女川駅が復旧して初めての女川町の祭り

2015年3月22日、宮城県女川町で「女川町復幸祭2015」が開催された。2011年の東日本大震災の津波で流された女川駅が、前日の2015年3月21日に4年ぶりに復旧したばかりの女川町で開催された祭りだ。

東日本大震災による津波で、住民の10人に1人が亡くなり、街の83%が倒壊した女川町。初めて私が女川町の地を踏んだ2012年以来、今回で6回目の女川町訪問となったが、新築された女川駅をはじめ、かつてないほど復興の息吹を感じることになった。

これまで過去5回の女川レポートは以下の記事を参照してほしい。

2012年9月23日「おながわ秋刀魚収穫祭2012」

おながわ秋刀魚収穫祭@女川町総合運動公園第2多目的運動場

2013年3月24日「女川町復幸祭2013」

また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(前編)

また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(後編)

2013年9月22日「おながわ秋刀魚収穫祭2013」

「また、女川で会いましょう!」と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート前編

「また、女川で会いましょう!」と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート後編

2014年3月16日「女川町復幸祭2014」

いつかまた、女川で会いましょう。 BiS、大森靖子など出演「女川町復幸祭2014」レポート(前編)

いつかまた、女川で会いましょう。 BiS、大森靖子など出演「女川町復幸祭2014」レポート(後編)

2014年9月21日「おながわ秋刀魚収獲祭2014」

縁はつながり、そして続く。 寺嶋由芙、八神純子ら出演「おながわ秋刀魚収獲祭2014」レポート(前編)

縁はつながり、そして続く。 寺嶋由芙、八神純子ら出演「おながわ秋刀魚収獲祭2014」レポート(後編)

「女川町復幸祭2015」は、これまでの女川町の祭りとは大きく異なっていた。以前はJR石巻線で浦宿駅までしか行けなかったが、今回は浦宿駅~女川駅間が遂に復旧して、女川駅まで直接電車で行くことができるようになったのである。女川駅があり、そこに電車が発着する日常が4年ぶりに戻ってきたばかりだったのだ。

そして、今回の「女川町復幸祭2015」は、女川駅前を中心とした「海ステージ」と、そこから山側に登った女川町町民第二多目的運動場の「山ステージ」で開催された。山ステージに今回招かれたのは、ももいろクローバーZ。これまでの女川町の祭りとは規模が違うことは、ももいろクローバーZのチケットがプレイガイドで販売されたことからも明らかだった。従来はステージは観覧無料だったのだから。

2012年9月23日の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」から、これまで女川の祭りには、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)×リクオ、BiS、カーネーション、大森靖子、八神純子、寺嶋由芙などが招かれてきた。そして今回、女川とBiSの縁を汲むアーティストとして招かれたのはプラニメだ。元BiSのカミヤサキと、元いずこねこのミズタマリからなる2人組であり、カミヤサキはBiSのメンバーとして2013年9月22日の「おながわ秋刀魚収穫祭2013」と2014年3月16日の「女川町復幸祭2014」に出演している。

ただ今回は、ももいろクローバーZの出演で交通の混雑が予想されるために、女川行きを諦めるプラニメイト(プラニメのファンの総称)や元研究員(BiSの元ファンの総称)も多かった。交通が混雑する当日を避けて、前日に女川町入りするプラニメイト/元研究員もいた。そして、このレポートは女川町へ当日入りした無謀なプラニメイト/元研究員の記録である。

福島第一原子力発電所の西6キロを走る夜

2015年3月21日の夜、私たちを乗せた自動車は千葉県を出発した。北上するのには常磐自動車道を使ったが、これまで東日本大震災と福島第一原子力発電所事故により一部が通行止めになっていて、2015年3月1日にようやく全線開通したばかりであった。最終開通区間の常磐富岡インターチェンジ~浪江インターチェンジ間は、なんと帰還困難区域を通る。福島第一原子力発電所に一番接近する場所は、ほんの6キロほどしか離れていないのだ。

<常磐道3・1全通>ためらうバス業界/(下)放射能の影 安心確立なお時間 - 河北新報

湯ノ岳パーキングエリアには、放射線情報が掲出されていたが、画面を見ると「ご使用中のPCは15日間暗号化されていません」とマカフィーの警告画面が出ているという、やや不安になる管理状態だった。

福島第一原子力発電所の西6キロを走っていると、見たこともないようなマイクロシーベルトの数値が路上の液晶に表示されている。現実感のない数字に思わずひきつった笑い声をあげながら、私たちの車は北上を続けた。

2015年3月22日の午前0時を過ぎると、車外に仙台市の街の明かりが見えた。石巻市のファミレスで休憩を取りながら仲間とも合流。午前5時過ぎに女川町へと出発した。

自動車は渡波駅の近くを通過する。「おながわ秋刀魚収穫祭2012」のときは、交通公共機関で女川町へ向かうためには、渡波駅から代行バスに乗るしか手段がなかった。浦宿駅まで電車が復旧したのは、2013年3月24日の「女川町復幸祭2013」の直前の2013年3月16日。その頃は、浦宿駅から徒歩30分ほどで女川町の旧市街地へ行けるようになったことに感動すらしたものだ。それが今、女川駅まで電車で直接行けるようになった。

江島共済会館の解体と女川港の整備

午前6時前、「女川町復幸祭2015」の副実行委員長である高橋正樹さんが取締役を務めるかまぼこ屋・蒲鉾本舗高政の女川本店万石の里へ到着。そこから女川町の旧市街地へと走る自動車の中で、大森靖子&THEピンクトカレフの「ミッドナイト清純異性交遊」を流しながらみんなで歌っていると、朝焼けとともに6度目に見る女川町の風景が目の前に広がった。

高台の「輝望の丘」へ向かい、半年ぶりに女川町の旧市街地を眺める。震災遺構の江島共済会館はすでに取り壊されていた。2014年9月21日の「おながわ秋刀魚収獲祭2014」のときはまだ存在していた江島共済会館だが、2014年12月15日から解体作業が行われていたのだ。

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津波被災の江島共済会館、解体に着手・女川 - 河北新報

江島共済会館は最終的に老朽化の問題で解体されたが、震災遺構を残すかどうかの議論は女川町内でも行われていた。

今回の判断をするに当たっては、まず女川中学校の生徒の声を聴いた。

中学生たちの将来への取り組みについての提言の中で、

彼らの「いのちの石碑プロジェクト」などの取り組みとともに

「震災遺構については保存してほしい」というものがあり、

昨冬に町と町議会に対しプレゼンテーションをされている。

出典:改めて震災遺構についてー須田善明コミュニケーションサイトZENMEI.NET

いくつかの震災遺構の中でも、津波被害の凄まじさを伝えるものとして江島共済会館は視覚的に強烈な存在だった。その跡地を見ながら、同行した女の子は「私がここに暮らしていたら、震災遺構に耐えられないと思う」とつぶやいた。我々が女川町の部外者であることを痛感する瞬間だ。

「輝望の丘」にある女川さいがいエフエムには、2本の桜が咲いていた。ピンクの花型の紙にメッセージを書いて貼り付けた桜だ。私は今まで3月の女川町で咲く桜を見たことがない。いわばこれが初めて女川町で見る桜だった。

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そして自動車を駐車場に停めようと女川駅方向へ向かうと、路上で寝転んで私たちにケチャを捧げて歓迎してくれる男性がいた。「女川町復幸祭2015」の実行委員の青木久幸さんだ。彼は「廻船問屋 青木や」の代表として、女川町の水産業の復興のために奮闘している人物だ。

駐車場は女川港のすぐそばだった。そこから「おながわ秋刀魚収獲祭2014」が開催された旧市街地を見ると、何台のもの油圧ショベルがあり工事現場のようだ。一方、カモメの鳴き声が響く女川港は、コンクリートですっかり整備されていて感動した。思い返せば「おながわ秋刀魚収穫祭2013」の頃は、この辺りは土砂の先に海がある状態で立入禁止だったのだ。今は何艘もの船が泊まり、港から出航する船に手を振ることもできる。女川の早朝はそんな感動から始まった。

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生まれ変わった女川駅、そのホームの一番先からの光景

駐車場から女川駅へ向かうと、さらに感動することになった。女川駅までの道路が見事に舗装されている。草花を植えるスペースまで用意されているのだ。

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そして、周囲が高く盛り土されている。その坂を上っていると、「輝望の丘」から女川駅側にメッセージが張り出されているのが目に入った。

「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。」

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女川駅前に着くと、海ステージには多数の大漁旗が飾られていた。高橋正樹さんと再会すると、彼にはNHKの撮影クルーが密着していた。そういえば、2015年2月7日に学芸大学メイプルハウスで開催された「女川ナイト★Vol.2」というイベントでは、高橋正樹さんがDJをしたり、寺嶋由芙がライヴを行ったりしたのだが、すでにその時点で撮影クルーがいて、私も取材されたのだ。「女川町復幸祭2015」という女川町にとって重要なイベントをNHKが取材してくれていることは素直に心強かった。

高橋正樹さんに案内してもらい、取材のためのメディア登録を済ませる。これまで私がYahoo!ニュースでレポートしてきた女川の祭りはすべて実行委員会の許可を得てきたものだが、口頭ベースのことが多かった。ところが今回は、テントにメディア受付専用のブースが用意されており、首から下げるプレスパスまで渡されて驚いた。一時期は公式サイトさえなかった女川町の祭りが、今回から完全に外部に対応したものに変わったのだ。

新しい女川駅は、以前より150メートル内陸寄りの場所にあり、さらに7メートルかさ上げして建設されたものだ。

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女川駅前にはすでに人が並んでいた。電車に乗ろうとする人々かと思いきや、それは女川駅に併設する温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」の入場列だった。女川駅の発券機はわずかに1台。時刻表を見ても1時間に1本電車があるかないかなのだが、最悪でも2時間待っていれば電車が1本来る。女川町に電車で来ることができなかった時期を知る者としては「ありがたい」とすら感じた。

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女川駅の真新しいホームを歩く。その一番先から見える光景は山と盛り土だ。そして向かって右側に、墓地があることにも気づき、不意打ちのように驚いた。ここは生と死がともにある場所なのだ。新しい女川町を見守ってくださいと、部外者ながら心の中で祈った。

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女川駅前には無料の足湯があり、早くも多くの人々が楽しんでいた。そして駅前に並ぶ数々の出店のテント。女川駅に電車が到着すると、周囲から子供たちの歓声が響き、人の数はさらに増えてにぎわいを増した。

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「女川町復幸祭2015」の開会式まで時間があったので、山ステージにも行ってみた。女川町立女川小学校、女川町仮設庁舎の横を過ぎて、女川町町民第二多目的運動場へ。「おながわ秋刀魚収穫祭2012」はここで開催され、私たちはゲリラ豪雨に遭遇しながら、BiS、そして中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)×リクオのステージを見たものだ。今日は私が行くと、高橋正樹さんがボランティアスタッフをグループわけしている最中であった。

午前9時30分過ぎ、プラニメが無料のさんまを配りはじめた。女川町のさんまが焼かれて、プラニメが並んでいる人々にさんまを手渡したり、調味料を乗せたりする。これは彼女たちがボランティアとして志願したのだという。プラニメを見て、見知らぬ女性が歓声を上げているのは他人事ながら嬉しかった。プラニメにとって女川町はアウェイではなかったのだ。

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「面白い人が作る街って面白い プラニメなど出演『女川町復幸祭2015』レポート後編」へ続く)