここで前述した宮崎の処刑直後に発売された『創』の特集記事に当時私が書いた一文に加筆したものをヤフーニュース雑誌に転載する。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181229-00010000-tsukuru-soci

12年間つきあった連続幼女殺害・宮崎勤が処刑された日

 宮崎勤をネットで検索すると、いろいろな記述が出てくるのだが、本人に肉薄したものがほとんどない。宮崎事件の頃までは、いまほどネットが普及していなかったため、私も彼とのやりとりをネットにほとんどアップしていない。でも、後世の人は、宮崎について調べようと思えばまずネットを検索するに違いない。だから今後、私も少しずつネットに宮崎についての情報をあげていこうと思っている。彼とかわした情報はまだほんの一部しか公開していないし、宮崎事件というのは世間で思われているほど単純ではないと私は考えている。

 ちなみにこの記事の冒頭に掲げた宮崎の手紙のイラストは、彼が描いた「犯行時に現れたもうひとりの自分」だ。ネズミ人間とともにこの「もうひとりの自分」も大きな意味を持っているのだが、ただこの記事で引用した宮崎の最期の手紙とそのイラストは別の手紙であることをお断りしたい。自筆のイラストを見せるためにここに紹介したものだ。

〔追補〕この記事を受ける形でその後書いた下記の記事も参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20181229-00109495/

平成の終りに改めて報じられる宮崎勤元死刑囚から私に届いた300通以上の手紙

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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