「責任ある大国」へのシフト

中国は対外関係において「開発途上国」と「大国」の二つの顔を使い分ける。FOCAC IIまで、中国の立場は伝統的な「南南協力」に軸足があった。言い換えれば、「開発途上国」の顔をアフリカに向けていたのである。しかし、内外から噴出した批判を受けて、FOCAC IIIで中国は、「大国」としての顔をアフリカ諸国に向け始めたといえる。

少なくとも公式の場で、「責任ある大国」として振る舞うことのアピールは、FOCAC IV以降さらに鮮明になった。表3-1からは、FOCAC IV以降、中国の援助がさらに拡大したことが見て取れる。このうち、FOCAC IVでは100億ドルという破格の融資だけでなく、従来みられなかったタイプの協力も数多く約束された。なかでも、クリーンエネルギー関連のプロジェクト(100ヵ所)やアフリカの中小企業に対する融資のための10億ドル提供は、環境や貧困といった、中国の援助でそれまで重視されなかった領域へのものであった。

この背景には、中国に対するアフリカ内部の批判が、この時期にますます高まったことがあった。2006年9月、中国石油化学(China Petrochemical Cooperation)がガボンのロアンゴ国立公園(Loango National Park)内で操業していたとして、同国政府に活動停止を命じられた。同様のケースは数多く報告されるようになり、これを受けて2007年2月にアフリカを歴訪した胡錦濤主席は、各国で中国企業に現地の法令を順守するよう呼びかけざるを得なかった

中国企業の活動が現地の法令に反し、環境破壊を助長し、ひいては周辺住民との摩擦を引き起こす状況に鑑みれば、FOCAC IIIにおいて貿易や投資だけでなく、環境や貧困に配慮した援助が打ち出されたことは、不思議でない。ただし、これらの援助のフォローアップはFOCACのホームページなどで一般にほとんど公開されておらず、実施状況の不明なところが多い

ところで、FOCAC IIIで採択された北京行動計画では明示されなかったが、この時期には中国による安全保障に関する協力も活発化した。中国政府は1991年の西サハラを皮切りに、アフリカにおける国連PKO(平和維持活動)に参加していたが、2008年には約300名を派遣していた米国を凌ぎ、合計1,981名の中国軍将兵がアフリカでのPKOに従事していた(David H. Shinn, 2008, ‘Military and Security Relations: China, Africa, and the Rest of the World,’ in Rotberg ed., op.cit., pp.155-196)。これもやはり、「相互利益」の実態が疑われ始めた状況で進んだのである。このように2000年代末以降、中国は「大国」としてアフリカの繁栄と安定に貢献する姿勢を前面に掲げ始めたが、これはアフリカ内外からの批判への反応といえる。

その一方で、FOCAC IIIで採択された北京行動計画などの公式文書で、中国とアフリカ各国は「不公正な国際世論」に対抗することを確認している。すなわち、米国のCNNや英国のBBCなどグローバルな巨大メディアを擁する欧米諸国の論調が「国際世論」あるいはいわゆる「国際社会」を形成するという現実があるなか、中国は「アフリカへの貢献」をアピールするとともに、一方的に非難される立場に甘んじない姿勢も打ち出しているのである。

これを反映して、2006年に新華社通信が、2012年にはCCTV(中国国営放送)がアフリカ局をナイロビに開設し、中国の情報をアフリカ内部で発信する拠点となった。また、FOCAC IVではアフリカのNGOや研究機関との交流が打ち出され、2013年10月には双方の恒常的な学術交流のプラットフォームとなる10+10パートナーシップ計画(China-Africa Think Tanks 10+10 Partnership Plan)が設立された。さらに、大学をはじめとする高等教育機関への支援も増えており、主に中国語を教える「孔子学院」が2012年までにアフリカ全土に29ヵ所の大学に設置された。

アフリカ内部の世論、なかでも知識層に直接働きかけるアプローチは、いわゆる「ソフトパワー」に対する中国の関心を反映している 。いわば、内外からの懸念や批判を受けて、中国は「責任ある大国」のイメージ化を自ら図っているのであるのであるが、同時にこれは西側先進国が行ってきたことでもあり、その意味で双方の類似性が増えたと理解できる。

トップダウンの意思決定の限界

以上のような反応は、改革・開放後の中国の基本原則の一つである「平和的台頭(peaceful rising)」に沿ったものといえる。すなわち、周囲との軋轢を回避しながら、静かに、人知れず台頭するというトウ小平の考え方である。

この観点から、ダルフール紛争を契機に、中国の対アフリカ・アプローチに懸念と批判を強めた西側先進国に対して、段階的に情報を公開し始めたことは、不思議でない。このなかには、対アフリカ政策の概要を著した『中国の対アフリカ政策』 の刊行(2006)、西側ドナーの集まりであるDAC(開発援助委員会)との援助に関する研究グループの発足(2009)、中国の援助の概要を著した『中国の対外援助』の刊行 (2011)などが含まれる。いずれも、情報としては全く不十分な内容しか公開されていないものの、少なくとも中国側が西側先進国へ一定の配慮を示した格好になっているといえる。

ただし、中国政府のトップダウンの方針は、必ずしも末端に行きわたっていない。正確な統計は乏しいが、中国社会科学院の賀文萍によると、‘Going out’ 政策のもとアフリカには既に100万人の中国人が居住している。我勝ちにアフリカへ進出した中国の巨大国営企業は、独立採算のもと、中国政府の統制が必ずしも及ばない状態となっている。その結果、現地の法令順守を国家主席自らが呼びかけても、中国企業による法令違反は後を絶たない。

2009年5月、アフリカ10カ国の労働組合系研究者が集まった「アフリカ労働研究ネットワーク」は、中国企業における雇用形態などを調査して発表した。このなかでは、多くの国に共通する問題が指摘されている。主な論点をあげると、

  • インフラ整備などでアフリカに来る中国の巨大企業は中国人労働者を連れてくるため、現地に雇用を生まない。さらに、建設現場に設けられた居住スペースから出られないなど、人権侵害が疑われるケースも多く、現地の法令が必ずしも適用されない
  • 鉱山などでは安全管理が不徹底である。
  • 現地労働者を雇っても、多くの場合、企業経営者が中国式で臨むため、最低賃金、超過勤務手当、有給休暇、産休、労働組合の結成など労働者の権利が保護されない。さらに、雇用主によるセクハラや暴行も多い。
  • 中国人商人はトラブルを賄賂で処理するため、公務員や警官の汚職がひどくなった

なかには疑問の残る指摘もあり、例えば中国企業が大挙して押し寄せる以前からアフリカでは汚職が横行していた。筆者自身も税関職員や警官から賄賂を要求されたことは一度や二度でなく、全てを中国企業・商人の責任にすることには慎重であるべきだろう。

とはいえ、基本的にこの報告書に従えば、近年のアフリカ各国で中国人商店などを標的とした襲撃や暴動が頻発していることは、不思議ではない。ザンビアでは2012年8月、法律で定められた最低賃金が支払われないことから、鉱山労働者が2人の中国人マネージャーに暴行を加え、うち1人が死亡する事件が発生している

アフリカの政治と中国

急速にその存在感を高めるなか、中国がアフリカ各国内部の政治問題となることも多くなっている。既に述べたように、冷戦終結後の欧米諸国は援助をテコに、アフリカ各国に民主化を半ば強要してきた。その結果、アフリカ諸国のなかには中国よりメディアや政治活動の自由が保障されている国も珍しくない。すなわち、全てではないが、アフリカでも国民の声が政治に反映される状況が生まれつつあり、これは中国にとって一種の懸念ですらある

安価な中国製品が流入したことは、貧困層の多いアフリカの消費者にとって利益であったといえる。しかし、他方で中国製品の流入や中国商人の台頭が、現地の製造業や流通業に壊滅的な打撃を与えてきたこともまた否定できない。さらにほとんどのアフリカ諸国において、労働組合は1960年前後に独立運動の中核を担って以来、大きな政治的影響力をもっている

これらの背景のもと、アフリカ各国政府のなかには、中国企業や中国商人への規制を強めるところもある。例えば、2008年に台湾と断交し、中国と国交を結んだばかりのマラウィでは、2012年に四つの主要都市以外で中国人商人が商売をすることを禁じる法律が制定された。国民が200万人でありながら、既に2万人の中国人が居住しているボツワナでは、中国人商人に5名以上のナミビア人を雇用することが義務づけられている。これらはいずれも、中国企業に対する国民の批判を受けた、各国政府の反応といえる。

アフリカにおける反中感情が、政府の交代を促すケースすら生まれている。2011年9月のザンビア大統領選挙では、野党候補で中国企業に対する排他的な姿勢を隠さなかったマイケル・サタが勝利した。サタが大統領に就任した後のザンビアで、中国企業は基本的に大きな支障なく活動を続けている。しかし、タンザニア・ザンビア鉄道の建設以来、アフリカでもとりわけ友好的な国の一つだったザンビアでサタが当選したことは、中国-アフリカ関係が一つの節目を迎えたことを象徴した

また、中国擁護の論陣を国際的に展開した、先述のセネガルのワッド大統領(当時)は、他方で中国企業との密接な(あるいは不透明な)関係が指摘されていた。そのなかでワッド自身が独裁傾向を強め、憲法の大統領三選禁止条項を無理やり改正して2012年3月の大統領選挙に臨んだ。結局、ワッドはこの選挙で敗れたが、選挙期間中、ワッドと密接な関係にあるとみなされた中国人商店が焼打ちにされている。これもやはり、中国企業と癒着した政権が崩壊した事例といえる。

このように、アフリカでは民主化の進展にともない、特に中国企業に対する批判が政治レベルでも表面化している。すなわち、国内では国民の意思や要望を封殺できたとしても、中国政府は、他の諸外国と同様に、アフリカの一般市民からの評価に配慮せざるを得ない状況にある。中国政府がFOCAC IV以降、アフリカへの貢献を強調してきたことは、この観点から理解できる。

西側先進国にとっての「都合の悪い事実」

しかし、他方で注意すべきは、一見矛盾することだが、総じてアフリカでは対中感情が必ずしも悪くないことである。

米国のシンクタンク、ピュー・リサーチ・センターが2013年7月に発表したインタビュー調査の結果によると、米国と中国に好感をもつ割合は、世界平均でそれぞれ63パーセント、50パーセントだったが、アフリカ平均はそれぞれ77パーセント、72パーセントで、ほとんど差がなかった(ちなみに同調査によると、日本における結果はそれぞれ69パーセント、5パーセント)。また、この調査によると、アフリカにおける中国への好感度は、技術力やビジネスの仕方などのポイントで高く、さらに若年層ほど高い 。

この調査結果は、少なくとも多くのアフリカ人から見て、中国の進出が米国など欧米諸国のそれと比較して、取り立てて悪感情を抱きにくい現状を示唆する。言い換えれば、アフリカで中国への悪感情が醸成されつつあるとしても、それをもって西側先進国の方がはるかに好まれているとは言えないのである。これは西側先進国にとって、いわば「都合の悪い事実」である。

多くの問題を抱えながらも、中国による爆発的な投資と貿易がアフリカの経済成長を促す大きな要因となったことは否定し難い。また、貸し付けに基づくインフラ整備中心の援助と貿易・投資が結びつき、援助する側も利益をあげる中国のスタイルは、教育・医療などを中心とする無償援助を重視する欧米諸国から批判されるが、先述のブラウティガムが指摘するように、1980年代までの日本と類似しており、その意味で特別なものでない(Deborah Brautigam, 2009, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa, NY: Oxford Univ. Press)。

また、西側先進国が唯一のドナーだった1990年代、アフリカが経済成長とほぼ無縁であっただけでなく、欧米諸国が援助に政治的条件を付けることが、少なくともアフリカからみて外圧であったことも確かである。この観点からすれば、ザンビア出身で元・世銀エコノミストのダンビサ・モヨ(Dambisa Moyo)がDead Aidという挑戦的なタイトルの著作において、これまでの西側先進国の援助が、西側先進国と友好的な独裁者を肥え太らせるだけだったと批判し、アフリカはむしろ直接投資と輸出で成長した中国のスタイルを学ぶべきと主張したことは、当然ともいえる反応である。

のみならず、クリントン元国務長官は「資源を持ち出した後に何も残さない」新植民地主義を批判したが、「アフリカ・ブームの国際政治経済学 2.新たな争奪戦(1)」で述べたように、アフリカからの輸入品の80パーセント以上を天然資源が占める点で、米国も共通している。さらに、赤道ギニア、カメルーン、チャドなど欧米諸国と友好関係にある産油国の場合、同じく深刻な人権問題があっても欧米諸国は総じて公式に批判しない。FOCACの宣言などで、「人権の政治利用」や「人権のダブルスタンダード」が批判されたことは、偶然ではない。これらに鑑みれば、「アフリカにおける中国」をめぐる議論には、中国だけでなく西側にも政治的バイアスがあるといえる。

「アフリカの友人」レース

このような状況下、経済成長という「目に見える成果」をもたらした中国に対するアフリカの評価は、西側先進国の政策決定者が期待するほどには低くないといえる。他方、先述のように、アフリカでも一般市民の声が政治を左右することは、いまや稀でない。これらを考え合わせれば、中国だけでなく西側先進国もやはり、アフリカの政府だけでなく一般市民に、従来以上にアプローチする必要に迫られているといえる。

言い換えると、「最後のフロンティア」としてのアフリカに進出したい西側と中国は、それぞれ自らこそ「アフリカの友人であると演出するレース」に向かっているといえる。その際、西側先進国は貧困対策、テロ対策、自由や民主主義といった政治的理念を活用する。他方、中国は対等な関係、政治的不干渉、経済成長などを強調する。

ただし、これらはいずれも、必ずしも実態を伴わない場合がある。西側先進国の「人権のダブルスタンダード」は既に述べたが、中国もアフリカにおける権益が大きくなるにつれ、従来の「不干渉原則」からの逸脱がみられる。2013年12月に発生した南スーダンの内戦に関して、同月に行われた東アフリカ諸国の地域機構IGAD(政府間開発機構)の場で、中国政府が停戦を呼びかけたことは、これを象徴する。この対応は、その良し悪しや、南スーダンでの油田開発に中国が向かっているという動機づけはともあれ、少なくともダルフール紛争の際の対応とは異なる 。これらに鑑みれば、両者のアプローチは徐々にその違いが埋まりつつあるといえる。

いずれにせよ、各国が「アフリカの友人」を強調する状況は、「新たな争奪戦」がこれまでにない複雑なゲームであることを示している。植民地時代や冷戦時代のアフリカ争奪は、「相手の利得が自動的に自らの損失になる」ゼロ・サム・ゲームとしての色彩が濃いものであった。言い換えれば、勢力圏が明確になれば、それ以上お互いに手出しをしないという意味で、棲み分けが可能なレースだった。しかし、自由貿易の原則に立つ現代のアフリカでは、スーダンと米国のように、特定の国同士が経済関係をもたないことは稀である。多くの諸外国は、ほぼ全てのアフリカ諸国にアプローチするチャンスをもつ。しかし、それは逆に、競争を激化させる土壌となっているのである。

さらに、かつての争奪戦は相手国の政府をほぼ唯一のアプローチ対象としたが、情報化とアフリカの民主化は、アフリカ内外の市民レベルの反応に、どの国も配慮せざるを得ない状況を生んでいる。伝統的に、外交を国家間関係にほぼ限定して捉えてきた中国が、アフリカのメディアに関心を強めていることは、これを象徴する。すなわち、アフリカにアプローチする各国は、ライバルを物理的に排除できないが故に、常にライバルとの差別化に迫られると同時に、アフリカにそれをアピールすることが求められるのである。

これに鑑みれば、資源や市場、さらに国際的な支持の獲得といった各国の利害関係を反映した「新たな争奪戦」は、ほぼ共通のルールの下で、誰でも参入できるが故に、外国同士の軍事衝突の場となる危険性こそ低いものの、かつてない激しい競争になっているといえるだろう。その意味で、賛否はともあれ、台頭著しい中国の対アフリカ・アプローチを慎重に見極めることが、今後ますます必要になるのである。

アフリカ・ブームの国際政治経済学 4.成長と貧困が併存する大陸(1)に続く