猪瀬直樹氏が都知事の辞任表明をした後、いくつかの主要新聞が、猪瀬氏が行ったことは都民に対する背任的な行為だといった記事を載せていた。それはそうかもしてない。しかし、その記事の横には「次は女性で」「オリンピックを考えるとスポーツ関係者か」「知名度で言えば」などの説明とともに次の都知事選候補と目される人の名前が何人かあげられていた。ここで名前があがった人が知事としてふさわしいかどうかは別にして、問題は、猪瀬氏の都知事としての適格性を書き連ねているその同じ紙面で、いとも表面的な理由で、次の候補者について云々していることだ。テレビなどは、自分たちが勝手に候補者にあげた人たちを追い回し、「そんなつもりは全くない」などと断られている。猪瀬氏が行ったことが背任的なら、日本のマスメディアが行っていることは、背信だろうか背徳だろうか。

猪瀬氏が政治の舞台に表立って登場したのは道路公団民営化議論においてだろう。それ以来彼は、利権や官僚と闘う正義の旗手というイメージで頻繁にマスメディアにも登場し、主要メディアもほぼ一貫してそのイメージを支持してきた。それが1年前の都知事選で430万票という史上最高得票につながったのだと思う。それが裏切られたというのだ。しかし、メディア界あるはジャーナリズムの世界に身を置く一定の人は、この最高得票をもたらした正義の旗手というイメージそれ自体が虚像であったことを知っているはずだ。事実はほぼ正反対であることを知りながら、「猪瀬は使える」ということで持ち上げ、多くの都民に不利益をもたらすような判断をさせた責任は大きい。

この辺りの事情は櫻井よしこ氏の「権力の道化」や星野眞三雄氏の「道路独裁」に詳しいので是非一読をおすすめしたい。なぜならば、ここには、ジャーナリズムの基本である、日々の表面的な動きや人の発言だけでなく、その背後で起こったことの丹念な取材、裏付けがあるからだ。これらの著書を読むと、猪瀬氏の本当の目的、日々変わる発言、それらの辻つまを合わせようとする後付けの奇妙な説明、さらには自分に対する批判や、不利な記事に対する執拗な言論封殺などが今回始まったものでは決してないことが分かるだろう。道路公団民営化議論当時から、氏の発言を日々丁寧に整理すれば、いかに矛盾が多いかは直ぐに分かった。また、最近「道路公団の時はよかったのに」と書いている記者たちが、10年前の社説を少し調べると、自社の社説が猪瀬説あるいは発言を強く批判していたこともすぐに分かるはずだ。このようなジャーナリズムの基本がおろそかにされたことが、この1年間の都政の背後に存在することを多くのメディアは反省すべきだろう。無責任なノリで「次の候補者」と言っているようでは、反省が行われているどころではない。

ここで述べたことは今回のことに限らない。国の政治に関しても、日常の出来事に関しも同じことが言える。そして、レベルの低い報道を真に受けて「損する」のは結局、読者、視聴者すなわち一般国民なのだ。

だから、私たちもメディアに反省を迫る以前によく目を凝らして新聞、雑誌やテレビのホンモノ・ニセモノを見極めないといけない。このコラムのようなネットメディアも既存メディアに緊張感をもたらすには有効だろう。

とにかく、よってたかってジャーナリズムのレベルを上げていかないといけない。