天皇陛下も見ることが許されない「三種の神器」 タブーを犯した天皇を襲った「恐ろしい現象」とは?
■「勾玉」はどんな形をしているか 京都の青蓮院に伝わる、この時の別の伝承によると、ある武士が海面に浮かぶ箱を何かと思って取って、藤原尹明の女(むすめ)の内侍という女官に見せたところ、それは「神璽」つまり「八尺瓊勾玉」の箱で、箱の内部が上下に別れ、それぞれに「珠玉」が4個ずつ、合計8個入っていたそうですよ(青蓮院文書『覚書』)。 このとき、二位の尼こと平時子や安徳天皇とともに海中に没してしまったのが「宝剣」こと「草薙剣」なのです。それからしばらくは「剣」なしに重要行事も行われていましたが、ついに寿永2年(1183年)、順徳天皇の発案で、後白河天皇の時代に伊勢神宮から贈られた剣を新たな「形代(かたしろ)」の神器として宮中ではお祀りしようということになりました。 順徳天皇の手で書かれた、三種の神器にまつわる有職故実書『禁秘御抄』によると、とくに「神璽」の箱は傾けて持ってはならないのだとか。青蓮院の伝承でも「珠玉」とあるように、われわれがイメージする「勾玉」とは異なり、傾けて持てばコロコロと転がり、破損しかねない球体の何かである可能性は強そうです。
堀江宏樹