なぜアフリカは独立後も貧しいか (4)都市住民の政治的発言力

既に述べたように、東南アジアを含む東アジア諸国の経済成長は、1970年代以降、段階的に輸出志向の工業化を推し進めたことで実現した。それでは、アフリカではなぜモノカルチュア経済が存続し、輸出志向型工業化の発達が遅れたのか。それは一方で、ロメ協定のようにモノカルチュア経済の存続を促す国際環境があったためだが、他方でアフリカ内部に東アジアと異なる環境があったためでもある

経済学者のジェフリー・サックスは、東アジアとラテンアメリカの1970年代以降の経済パフォーマンスの違いを、政治構造の違いから説明した。サックスによると、東アジア諸国は1970年代以降、輸出を志向した工業化を推し進めたが、それが可能になった背景には、都市より農村の方が大きな政治的発言力をもっていたことがあったという。

輸出志向型工業化を実現するためには、輸出を促すために為替レートの引き下げが欠かせない。しかし、これが輸入に不利に働くことは言うまでもなく、なかでも食料品の値上がりは市民生活に大きく影響する。そのため、都市住民を中心に構成される労働組合が大きな政治的発言力をもっていたラテンアメリカでは、為替レートの引き下げが困難で、結果的に輸出志向型工業化にシフトできなかった。これに対して、当時の東アジアでは食糧自給率が高く、さらに農村の政治的発言力が強かったため、各国政府は輸入代替工業化から輸出志向型工業化へのシフトが比較的容易だったというのである。

この観点からアフリカを振り返ると、アフリカ・ブームの国際政治経済学 3.中国の衝撃(2)で触れたように、ほとんどのアフリカ諸国では独立運動以来、都市住民によって構成される労働組合が歴代政府と結びついている。多くの国はIMF・世銀に通貨切り下げを半ば強要されるまで、実体価値とかけ離れた高い為替レートを維持し続けたが、これは輸入品価格を安くする点で、都市住民向けの政策であったといえる。同時に、輸入品価格の高騰が都市住民に及ぼすインパクトの大きさに鑑みれば、外圧抜きで為替レートの切り下げが実現しなかったことは不思議でないのである。

さらに、1960年代以降の輸入代替工業化のなかで国営企業が相次いで設立され、数の多い国営企業職員がほとんどの国で労働組合の中核を占めた。これもやはり、産業構造の転換を困難にした要因といえる。

現在でもアフリカでは、図4-7で示すように、平均的な所得水準に照らして労働者の賃金が高い東アジアでは総じて労働組合が弱体で、その急激な経済成長は、労働者の権利をある程度制約するなかで実現したともいえる。これに対して、アフリカでは有給や超過勤務手当などの労働法規が比較的発達しているが、これは海外企業による製造拠点の誘致にとってのハードルにもなっている。労働者の権利と経済成長のいずれを優先させるかは容易に比較できない問題だが、少なくともアフリカの政労関係がアジアと異なることは確かである。

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なぜアフリカは独立後も貧しいか (5)政府の脆さ

これまでにみてきたように、アフリカの多くの国では、国内に数多くのエスニシティが林立し、他方で都市住民が農村と比較して強い発言力を持つ。その状況下、多くのアフリカ諸国の政府の意思決定は、特定のエスニシティや集団によって侵食されてきたといえる。言い換えれば、国家レベルでの長期的発展を構想する土壌に乏しい政府が多かったのである。

むしろ、アフリカでは政府が自らの存立のために、国家レベルでの経済成長を阻害する側面すらあるといえる。開発経済学者ロバート・ベイツ(Robert Bates)は、1970年代から80年代にかけてのアフリカの経済危機を分析するなかで、中央政府の「政治的に合理的」な判断が「経済的な非合理」をもたらしたと論じた(Robert H. Bates, 2005, Markets and States in Tropical Africa: The Political Bases of Agricultural Politics (2005 Edition), Berkeley: University of California Press)。

モノカルチュア経済のもと、通貨レートを高く設定したことで、一次産品輸出から得られる収益は低減した。これを補足するために各国政府は生産者価格を低く設定し、政府の取り分を確保したため、農村住民の生産インセンティブは阻害された。これは、経済的に全く非合理的な政策といえる。しかし先述のように、各国政府は主に、都市住民を支持基盤としていた。そのため、政府の財政基盤を安定させることは政治的に合理的であったというのである。この分析を踏まえて、ベイツはアフリカの国家を「収奪国家」と呼んだ。人口の大多数を占める農村住民が得られたはずの利益を収奪することで、国家や政府が成立したのである。

これに関連して、各国政府が農民や貧困層の収奪に走ったことで、結果的に政府自身の首が絞められたことも見逃せない。1970年代以降、公式ルートに沿った農業生産へのインセンティブを低下させたことで、換金作物の栽培をあきらめ、自給経済に戻る農村住民が続出した。一方、物資が不足した都市では、低所得層を中心に、先述のインフォーマル経済が経済活動の中心となった。統制経済のもとにあった戦時中の日本で、ヤミが発生したのと同じである。自給経済やインフォーマル経済は、農村住民や都市貧困層の生き残りの手段であったが、そこから納税は基本的に発生しない

このような脆い政府しかない状態が、「慢性的な停滞」の一因になったのである。そして、新自由主義に立脚した構造調整計画の行きづまりは、逆説的だが、政策を遂行できる「強い政府」がなければ、市場経済に則した経済改革が実現できないことを示したといえる。

東アジア諸国にほぼ共通する経済成長の要因として、市場経済に基づく制度設計や民間企業の活動の調整などにおける政府の積極的な関与があげられる。欧米諸国なかでも米国からは「国家資本主義」と批判的に捉えられることが多く、さらに政治的な自由や民主主義を制約する側面もある。しかし、経済面に関していえば、東アジア各国の歴史の少なくともある一段階において、「強い政府」が爆発的な成長の要因になったことは否定し難い。

しかし、アフリカでは特定のエスニシティや社会集団が大きな発言力をもつ状況は基本的に変化しておらず、さらには未だに官僚の任用試験や昇進の基準が定まっていない国も珍しくない。すなわち、アフリカにおいては現在においても、基本的に国家レベルでの経済成長を構想し、民間企業の活動を調整し得る「強い政府」が稀なのである。その意味で、アフリカ・ブームの国際政治経済学 1.アフリカ・ブームの現状と背景(1)で取り上げたエチオピアやルワンダなどの事例は、例外的でさえあるといえる。それは翻って、政府の能力構築(capacity building)がアフリカの重要課題であることを意味する。

「豊かさを感じにくい成長」

以上で取り上げた、「慢性的な停滞」をもたらした5つの要因は、基本的に現在も存続しているとみてよい。また、本章の冒頭で述べたように、アフリカはいまだに貧困が蔓延している。他方、そのアフリカには現在、海外からの投資が相次ぎ、好景気に沸いている。いわば成長と貧困が両立しているのであるが、それでは投資と貿易による経済成長によって、アフリカの貧困は緩和されてきたのであろうか

まず確認すべきは、他の地域と比較した場合、アフリカは確かに最貧地帯だが、過去と比較した場合には、少しずつ所得水準が向上していることである。図4-8は、サハラ以南アフリカ各国における1日2ドル未満の消費水準(貧困者比率)を、2000年代の前半と後半で比較したものである。データの都合から全ての国を網羅できていないが、多くの国で全人口に占める、いわゆる絶対的貧困層の比率が減少したことがわかる。

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2000年代に対外投資が急増したことで、アフリカには一大消費ブームが訪れた。ほとんどの国では首都に、主に海外資本によってショッピングモールが建設されている。経済成長にともなって中間層も増加しており、なかでも新興国である南アでは1993年の黒人政権樹立以降、民間企業にも一定比率で黒人の雇用が義務付けられたこともあり、「ブラックダイヤモンド」と呼ばれる黒人中間層が消費をけん引している。

ただし、急激な成長によって手元に入る現金が増えたとしても、多くの人が成長の恩恵を享受しやすい状況にあるとはいえない。図4-9は、各国における平等度を示すジニ係数を、やはり2000年代の前半と後半で比較したものである。ここからは、多くの国で格差が横ばいか、むしろ大きくなったことがみてとれる。例えば南アの場合、2000年代後半のジニ係数は65を記録しており、これは米国や中国、さらにもともと格差の大きい多くのラテンアメリカ諸国を上回り、世界有数の水準である。

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そして、図4-10は、同時期におけるサハラ以南アフリカ各国のインフレ率を比較したものである。ここから、約三分の二の国でインフレ率が高まっていることがわかる。しかも、インフレ率の改善が記録された国のほとんどが、それでも10パーセント前後という先進国の基準では非常に高い水準にある。

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以上から、2000年代のアフリカでは多くの人の手元に入る現金の額面は増えたのだが、他方で格差は拡大し、物価水準はそれを上回るほどのペースで上昇し続けたことが分かる。つまり、名目所得は増加しているとしても、実質所得はその限りでないのであり、多くの人が経済成長に比例して購買力を高めているとは言い難い。言い換えれば、そこには「豊かさを感じにくい成長」がある。

2012年8月、南アフリカで賃金増加を求める鉱山労働者のストライキが各地で発生し、輸送業など他の業種にも連鎖反応的に拡散した。その結果、トヨタやホンダなど、南アに進出している日本企業も部品搬入が行われない事態となり、一時操業停止に追い込まれたのである。この大ストライキは、警官隊の発砲による34名の死者と、約2か月間、鉱物資源が輸出できなくなったことによる約12億ドル相当の損失を南アにもたらした。サハラ以南アフリカ全体のGDPの30パーセントを稼ぎ出し、地域一の経済大国である南アで発生したこの事態は、「豊かさを感じにくい成長」の広がりを象徴する

インフレの加速は、世界中から急激に投資が流入することを主な要因とする。しかし、各国政府はこれを規制することはできず、また「慢性的な停滞」に陥っていた経緯から、過剰な資金流入を管理する意思もほとんどみせない。他方、雇用の拡大や社会保障を通じた公的な所得の再配分はほとんど機能しておらず、さらにフォーマルセクターはともかく、インフォーマルセクターの就労者には最低賃金などの法令も効力をもたない。「豊かさを感じにくい成長」は、外部環境から影響を受けやすい立場と政府の能力不足という、アフリカが抱える構造的な課題を浮き彫りにしているといえる。

「資源の呪い」の諸側面

再三述べているように、多くのアフリカ諸国の成長は、天然資源への投資を起爆剤としている。しかし、アフリカに限らず、天然資源なかでも石油・天然ガスが生産されることは特有の問題を引き起こしやすく、これらは「資源の呪い」と総称される。

ボトム・オブ・バレル(残りかすの意味)-アフリカのオイルブームと貧困層』を著したイアン・ギャリーとテリー・リン・カールによると、「資源の呪い」あるいは「豊かさの逆説」と呼ばれる現象には、大きく以下の8つがあげられる。

  1. 産油国では豊富な収入への期待値が高まり、消費欲求が高まりやすい、
  2. 産油国では将来の収入への楽観的な観測から、実際の収入以上の非現実的な収支計画を作りがちで、政府が公的支出を劇的に増加させやすい、
  3. 豊富な収入が見込まれる産油国では、公的支出の質の低下や、有権者・市民によるレント・シーキング(不労所得あるいは特権的な利益を求める行動)を生み出しやすい、
  4. 原油価格が変動しやすいことから、経済成長、所得の再分配、貧困の緩和が妨げられやすい、
  5. 財政不均衡やインフレがもたらされやすいことが、経済成長、所得の再分配、貧困の緩和をさらに妨げやすくする、
  6. 将来への期待値を抵当に入れることで、産油国では対外債務が急速に成長しやすい、
  7. 資源経済の活性化により、製造業や農業といった他の産業が停滞しやすい(一般にオランダ病と呼ばれる)、
  8. 徴税への依存度が小さくなるため、財政に関する透明性や説明責任が低下し、政府に対する有権者のコントロールが効きにくくなる。

ギャリーとカールは産油国に関して述べているが、これはその他の天然資源を豊富に産出する国にも、多かれ少なかれ該当するといえる。

これに加えて、石油・天然ガスだけでなく、天然資源の開発は現代において高度に機械化されており、多くの雇用を生むものではない。アフリカでは統計のなかでも、雇用に関しては明らかでない国が多いが、例えば金の生産量が世界一の南アでは、2011年の失業率が24.7パーセントで、若年失業率は49.8パーセントにのぼった(World Bank, World Development Indicators Database)。

既に述べたように、2014年段階でアフリカ大陸には約10億人の人口があるが、図4-11で示すように、その出生率は中東や南アジアを上回っており、現在のペースでは25年以内に約2倍に増加するとみられている。天然資源の収入への依存度を深めることは、現在でも既にアフリカで就労格差を生み、資源ブームの恩恵を享受できない階層を生み出しているが、これが今後さらに拡大する可能性は大きい。

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富の流出-マラウィの事例

のみならず、資源開発の加速は、許認可の権限を握る官公庁と企業の間の不透明な関係を生みやすく、これが政府による適切な管理を妨げることも珍しくない。その結果、資源開発が経済成長をもたらしながらも、貧困を緩和させる効果を発揮しにくくなる。

一例をあげよう。アフリカ南部のマラウィは、ほとんど天然資源を産出しない国とみられ、アフリカ第3位、世界で第9位の面積をもつマラウィ湖の水と肥沃な土地により、農業を中核とした経済構造が定着してきた。しかし、2000年代の初め、マラウィではウランが発見され、いち早くその開発を進めたのはオーストラリア企業のパラディン・エナジー(Paradin Energy)であった。

ところが、2007年にマラウィ政府の認可を受けると、放射能汚染を懸念する地域住民が反対の声をあげるなか、パラディンはマラウィの法令で定められている環境アセスメントを行わないまま、操業を開始したのである。一方、パラディンの操業を認可したビング・ムタリカ大統領(当時)は、足しげくオーストラリアに渡航していたが、その費用はパラディンが負担していたともいわれる。

いずれにせよ、ムタリカ大統領が病死した後、2013年4月に公開された2007年のパラディンとマラウィ政府の合意によると、同社の収益にかかる税率は、国民に説明されていた30パーセントから27.5パーセントに引き下げられており、ロイヤリティも事前の説明にあった5パーセントから1.5パーセント(3年目まで)と3パーセント(3年目以降)に引き下げられるなど、同社に有利な内容となっていた。もちろん、パラディンがマラウィ政府に納める金額が少なくなることは、同国のウラン収益が海外に流出することを意味する

こういった事例は、資源開発が加速する多くのアフリカの国で決して珍しいものでない。政権担当者と企業の不透明な関係は、本来は国庫に入るはずだった収益が流出したり、環境が悪化したりすることで、一般の国民にとっての不利益となる。のみならず、例えば金の産出量で大陸第二位のガーナでは、国土の約3分の1で採掘が行われているともいわれるが、それによって農耕や牧畜がほとんど行えなくなる土地が増えている。その結果、都市に流入して失業者が増加したり、あるいは海外企業の操業している土地の脇で小規模かつ違法に金の採掘を行う業者が増えたりするなどの問題が指摘されている(Petra Tschakert, 2009, “Digging Deep for Justice: A Radical Re-imagination of the Artisanal Gold Mining Sector in Ghana,” Antipode, 41:4, pp.706-740)。

多くの日本人からすると、豊富な天然資源はバラ色の将来を約束すると映るかもしれない。しかし、アフリカにかつてない好景気をもたらす契機となった天然資源の開発が、一方で低所得層に新たな負担を強いている側面もまた、看過できない。そして、蔓延する貧困と格差は、アフリカの成長の基盤となるべき安定にとって、大きな障害となっているのである。

アフリカ・ブームの国際政治経済学 5.テロと政治変動のリスク(1)に続く