どのようにしたら、文章が書けるのでしょうか?

こういう質問を、よく学生さんから、受けることがあります。 

僕は、毎朝毎朝、しょーもないネタでブログを書いていたりするので、きっと、そういうご質問をいただくのだと思います。

先日は、ある方から、こんな一言を頂戴しました

「中原さん、あんた、ほんと、毎日、毎日、よく書けるよね」

きっと心の奥底では

「あんた、ヒマだね(笑)」

「よく、そんなにしょーもないこと、毎日毎日書けるね(笑)」

と言いたいのでしょうけど、「文章を書く」ということが僕の生活の一部になっていることは間違いがないことです。

ところで、先のご質問「どのようにしたら、文章が書けるのでしょうか?」ですが、

うーん、そうだねぇ。。。

なんでだろ・・・

そんなこと、1ミリも、考えたこともなかった(笑)。

でも、このままで終わってしまっては、便所スリッパで後からカンチョーされそうなので、うんうん唸って考えて、ひとつだけ僕になしうるアドバイスがあるのだとすると、こうでしょうか。

書くためには、書き続けることだ

は、なんじゃ、そら?

と「ハニワ顔」になっている方も多々いらっしゃると思うのですが、すみません、僕にとっては、そのくらいしか、アドバイスがありません(笑)。

でもね、実感としては、こうなんです。

「書くためには書き続ける」

もう少し言葉を補うと、「どんなものであってもよいので、書き続けてさえいれば、いざ書く段には、スラスラと書けるようになっていくよ」ということです。

逆にいうと、「書き続けていないと、なかなか言葉やセンテンスが浮かばず、いざ書こうと思っても、苦労するよ」ということです。

たとえば、今、あなたが、仮に、論文を書かなければならないといたします。日々、あなたが、何か短いものでも毎日書き物をしていれば、最初の書き出し、接続詞の選択などで、そうでない場合に比べて、あまり悩まないのです。少なくとも僕はそうです。

しかし、少し、そうだな、一週間くらい、書き物から遠ざかっていたとします。そうすると、一番最初にかかる負荷が、とてつもなく大きい。なかなか筆が進まない事態が生まれます。

僕はこれを「文章の初動トルク理論!?」と呼んでいます。

どんなものでも、継続(回転)さえしていれば「初動回転に必要な力(トルク)」は少なくて済む。

しかし、いったん、辞めてしまうと、こりゃ大変。「そろそろ始めますかいのー」と思っても、初動回転に必要な力(トルク)は、とてつもなく大きい(大きく感じる)。文章に関しては、これが言えるのかな、と思うのです。少なくとも僕は。

実は、これ、息子の自転車の練習を見ていて、思いついたんですけれどもね。ペダルをなかなか安定的に「こぐ」ことができず、なかなか前に進まない様子を、イライラと見ていてね。

「オマエ、もう、プール教室に遅れるっちゅうねん」と思いながら、初動トルクを思いつきました。

「ペダルから足を離すな、力を抜くな。いったん、止まると、最初に、ペダルを踏み出す初動は、大きいぞ」

小生は、小学生の頃から、文章を書くのがとても苦手で、いつも、作文が嫌でした。

「ウソでしょ」と言われるかもしれないけど、これ、本当のことです。

小学生の絵日記の文章なんか、

「今日は、味噌汁飲みました。おいしかったです」

くらいしか書けませんでした(笑)。

国語の点数はそれほど悪くはなかったですが、とにかく作文が嫌いでした。

だけれど、大学になったくらいからでしょうか、様々な小説やら論文やらを読むようになって、自分も「書くように」なった。

僕が、大学に入った当時は、ちょうど、インターネットが出てきた頃で、学部時代の僕は、授業にあまり行かず、学部一年生・二年生のほとんどを、キャンパスの片隅にあるパソコンルームでWebをつくることに費やしました。

タイトルは忘れちゃったけど、たぶん「ナカハラ王国」みたいな、よくわかんないWebをつくっていた(笑)。そこに日記を書いたり、記事書いたりして遊んでいました。

そしたら、不思議なことに、だんだんと書けるようになってきたのです。「ナカハラ王国」にあるような、フザけたコンテンツだけど、書き続ければ、書けるようになる。以前よりも、スラスラ、言葉やセンテンスがでてくる。

書き続けていれば、自然と「読者」も生まれる。こうなったら、しめたもの。「読んでくれる誰かのために、書き続け、書き続けるから書けるようになる」という可能性が開かれます。

というわけで、「書くためには、毎日、書き続けること」です。

できるならば、おすすめは、「信頼できる他者のまなざし」の届く場所で。

そして、「毎日」というのは実は重要かもしれません。

なぜなら「毎日じゃない」というのは、どこまでも、際限なくサボれるのです。

「1日サボる」のも「2日サボる」のも「毎日じゃない」。

だから、人は3日サボリ、4日サボリ、気づけば1週間のインターバルがあきます。

ところが毎日は、やっぱり、毎日なんです。

トートロジーぶっこいてますが、そこに「甘え」はありません。

今日の僕の答え、最初の問いの「答え」として「適当」であるとは1ミリも思わないけど、僕はそう思います。

まぁ、これは「書くこと」だけにあてはまるわけではないと思うけど。

要するに物事は「習慣」が大切かもね、ということなのかなと思います。

そして人生はつづく

(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載され 2012年2月19日の記事に、加筆・修正を加えたものです)