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ある日、夫が“消えた”〜4年ぶりに再会した夫は、まるで別人だった

宮崎紀秀ジャーナリスト
李文足は4年ぶりに弁護士の夫、王全璋と再会を果たしたが。(写真は2018年4月)(写真:ロイター/アフロ)

夫と4年ぶりに再会。しかし・・・

 きょうは7月9日。中国当局が、人権派とされる弁護士らの身柄拘束に乗り出した日から丸4年となる。

 王全璋(43歳。敬称略、以下同)は、4年前、即ち2015年7月に身柄拘束された人権派弁護士の1人。今年1月、国家政権転覆罪で4年6か月の実刑判決を受け、今も服役中である。

 王は、裁判が開かれないまま、3年以上勾留されていた。家族には、突然、連絡が途絶えた王の生死さえ分からなかった。その不安の中で、王の妻、李文足(34歳)は、夫の安否を求め奔走し続けた。

 そして先月、ついに夫との面会を果たした。4年ぶりの再会である。

弁護士の王全璋と妻の李文足。まだ幼い息子泉泉を抱いている
弁護士の王全璋と妻の李文足。まだ幼い息子泉泉を抱いている

妻の顔から笑顔が消えた

 6月28日午後。夫との面会を終えて、山東省臨沂市にある刑務所の門から出て来た李文足の表情は固かった。右手には赤い傘、左手は、足元にぴったりついている6歳の息子、泉泉の肩にかけていた。王の姉がそれに続いた。

 その日は、朝から嫌な雨が降った。刑務所の外で面会を待つ間も、冷たい雨が、黒いノースリーブから出た李の白い肩を濡らした。4年間待ち続けた夫との再会を前に、それは取るに足らないことだった。

 しかし、刑務所の中に一旦姿を消し、30分間の面会を終えて門から出てきた彼女に、なぜか笑顔がなかったのだ。

夫との面会から戻った妻は茫然自失に

「会えたの、どうなの?」

 刑務所の門を出て真っ直ぐ歩いて来る李に、外で待っていた友人が叫ぶように声を掛けた。李と同様、弁護士の夫が身柄拘束を受けた王峭嶺である。李の足元にまとわりついていた泉泉が「会えたよ」と明るい声をあげた。

 しかし、李は、同じ質問を2回ほど繰り返されたところで、はっと我に返ったかのような表情を見せた。そして「会えた」とだけ、小さく、かすれた声で答えた。一点を見つめるような様子で、愛想笑いの一つも浮かべなかった。

 ホテルに帰る車の後部座席で揺られている間も、李は言葉少なく、ただ呆然と雨の雫が流れる窓の外を眺めていた。いや、実際には、憂いに沈むその黒い瞳に、何も映っていなかったに違いない。

固い表情で刑務所を去る李文足(2019年6月28日 山東省臨沂)
固い表情で刑務所を去る李文足(2019年6月28日 山東省臨沂)

夫はまるで別人のよう

 李の表情の謎は、ホテルに戻り、香港メディアなど数人の記者に囲まれた時に溶けた。

「彼の精神状態は、とても悪かったです。以前の(王)全璋とは、全く違いました。前は私に対して癇癪を起こしたりしなかったのですが、きょうはとても苛立っていて、私の言うことも耳に入っていないようでした」

 李は、堰を切ったように話し出した。

 面会中、王は、妻の身の安全を心配していると繰り返し言い続けたという。息子の学校の心配についても口にした。とても怖がっているように見えた、李は言う。そしてこう続けた。

「彼がずっと脅されてきたのだと感じました。私が限度をわきまえないことをやりすぎた、と彼に言われました。私の身の安全をちらつかされて、彼が脅されてきたのだと思いました」

まともに会話ができなくなってしまった夫

 面会室のガラスの向こうに座る王は丸刈り。ずいぶん痩せ、顔色は黒ずんでいた。

 一斉拘束された弁護士たちは、取り調べの最中に、何らかの薬を飲まされていた。意識を朦朧とさせ、自白を強要させる類のものであったとみられる。複数の弁護士が証言している。彼らの姿を目の当たりにしてきた李は、「夫が、薬を飲まされ肝臓や腎臓を悪くしたのだと思う」と話した。

 李にとって何よりもショックだったのは、夫がまともに会話できなかったことだ。

 李が、話し出して7、8分経ったところで、記者たちの質問がふと途絶えた。その瞬間、突然、李の大きな瞳から、涙が溢れた。

「4年も待ってやっと会えたら、まともにコミュニケーションができなくなっていた。とても悲しいし、恐ろしい。(刑期終了まで)あと10か月ある。この後も彼はずっと脅され、戻って来た後に、彼とどうやって向かい合えばいいの」

身元不明の男たちによる取材妨害も

 李文足が、夫、王全璋と面会した日、面会場所となった刑務所の周辺には身元不明の男たちがうろついていた。

 ある日本人記者は、李が刑務所に向かうところを撮影したが、この男たちに囲まれた。カメラを取り上げられて、映像が記録されたメモリーカードを抜かれた。

 その後、撮影に使った携帯電話も奪われた。記者は携帯を奪った男のバンに乗り込み、返すよう求めたが、男は撮影した映像を消した上、携帯を初期化しようとしたらしく、パスワードを教えるよう要求した。そのうち、数人の男が乗りこんできて、バンは走り出した。刑務所の周辺を周回しているようだったという。

 記者はバンの中で、携帯を返すよう要求し続けたが、最後はタバコの火を押し付けられそうになるなどの脅しを受け、バンを降りざるを得なかった。男たちは「住民」と名乗ったという。

地面にうずくまるカメラマン。男たちがカメラを奪おうとしている(2019年6月28日 山東省臨沂)
地面にうずくまるカメラマン。男たちがカメラを奪おうとしている(2019年6月28日 山東省臨沂)

 別のカメラマンは、李を撮影していたところ、カメラを奪おうとする男たちにもみくちゃにされた。地面に伏せて抱え込んだため、辛うじて奪われずに済んだが、カメラはすでに壊されていた。

 その後、しかたなく携帯電話で撮影を試みたが、男たちに力ずくで携帯を奪い取られた。男たちはやはり「住民だ」と名乗ったが、中にはトランシーバーを持っている者もいたという。カメラマンは「身の危険を感じた」と話す。

 男たちは身分を伏せた治安当局者か、彼らから金を受け取った輩だろう。時には暴力的な手段を使ってまで堂々と取材を妨害しながら、表向きは当局の関与を否定する、中国の常套手段である。

4年で初めて面会が実現。その背景に香港問題も?

 李文足と夫、王全璋との面会が実現した6月28日は、大阪で開かれたG20を機会に行われる米中首脳会談の前日だった。

 その直前、香港では、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡し可能にする条例改正が進められようとしていた。中国の司法制度に不信感を抱く香港の若者らはこれに激しく反対し、連日、大規模なデモを続けた。

 アメリカは、首脳会談の場で、この香港の問題に触れる意向を示していた。香港問題での干渉を嫌う中国は、中国本土の司法制度の無機能ぶりを示す証拠と指摘させないために、李を夫と面会させた可能性もある。一方で、中国の「無法ぶり」に翻弄され続けた李の声が、メディアに大きく取り上げられる事態は、断固として阻止しようとしたのかもしれない。

中国の司法制度に不信感を抱く香港の若者たちがデモに参加した(2019年6月17日 香港)
中国の司法制度に不信感を抱く香港の若者たちがデモに参加した(2019年6月17日 香港)

「刑務所が良くしてくれる?」そんなバカな話が・・・

 李文足は、その夜、SNSで夫との面会の様子を綴っている。

〈ガラスの向こうに座っている男の人をじっと見て、全璋と分かった。私は、感動して彼に笑いかけ、手を振った。でも、私をちらっと見た彼に表情はなく、顔を横に向けて私を見ようともしなかった・・・〉

 王の目の焦点は合っておらず、どこを見ているか分からないような状態だった。

 そして何やら焦っているような様子で、李の視線を避けるかのようにうつむいたまま、ぶつぶつとこんなことも言った。

「刑務所は自分にとっても良くしてくれる。僕は太ったよ。高血圧も良くなった。薬は飲んでいない。カルシウム剤を毎日飲んでいる。暮らしはとても良い・・・」

 李は綴っている。

〈全璋の痩せた顔を見て、涙が流れた。身長は176センチ、以前は、体重は90キロあった。それなのに太ったと言うの?・・・〉

 李の涙は止まらなかった。6歳の息子がチリ紙で母の目を拭った。その妻と子の姿を前にしても、王は、まるで赤の他人を見るように、無表情のままだった。

「君に言わなくてはならないことがある。自分では覚えていられないかもしれないから、紙に書いた」

 王はそう言って、紙片を取り出した。それを見ながら妻に告げたのは、「君が心配だ。君は何もしなくていい。息子に影響が出る、息子のために良くない」という内容だった。

 息子が、通話用の受話器越しに「パパ、僕は大丈夫だよ」と慰めた。しかし王は、それが聞こえていないかのように「君は分かっていないんだ・・・」と続け、妻の身を案じる言葉を繰り返した。

夫は妻を振り返りもせず去っていった

王全璋の初公判の日。李文足は傍聴を許されず、この日も夫の姿を目にできなかった。左は李と行動を共にしてきた王峭嶺(2018年12月 北京にて)
王全璋の初公判の日。李文足は傍聴を許されず、この日も夫の姿を目にできなかった。左は李と行動を共にしてきた王峭嶺(2018年12月 北京にて)

 王全璋は、2015年7月に身柄を拘束されてから、この日に至るまで、家族が依頼した弁護士さえ面会を許されなかった。その異常な事態は、家族や友人らを、否応なく不安にさせた。

 取り調べの最中に、ひどい拷問を受けるなどして、王がすでに死亡したか、人に会えないほど健康を損なったか、あるいは精神に異常をきたしたのではないか。

 そんな不安を抱えながら、4年間待ち続けた再会。李文足は夫との面会の最後の瞬間をこう綴り、手記を結んでいる。

〈息子がガラスに手を当てると、全璋は生気のない様子で、ガラスから手を離し、体の向きを変えて行ってしまった。十数メートルの通路を去る彼の後ろ姿を見ながら、涙がまた流れ落ちた。4年経って、彼はプログラムされた生気のないロボットのようになってしまった。振り返って私たち母子を一目見ようともしなかった〉

 夫があまりに変わり果ててしまった現実に、相当の衝撃を受けたのだろう。李は、毎日、吐き気におそわれているという。

中国で今も続く弁護士への圧力

 2015年、中国当局が、乗り出した人権派の弁護士らに対する弾圧。7月9日に弁護士が一斉に身柄拘束されたことから、「709」事件と呼ぶ。「709」事件に象徴される、中国における弁護士の境遇には、李文足らの発信もあり、国際社会から強い懸念が示されてきた。しかし、事件から4年経った今も、残念ながら中国の人権派弁護士たちの状況は改善されていない。

髪を剃って抗議する原珊珊。拘束された弁護士、謝燕益の妻。左は李文足(2018年12月 北京)
髪を剃って抗議する原珊珊。拘束された弁護士、謝燕益の妻。左は李文足(2018年12月 北京)

 謝燕益(44歳)も、「709」で身柄拘束を受けた弁護士。一年半の勾留の後、保釈されたものの弁護士資格が更新されない状態が続き、弁護活動ができなくなった。その妻、原珊珊は、李文足を支えて共に行動し、「709」の不当性を訴えてきた。

 先月末、この夫婦が3人の子供と住む家は、大家から契約の更新を拒否されたという。その後、原珊珊は、「たくさんの不動産仲介業者から同じ返事が来る。『謝燕益と原珊珊には家を貸すのは許されない』と警察の通知があった、と」などとSNSに記している。

 余文生(51歳)は、李文足から依頼を受け、2015年11月から王全璋の弁護を引き受けた。しかし、2017年7月、所属していた弁護士事務所を解雇された。中国で弁護士は、事務所に所属していないと活動できない。余は、「事務所が司法部門からの圧力を受けた」と話していた。

人権派弁護士の余文生。余は国家政権転覆扇動の疑いで逮捕された(2017年8月 北京)
人権派弁護士の余文生。余は国家政権転覆扇動の疑いで逮捕された(2017年8月 北京)

 余は2018年1月、憲法改正など政治改革を求める公開書簡を発表し、その翌日、連行された。その後、国家政権転覆扇動の容疑で逮捕された。今年5月、秘密裏に裁判が開かれたとみられている。

 余の妻、許艶は、夫の身を案じ、国際社会が関心を持ち続けてくれるよう、SNSなどを通じてしきりに訴えている。

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。中国での取材歴は10年以上、映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2023年より台湾をベースに。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

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